村岡到  あるべき「レーニンと市場経済」論
            ――不破哲三講演「レーニンと市場経済」の検討    

 日本共産党の不破哲三議長は、8月27日、訪中先の北京で中国社会科学院の要請によって学術講演した。テーマは「レーニンと市場経済」で、聴衆は約100人。
 このテーマ自体は大変に興味あるもので、社会主義をなお目指す私たちにとってばかりではなく、すでに社会主義を放棄した者にとっても、あるいは資本制経済の変革は無理だと思っている人にとっても、現下の世界経済の行き詰まりを直視するだけの直感と理性が備わっている場合には、立ち止まって目を止めてもよいはずである。果たして、不破はこの問題について有益な認識を示すことができたのであろうか。
 理論的な検討に進む前に、彼が日本共産党の議長であるゆえに、政治的な意味についてまず触れたほうがよい。
 日本共産党と中国共産党との関係は80年にも及ぶ長く複雑な歴史をかかえているが、4年前に対立を修復して今は友好関係にある。今回は、不破議長をトップに筆坂秀世書記局長代行、緒方靖夫国際局長などが訪中し、不破議長は江沢民総書記と首脳会談を28日に行った。中国共産党は11月に、江総書記の去就も注目される党大会を控えている。その多忙な時期になぜ今、訪中なのかその理由は不明であるが、10年前の第14回党大会で「社会主義市場経済」なるものを導入した中国共産党指導部にとって、隣国というだけではなく、資本制社会で最大の勢力を保持する日本共産党の議長が、この「社会主義市場経済」路線に親和的なメッセージを、しかもレーニンの名において表明してくれることは、党内力学にとって小さくない効果を期待できたのではないだろうか。両党の首脳会談だけではなく、まったく異例な「学術講演」がセットされた意味はそこにあるに違いない。
 もう一つはっきりさせるべき要点がある。日本共産党はこれだけの力量を営々として築いてきたということである。政治的力量においても、理論的内容においてもである。今はどこにも見る影も失せたが、かつては日本にもいわゆる「中国派」がそれなりに存在していた。だが、21世紀の今、中国共産党から招待されるのは彼らではなく日本共産党である。日本共産党の理論的能力の衰退については、私たちは一貫して批判を加えているが、それでも日本の政党のトップの指導者のなかで、不破議長ほど著作を多産し理論的見識を保持している人物が存在するだろうか。保守系の政治家に『資本論』とレーニンを読めといってもお門違いであろうが、では福沢諭吉や『歎異抄』をテーマに「学術講演」できる首相経験者や党首がいるだろうか。学術論文を執筆することが首相や党首の条件だなどとは考えていない(ブレーンがしっかりしていればよいから)が、一定の理論的素養を保持することは、政治家の望ましい条件であろう。
 いつも確認するように、批判対象が眼前にそのような形で存在していること自体の意味を吟味・反省することなく、ただ弱点だけを叩いてもそんな「批判」にはあまり意味はない。批判が真に意味をもつのは、批判対象を批判することよりも、批判対象がそこに存在する状況全体の限界を突破することにあるからである。本稿の標題を「あるべき『レーニンと市場経済』論」としたのはその意味を込めてである。

 「資本主義市場経済」とは何か
 不破は、講演の冒頭で「日本は資本主義市場経済のただなかにあります」と確認しているが、実は、この「資本主義市場経済」なる用語は古くから使われてはいなかった。だから、日本共産党の綱領にはこんな言葉は出てこない。不破自身は何時から使いだしたのであろうか。その意味の説明と合わせて知りたいところである。不破は「世界の資本主義体制」という馴染みの深い言葉も使っているが、これと「資本主義市場経済」とはどういう関係にあるのか。新しい言葉を使う場合にはその意味を説明する必要がある。だが、不破の回答を待っていると議論が進まないから、私のほうで説明しよう。
 人間の社会を経済面で把握するさいに、生産物を引き換える場、あるいは機構に着目すると、そこで「市場」がその機能を果たしている経済を「市場経済」と命名する。経済は社会の基礎だと言ってもよいだろうが、「市場経済」が社会の基礎だと思うのは大きな誤りである。「贈与経済」もある。貨幣のない「市場経済」を考える人はいないだろうが、経済人類学は、人類の歴史では貨幣なき社会のほうがはるかに長かったと教えている。
 生産の場面に着目すると、生産手段を所有する資本家と、労働力商品を売って働く労働者との関係によって、社会の主要な生産が実現する経済を「資本制経済」という(普通には資本主義といわれる)。そこでは生産の動機と目的は「利潤」にあり、そこでは「価値法則」が貫かれている。これらのことを明確にして強調するために、マルクス主義では「資本主義」用語を多用してきた。それに対して、「市場経済」は、労資関係を曖昧にしたい意図をこめて多用されている。ソ連邦が崩壊するまで長いあいだ、マスコミでは「資本主義世界」と言う代わりに「自由世界」と称していたようにである。
 不破が「資本主義市場経済」なる新しい用語を説明もなく使い始めたのは、「社会主義市場経済」なるものを容認し、その意味を浮上させるためである。そもそもこの出発点の意図が転倒していて、邪悪なのであるが、この結論だけで終わってしまうのでは「対話」にならないから、この誤った立場からは、ロシア革命とレーニンの苦闘の意味を正しく把握できないことを明らかにしよう。
 まず、この講演では、不破は、一応は「社会主義」をめざす立場を表明しているが、資本制経済をいかなるものとして把握するかという肝心のポイントがまったく不明である。不破は「生産手段」や「生産関係」については語らない。ただ一度レーニンの言葉として「工業と運輸の分野の生産手段の圧倒的な部分」が引かれ、それらを「社会主義国家が握っている」と言うが、この文脈のなかには、労働者は登場しない。1921年のクロンシュタットの反乱について言及しているところでも、「商業の自由」が要求されていたとは言うが、「労働者管理」が問題になったことには目をつむる。この講演では一言も「労働者管理」に触れない。明らかに、不破は、生産手段を誰がどのように活用するのかという肝心な問題を脇において隠してしまっている。
 不破は、マルクスが『資本論』で未来社会でも「価値規定が残る」と、いわばなぞの一句を残していることにも留目している(私は不破より前からこの問題について論及していた)。そして、このマルクスの一句から「市場経済の存続までマルクスが考えていたとおしはかるのは無理です」と注意している――これは正しい解釈である――が、そんなことよりも重要なのは、そこでは「価値法則」はどうなるのかという問題である。ところが、不破は「価値法則」について一言も触れない。
 不破は今日の問題として「市場経済万能主義か、それとも社会的規制、民主的規制を確立した市場経済かという問題が、大きな争点」だと主張するが、「民主的規制を確立した市場経済」では、資本家は生産手段とどのような関係になるのか、あるいは「価値法則」はどうなるのか、ぜひそこまで突っ込んで明らかにして欲しい。
 資本制経済を克服する課題にとってもっとも肝心な問題について、このように曖昧なままだからこそ、不破は安易に「資本主義市場経済」などというあいまいな用語を密輸入することになるのである。ついでながら、ここに、戦前以来の講座派の弱点があり、宇野(弘蔵)経済学の優位点がある。
 講座派の弱点ということは、別言すれば古い言葉になるが「マルクス・レーニン主義」の限界ということである。私は、ソ連邦崩壊の直後に「レーニンの『社会主義』の限界」で、レーニンは「価値法則」についての認識が甘かったことを指摘し批判した。『帝国主義論』を著したレーニンが「価値法則」についての認識が甘かったとは驚きではあるが、事実である。この論文の中身を再説してもよいのだが、つい最近、森岡真史がロシア革命直後の銀行政策に焦点を当てて、レーニンの理論的限界を鋭く切開したので、そこから学ぶことにしよう。
 レーニンは1917年9月には「大銀行がなければ、社会主義は実行できない」と傍点を付して強調したうえで、「このすばらしい機関を資本主義的に歪めているものを切り捨て、……包括的なものにつくりかえる」ことを提起し、「一片の命令で『運用する』ことができる」と、実に楽観的に主張した。レーニンは「このうえなくすらすらと急速に進むだろう」とまで書いた。だが、もちろん、現実は甘くない。わずか3ヶ月後には、レーニンは一転して、「銀行事業が……数日のうちに作り替えられると考えたものは、われわれのあいだには誰一人いなかった」とウソを語ることになった。森岡が結論しているように、問題の根本にはレーニンの「銀行」理解の誤りが横たわっている。「資本主義的経済における銀行の『全能』を、金融・信用システムの総体から切り離して、銀行の内在的な『力』とみなす錯覚」に、レーニンは囚われていたのである。「銀行」理解ということは、資本制経済についての理解ということでもある。銀行は資本制経済の中枢に位置しているからである。だから、この一文の「銀行」を「市場経済」に、「金融・信用システム」を「資本制経済」に書き換えても、その真理性は変わらない。だから、私たちが、ロシア革命とレーニンの実践を検討することを通して新しく果たさなくてはならないのは、資本制経済についての認識の深化である。レーニンの認識の誤りと限界の突破である。
 資本制経済の総体と切り離して、「市場経済」だけ受け継ぎ活用することはできない。いや、できると言うのなら、その具体的道筋を示す必要がある。

 いくつかの重要な問題
 不破は、「『新経済政策』は農民との関係の改善をめざしての探究と決断」だと評価するが、<農業>について正面から問題にする認識はない。ソ連邦経済の破綻を例証するくだりで、ベトナムの「農業を視察し」たさいに「農業の機械化」について不合理な「田植え機」を見たという話をしているが、「農業」が現れるのはこの2度だけである(「“農業集団化”」は2度あり)。不破には「工業と農業との関係」(宇野弘蔵)をいかに形成するかという問題意識が欠如している。この問題意識は、私にしてもつい最近になって気づいたにすぎないが、実は社会主義経済が解決すべき大きな課題の一つなのである。ソ連邦の崩壊という巨大な負の教訓として、私たちは、<農業>を社会主義社会の基礎として定礎しなければならないのである。
 また、いつものように、不破は「くわしい青写真づくりはしりぞける、ここにマルクスの社会主義論の特質がありました」と、この講演でも繰り返しているが、仮に、19世紀後半のマルクスの場合にはそれでもよかったとしても、それから1世紀以上も経ち、ロシア革命後の74年の経験を重ねた今日でも同じセリフを繰り返すのは、この1世紀余の歴史がゼロであったというようなものである。
 まったく何もプラス面がないというわけではない。いくつかの問題では、不破は課題の所在までは気づいている。
 不破は、「市場経済」には「ほかの方式や仕組みでは間に合わせられない重要な経済的効用を持っている」として、「たとえば、需要と供給の調節という作用」をあげている。確かに、この点は重要な問題である。生産物の配給制度に頼っていたのでは、消費者の選択の自由を確保できないからである。私が繰り返し明らかにしているように、この問題は1920年代からの「社会主義経済計算論争」の論点の一つであった。ここでは説明は省くが、私はこの論争の整理を通して、貨幣に代わる「生活カード」と市場に代わる「引換え場」とがあれば、需要と供給との関係は把握できると提起している。不破は依然としてこの論争には触らない。火傷すると気づいているのかもしれない。
 不破は、「市場経済にかわって、労働の『価値』をはかるなんらかの仕組みがどうしても必要になってきます。そこには、まだ理論的に解決されていない大きな研究問題があると思います」と述べる。この認識には同意することができる。私たちは、<協議経済>構想において、この問題は「生産物評価委員会」によって解決できるのではないかと提起した。
 また、不破は、フルシチョフ報告を引いて、ソ連邦の経済がいかに無駄で不合理であったかを意地の悪い優等生が級友のミスを咎める調子であげつらっている。重量の重いほうが生産成績が高く評価されるなどの馬鹿らしいシステムについては、ソ連邦経済を批判的に考察していた人のなかでは1960年代から常識であった。不破が30歳代の青年なら問題はないが、問題は、いったい何時から不破はこんなことを言うようになったのかである。例えば、堀健三『ソ連経済と利潤』(1966年)が出版されていたころは、まったく無視していたのではないか。本人が生きているあいだは、表面的には仲良くつきあっていて、死んだ後に、「彼奴は悪い奴だった」と悪口を言う人を、信頼することはできない。私たちは、ソ連邦の崩壊を痛みをもって総括しなければならない。革命後に実際に一国の政治と経済を運営するところまで前進したがゆえに、マルクスやエンゲルスは直面しなかった新しい課題に直面したのである。そして十分な理論的準備を欠いていたがゆえに大きな誤りと悲劇を招いてしまったのである。
 結局、不破がこの講演で強調したのはただ一つ、レーニンは「市場経済を通じて社会主義へ」の路線を1921年の「新経済政策」を通して主張したという点だけである。不破は、この数年間のレーニン研究の到達点として、ロシア革命勝利後からのレーニンには理論的な「荒れ」が目立つと主張している――確かにその通りであった――が、一言でいえば「市場経済の容認・活用」と言えるこの一点だけについては批判を加えるのではなく、その後を追っている。不破は依然としてレーニンの限界のなかで、レーニンの「錯覚」をそのまま踏襲しているにすぎない。まるで孫悟空が釈迦の手のひらで遊んでいるように、言葉を弄んでいるだけである。その根底にある限界は、資本制経済についての原理的把握における歪みであり、創造的な思索の欠如である。

<注>
1)不破哲三講演「レーニンと市場経済」日本共産党「赤旗」2002年9月4日。
2)村岡到「『価値・価格論争』は何を意味していたのか」。石井伸男・村岡到編『ソ連崩壊と新しい社会主義像』時潮社、1996年、147頁。
3)村岡到「レーニンの『社会主義』の限界」。村岡到『協議型社会主義の模索』社会評論社、1999年、参照。
4)レーニン、全集、大月書店、第26巻、96頁、476頁。3つ目の一句は96頁にはない?。注5、27頁、32頁から。
5)森岡真史「初期ソヴェト政府の銀行政策」。比較経済体制研究会『比較経済体制研究』第9号=2002年、41頁。
6)村岡到「<自然><農業>と<社会主義>」『カオスとロゴス』第22号=2002年12月近刊、参照。
7)社会主義経済計算論争については、村岡到編『原典・社会主義経済計算論争』ロゴス社、1996年、参照。
8)村岡到『協議型社会主義の模索』参照。

☆文中、敬称略。

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