瀋陽亡命者事件が明らかにしたもの
                   村岡到 2002.5.27
 「稲妻」第342号=2002年6月1日号掲載

――どこかに、門扉の前でうつろに立ちすくむ幼女と、ワールドカップに興じる青年と、有事立法反対の声をあげる老人をつなぐ人間の絆があるはずなのである。――

 5月8日、中国の東北部遼寧省瀋陽市の日本総領事館を舞台にして起きた、朝鮮民主主義人民共和国の5人の亡命希望者をめぐる事件が明らかにしているものは何なのかを探ろう。

 ビデオ映像の巨大な力

 政治的立場のいかんにかかわらずだれもが実感しただろうことは、ビデオ映像の巨大な力である。公表されたのはわずか3分程度だというが、現場のビデオの公開は巨大な力を発揮した。湾岸戦争のさいの「石油まみれの水鳥」の映像が捏造であったように、提供された映像が実写なのか、あるいは編集による偏りがないのかは、常に注意しなければならないが、それにしても映像は迫力が違う。かねてから考えているのだが、この種のメディアの発達は、戦前に猛威をふるった文書の検閲を歴史的遺物にしてしまったと言える。1996年のペルー大使公邸占拠闘争で闘争主体のMRTAがビデオを活用していたら、と想像することがある。秩父困民党の蜂起にしても花岡蜂起にしても伝聞以外には<現場>を伝えるものはない。写真すらないのではないか? この隔絶たる変化こそ、情報へのアクセスにおける<平等>の拡大であり、歴史の前進なのである。エシュロンは不気味な威力を秘めているようであるが、情報メディアの発達は、その有効な活用によって<真実>へのアクセスをかつてないほど容易にしている。

 「主権侵害」とは言えない

 政治的立場を鮮明にする点から言えば、この事件を「主権侵害」と大仰に騒ぐ自民党議員などの反応が誤っていることをはっきりさせることが核心である。確かに、1963年に採択され、日本も1983年に国会承認した「領事関係に関するウィーン条約」の第31条は「領事機関の公館の不可侵」を規定している。だが、「朝日新聞」の百瀬和元編集委員が明らかにしているように、「大使館や領事館は自国の領域や領土ではない。あくまでも外交、領事活動のために認められた権利の舞台である。かつてのような『治外法権』は存在していない」。したがって、「国際法の専門家によると、事件を『主権侵害とまではいえない』というのが結論である」(5月23日、「記者は考える」)。NHKなどが「主権侵害」と区別して「不可侵権侵害」と表現するようになったのはよいことである。
 国際的事件が起きると、すぐに民族的対立を煽ることは厳に慎むべきである。この点で、5月20日のTBSの世論調査の結果は興味深い。この事件についての日中両国政府の主張について、どちらが信用できるかの問いに、日本政府40%、中国政府42%となっている! わが小泉首相はマスコミの記者に「皆さんは中国の味方をするの?」だとか、「自虐的」などと、低水準の発言を繰り返しているが、日本の市民はこれだけ健全と言える。「反中国」の民族意識など拡がるどころか、逆に「公正な判断」を下す人が多いことを明らかにした。戦前の治安維持法下では呑気に世論調査などしなかったであろうが、対立する相手国政府のほうが信用度が高いなどということはありえなかった。アカウンタビリティー(説明責任)などという言葉が定着している効果が薄いわけではない。有事法制への批判をリアルに展開する責任と意義が大きいことを示している。

 北朝鮮からの亡命者30万人?

 直接の政治的対決点を離れて考えると、瀋陽亡命者事件が明らかにした第1の大きな事実は、瀋陽も含めて、北朝鮮に隣接する中国の諸地方に北朝鮮からの亡命者が一説には30万人もの規模で存在するというとんでもない事実である。亡命には生命の危険がかかり、仮に亡命に成功しても「本国」に残された家族、親戚などへの迫害、亡命者自身のその後の生活など、幾重にも重なる危険と不安が伴っていることはさほど想像力を働かせなくてもすぐに分かる。そのようななかで、30万人もが出国を望む国とは何なのか。地球上に、いや日本にとってはすぐ隣に、そのような国があることを、まず直視する必要がある。食料不足と飢餓がその物質的基礎であり、政治的自由の欠如がその精神的背景である。片や東京では残飯が増えてカラスが繁殖しすぎて対策に追われている。日韓共催のワールドカップが海外から数十万人を招き寄せながら熱を帯びて開催されようとしている。一方には毎日、異国の空で不安に身を震わせながら生きている家族が30万人も存在しているのに、他方には飽食とフーリガンの狂騒、その防止のための警備を伴うイベント、何かが非常におかしいのではないか。
 北朝鮮の為政者が好きとか嫌いとか、「社会主義」を名乗っていることをどう考えるかなどと言う前に、この巨大な隔絶が何を意味しているのかを考えなくてはならない。日本海を越えて北朝鮮の人々が大量に日本にやってきたらどうしたらよいのか。「地球市民」として仲良く暮らす用意はあるのか。だれが彼らを受け入れるのか。北朝鮮の為政者を批判するだけでは何の意味もない。

 国際法こそ基準

 第2の大きな意味は、低劣無比とも言うべき日本の外務省や政府も、建国の父・毛沢東が「無天無法」――従うべき天も法もない――を信条とし、裁判制度も整っていない「人治」(法治の対極)の国の政府も、ともに自らの主張の基礎にウィーン条約など国際法を据えていることである。戦前ならば、外交上の争いは「固有の領土」や装備する軍備の水準を焦点にすることが多かった。日本帝国は「大東亜共栄圏」なるものをふりかざしていた。だが、今日では、国会で有事立法の審議をしている時期なのに、自民党の外交部会のお歴々が「主権侵害に断固反対しろ」「毅然たる態度を取れ」と、普段の政治家らしからぬ自らの生態を省みることなく叫んでみても、その内実は日本固有の価値だの政策など何もない。そんなものはないから、外務省や出先の外交官が接待係としては上手だろうが、見識などかすかにもないことになっているのである。瀋陽の副領事は英語が読めないと公言してはばからない。読めたかどうかではなく、英語が読めないことを自己正当化の論拠にできると思っていることが低劣なのである。
 そして、国際法の精神から言えば、亡命者や難民についてはこれを保護することが国際的常識なのである。1948年の「世界人権宣言」の第14条は「@すべて人は、迫害を免れるため、他国に避難することを求め、かつ、避難する権理を有する」と明記している。確かに国境が地続きのヨーロッパと島国の日本とでは歴史が異なるから、考慮すべき事情もあるが、他方では日本人は好き放題に海外に出かけ、経済大国の優越性を享受している。年間の難民受け入れが数十人などというレベルではお話にならない。亡命者拒否の基本的立場を転換することが求められている。この点で、世界の流れとズレていることこそが、今回の事態を招いたのである。
 洪水のような報道合戦と論評のなかで、前記の条文を明示した例がほとんどないのは、法(律)的に考えることが習慣となっていないことを示している。普通の人は、憲法や「世界人権宣言」の条文を省みることはまれであろうが、何かの事件が起きたさいに、それらの条文を思い返すことが大切である。

 ほかにも2つ注意すべき点を列記しよう。
 @日本の外務省の体たらくぶりについては、例の松尾克俊室長、鈴木宗男議員の目に余る醜態でいやというほど見せつけられてきたが、今度も恥の大上塗りというしかない。一つひとつ記す気力はない。阿南惟茂駐中国大使の発言――「亡命者は館外へ押し返せ」――およびその発言が直ちにリークされたこと、副領事は中国の警官が横をすり抜けても気づかず、制止の声も掛けられないと「報告」して外務省は平然としている。朝日新聞の船橋洋一氏は「かかし」とからかっている。私はこの人の主張にはたいてい賛意は感じないのだが、エシュロンの時代に副領事がケイタイ電話で北京の日本大使館と連絡を取る安易さ――傍受の危険性――についての指摘は納得した。
 A事件直後に、これは「反北朝鮮キャンペーン」だとか、「反中国キャンペーン」だから警戒しろという反応も一部にあったようである。何かが起きるとすぐに、帝国主義の陰謀だとか、マスコミの謀略だと条件反射する傾向が根強いが、この事件を通して、世論の支持だけが頼りの小泉政権の支持率はまた大幅に降下したのであり、仮にどこかに政治的狙いと作為があったにしても狙い通りに実現する可能性は低い。事件は錯綜した現実のなかで生起するからである。ヒョウタンから駒というではないか。謀略主体の意図を探るという歪んだ視角からではなしに、事件全体の推移を冷静に分析し、その底にある意味ある要因を探ることこそが必要なのである。「謀略主体の意図」なるものはその一齣なのである。
 こうした事件が起きないと北朝鮮亡命者の問題など何も考えない日常に慣れている私たちは、一体なんなのだろうか。どこかに、門扉の前でうつろに立ちすくむ幼女と、ワールドカップに興じる青年と、有事立法反対の声をあげる老人をつなぐ人間の絆があるはずなのである。

  事件の経過
 5月8日午後2時ころ、幼児一人を含む男女各2人の5人が、瀋陽市の日本総領事館の、1メートルほど開かれていた門扉を越えて、中国の武装警官――中央軍事委員会の指揮下にあるので、普通の警察と区別してこのように呼称されるらしいが、とくに<武装>しているわけではなく、ミスリーディングな呼称だ――の制止を振り切ってその内部に入った。いったんは総領事館の敷地に入ったこの5人を、中国の警官は総領事館の内部に踏み込んで暴力的に、総領事館外にもどし、警察詰め所に連れ込み、当地の別の施設に連行した。日本の副領事は呑気にも、もめ事の最中に落ちた中国の警官の帽子を拾って警官に手渡したりした。中国側は、当初はテロなどの犯罪の可能性から総領事館を守ったのだと説明していたが、2日後からは警官は事前に領事館に立ち入る許可を得ていたと主張し、日本側は許可は与えていないと主張している。許可がなければ、大使館などへの不侵入を定めたウィーン条約違反となる。この点で、両国の主張は大きくずれている。日本政府は「謝罪」を求めていたが、2週間も経過しようとするなかで、国際世論を配慮した中国政府は、日本政府の要求を突っぱねたまま独自の判断で、フィリピン経由での韓国への移送を決定し、23日にこの5人が無事に韓国に到着した。この事件の直前にもカナダ領事館などに駆け込んだ数人も第三国を経由して韓国に亡命していた。
 門扉にしがみつく二人の女ともみ合う警官の姿が、この亡命を組織したグループが撮影したビデオによって直ちに公開され、センセーショナルにくりかえし放映された。
 瀋陽市は、遼寧省の省都、中国で4番目、東北部の交通拠点で人口850万人の都市。清朝の都が北京に移る以前は、瀋陽に都があり、戦前までは奉天と呼ばれていた。北朝鮮国境(鴨緑江)からわずか200キロに位置している。

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