「支配階級の意志」は存在するのか 再論
個人情報保護法案に反対する経済団体のトップ
村岡 到
私は、1年前に、小泉首相によるハンセン病控訴断念の表明(5月23日)を取り上げて、「『支配階級の意志』は存在するのか」と題する小論を本紙に掲載した(第336号=6月10日)。その核心は、次の通りである。――問題を単刀直入に提示しよう。これまで、マルクス主義を何らかの形で受容する者は資本制社会の政治体制は「ブルジョアジー独裁」であり、そこには「支配階級たる資本家階級の意志」が貫徹されている、と思っている。物事をはっきり表現することが嫌われる風潮(スポーツ選手は「良い結果が出なかった」ことを「結果が出なかった」と話す)のせいもあって、さすがに「ブルジョアジー独裁」認識には滅多に出会わない。しかし、「支配階級の意志」が政治を主導していると思っている人は案外おおいのではないだろうか。小泉首相の「控訴断念」は、この認識が現実を直視しない教条主義の誤りであることを明らかにした。
1年後の今国会では「個人情報保護法案」が最重要法案の一つとされたが、結局、「継続審議」となった。この法案をめぐる動向を素材にもう一度、再論する。
その前に、この問題についての私の認識の経過をふりかえっておく。
私がこの問題について最初に触れたのは、1999年秋に発表した「『普通選挙』を誤認したマルクス」においてである。そこでは「直面すべき新たな課題」として、「『代議制民主主義』の下に果たして『支配階級』が存在すると見るべきかなのかについても改めて把握し直す必要がある」とだけ提起した(『連帯社会主義への政治理論』98頁)。つづいて、翌年夏に「『プロレタリア独裁』論の錯誤」で、「ブルジョアジー独裁」論の誤りを解明・確認した。「デモクラシー」の訳語は「民主政」が最適であることも提言した(120頁)。そして、昨年初めに「<則法革命>こそ活路」では、資本制社会から社会主義社会への変革において、「政治の領域では原理の上で根本的に変革しなければならない内実はなかった」ことを明確にした(168頁)。
この著作について、書評してくれた西川伸一氏は、私の提起の核心を的確に引いたあとで、「左翼的信条を抱く人々は卒倒するのではないか」と評した(『QUEST』第15号=2001年9月)。「本書の〔この点での〕結論は……日本政治学の通説に限りなく近い」ということである。ようやく、私たちが世間の常識に近づいたと言える(くりかえし指摘しているように、日本共産党もようやく2000年9月に綱領に違反して、この認識に到達した)。その上で、私たちは<社会主義>を志向するのである。
経済団体トップが反対表明
注目すべきことは、このメディア規制法案について、資本家階級の経済団体のトップが相次いで反対の意思表示をおこなったことである。5月中旬に、経済同友会、日経連、日本商工会議所のトップが反対、あるいは修正を求める立場を表明した。経団連会長は賛意を表した(経団連と日経連は5月末に統合し、奥田碩
日経連会長が日本経団連会長になった)。日本テレビ会長でもある氏家斉一郎民放連会長やNHK会長も反対の意志を表明した。氏家氏は、国会閉会直後にわざわざ自分たちの「主張の正しさが証明された」と会長談話を発表した。大手の出版社でも光文社、集英社、文芸春秋などが週刊誌の広告のサイドに大きく「メディア規制3法案に反対します」と連続して掲げた(この点で、岩波書店などいわゆる左派系の出版社があとに続かなかったのは何とも恥ずかしい話である)。言論人では「右派」に分類されることもある桜井よしこさんが批判を強く展開した。有事法制では日本ペンクラブ(梅原猛会長)や日弁連はきっぱりと反対声明を発した。また、作家の城山三郎氏をはじめ「左派」とは自称も他称もされてない方々が反対の声を明確にした。
このような重要な動向が、反対運動の展開とも相乗して、結局、個人情報保護法案などメディア規制法案は成立を阻止することができたのである。
このような全体的な動向のなかで、有事法制についての世論の分布が変化した(メディア規制法案についての分かりやすい比較はないから有事法制についての数字をあげる)。当初=2月には有事法制反対36%/賛成54%が、6月にはついに反対46%/賛成40%へと逆転した(日経全国調査)。この変化こそが、相次ぐスキャンダルの暴露、自衛隊による情報公開請求者のリスト作成問題、福田官房長官の核保有発言、瀋陽事件でのドジ、などのいわば「敵失」を法案粉砕のテコとして活用することができた基礎なのである。今日の民主政のもとでは、多数の意志のありかが、結局は方向選択の基礎をなしている。「支配階級の意志」なるものが存在しているわけではないのである。
日経連などは、まさに資本家階級の経済団体であり、そこのトップが反対を表明したということは、仮に「支配階級の意志」なるものが存在しているとすると、この「反対」がその意志だということになる。すると、法案を提出した小泉政権の意志は一体何なのか。この袋小路からの唯一の「出口」は「支配階級の意志」というのは一つではなく分裂することもあるという言い訳であるが、反対と賛成と真っ向から対立する二つの「支配階級の意志」があるというのなら、「支配階級に反対」と強調して叫ぶ意味はない。
何よりも重要なことは、私たちの立場に立つと、前述したような、日経連などやマスコミ主流内の動向を機敏に察知できることである。日本共産党を初めどの左翼セクトも私たちのようには、これらの動向とその意味を取り上げていないことはまさに反面教師なのである。
かくて、労働者・農民・市民の多数の意志の形成こそが、社会を動かす根本的な力であることが明らかになるのである。
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