村岡到:第23回党大会綱領改定案の案への批判
2003.6.22 400字×14枚
日本共産党は、6月21日から開催した第7回中央委員会総会で、綱領改定案を審議しはじめた。翌22日の「赤旗」には、不破哲三議長がおこなった幹部会からの提案を公表した。
その「日本共産党綱領(案)」は分量のうえでも短くなり、中見出しを加えるなど内容的にも簡潔なものになっている。さらに、なお審議中にもかかわらず「提案」の段階から公表したことも例のないことであり、大きな前進を示している。そのおかげで、私が今日それへの批判を書けることになった。公開される部分が拡大することは大抵の場合、事態にとってプラスとなる。いやプラスに転化しなくてはならない。この基本姿勢に立って、気づいたことを整理しておきたい。決定後にはまた、改めて考えることにする。
「綱領(案)」は、以下の5つの節から構成されている。
1 戦前の日本社会と日本共産党
2 現在の日本社会の特質
3 世界情勢――20世紀から21世紀へ
4 民主主義革命と民主連合政府
5 社会主義・共産主義の社会をめざして
(以下便宜的に〔1〕〔2〕とだけ表示することにする)。
本稿では逐条的に検討するのではなく、いくつかの特徴点を明らかにするやり方で検討しよう。「綱領(案)」の特徴は以下の4点に整理される。
@憲法の意義の明確化、Aアメリカ帝国主義批判・対米従属批判、B民主的改革の強調、C社会主義・共産主義の強調、である。
本論に入る前に、〔4〕の初めで「異なる価値観をもった諸文明間の対話と共存の関係の確立に力を尽くす」と確認している点も大きな前進であり、イスラムとの対話が可能なのであれば、すぐ隣に住んでいる私たちとの対話・交流も実現してもよい時期にきているのではないであろうか。
@憲法の意義の明確化
「綱領(案)」の最大の核心的論点は、憲法の意義の明確化である。〔2〕の冒頭は「第二次世界大戦後の日本では、いくつかの大きな変化が起こった」と定言し、その「第二は、日本の政治制度における、天皇絶対の専制政治から、主権在民を原則とする民主政治への変化である」と明確にした。つづけて「この変化を代表〔別の言葉がよい〕したのは、1947年に制定された現行憲法である」とする。
この点は、3年前の第22回党大会決議でこの認識を打ち出した瞬間に、私がその重要性に注意を喚起し、先日の「綱領のどこを改定すべきか」(「稲妻」第348号)でも第1の要点として指摘しておいた問題である。したがって当然にもこれまでの4回にわたる綱領改定でも手をつけることがなかった「日本を支配しているのは」という現綱領の核心をなすテーゼ(「二つの敵」論)を撤回することになった。同じことの別の表現でもあるが、「君主制」は削除され、したがって「君主制の廃止」もなくなった。
そして、「この変化によって、……国会を通じて……変革の道を進む」ことが可能になったと連続して確認することになった。これは、私がこのかん強調してきた<則法革命>と同じ認識である。共産党が1970年の第11回党大会いらい探究してきた革命の形態の問題はある面では明らかに私たちよりも先行していたが、次の最後の一線で吹っ切れていなかったがゆえに、「人民的議会主義」なる今では死語になった言葉によって表現されてきた。「労働者階級の権力」なる(マルクスと)レーニンが押し出したスローガンが、その最後の一線であった。共産党は今日まで一貫して「労働者階級の権力」を中心的基軸として護持してきた。だが、そこにつまずきの石があった。共産党はようやくそのことに気づき、明示的にではないが改変することにしたのである。だから、「綱領(案)」では「労働者階級の権力」と言わずに、「日本国民の利益を代表する勢力の手に国の権力を移す」と熟さない表現になっている。これまでも「多数者革命」とは強調していたが、「国民の多数」と明確にすれば、それをわざわざ「労働者階級の権力」と置き換えるのは論理的には不必要かつ誤りだった。
さらに、憲法認識を一新したことによって、国連と国連憲章についてもその意義を明確にして強調できることになった。現綱領は国連と国連憲章にはまったく言及していない。補足的にいえば、憲法については成立年を記しているのだから、ここでもそれらの成立年を明示したほうがよい。また、〔4〕で「非同盟諸国首脳会議に参加する」とはっきりさせた。ここでも「党や市民による自主的外交の積極的展開」に言及したほうがよい(この数年の共産党議員団による諸国への訪問などは目を見張るものがあるからである)。
なお、この憲法認識からすれば当然にも、私がしつこく強調しているように「市民」を定立しなくてはならないはずであるが、なお「勤労市民」を3度も使っているのに、「市民」は登場しない。ただ「生存権」は書き込まなかったが「生存の自由」は姿を消した。この点では。私たちの批判は半分以上実現したと言える。
Aアメリカ帝国主義批判・対米従属批判
第二は、「アメリカ帝国主義批判・対米従属批判」である。この点は、1960年代から共産党がもっとも得意とする領域であり(その頂点は、60年代前半の「アメリカ帝国の各個撃破論」である)、一時は「帝国主義」用語を後ろに引っ込める傾向もあったが、2001年の9・11特攻テロ後の世界情勢の展開によって再びその意味を付け加えながら批判用語として復活されることになった。この点は、現下の資本制経済のグローバリゼーションをどのように解明するかという問題として、左翼に共通に問われている課題につながっている。この領域は私も不得手なので、誰かがもっとましな認識を示すであろう。
B民主的改革の強調
第三は、「民主的改革」の強調である。〔4〕は「民主主義革命」が見出しになっているが、不思議なことに本文ではこの言葉は1度つかわれているだけで、ほとんどの場合には「民主的改革」とか「民主主義的変革」が多用されている。これまでは「君主制」と認識していたからこそ「民主主義革命」が必要であったのであり、前者の認識を改変したのだから当然ながら、「民主主義革命」も不要になるはずなのである。そうなっていないのは、大きな変化が生じる場合の不徹底の見本にすぎない。
この内実として、憲法の天皇条項について「民主主義および平等の原則と両立するものではな」いという認識を示している。ただこの一文が「……立場に立つ」と静態的に結ばれているのは誤解を招く一因となる。たとえ「前衛党」は返上したとしても、単に「……立場に立つ」だけでなく、その方向を目指して活動することが、革新政党には求められるはずである(天皇条項よりも「象徴天皇制」がよい)。
また、自衛隊については、「軍縮の措置」と「憲法第9条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる」としている。前記の天皇条項での「立場に立つ」よりも実践的である。この考え方は、1998年に始まり、前大会で方針にしていた「自衛隊の活用」論を取り下げたものであり、先に見たアメリカ帝国主義認識の前面化と対応している。
本日の「朝日新聞」では「天皇制・自衛隊を当面容認」と大きな見出しで」報道しているが、ミスリードである。
C社会主義・共産主義の強調
第四は、「社会主義・共産主義」の強調である。この点は、前大会についての私の論評で「社会主義をいつになく明確に強調した」と注意を喚起し、そこに「<連帯社会主義>をめざす私たちとの共通の土俵、接点がある」と確認しておいた(『連帯社会主義への政治理論』248頁)。
まず積極的な点は、「生産手段の社会化」に焦点を当てたのは大きな前進である。また「国定の哲学」の否定については、すでに1976年の『自由と民主主義の宣言』前後から明示・強調しているが、この認識は近年になって私が強調するようになったグスタフ・ラートブルフへの着目と共通するものである(「生産手段の社会化」も特定のイデオロギーの否定も、オーストリア社会主義論の特徴であったことを想起せよ)。
他方、この問題では弱点が目につく。
「社会主義・共産主義」と併記することになったが、その区別ははっきりしない。これまで踏襲してきた『ゴータ綱領批判』の例の「労働に応じた分配」論を取り下げたのは一歩前進であるが、それに代わる区別の指標はない(なお、私が「労働に応じた分配」論の問題点を批判的に明らかにしたのは1994年である)。
共産党はかつては「社会主義生成期」説や「4つの基準」論を唱えていたが、それらはどこへ行ったのか、
〔5〕の後半に突然「市場経済を通じて社会主義に進むことは……」と書き出されている部分がある。だが、それまで「市場経済」は一度も登場していないのだから、ここは「社会主義へは市場経済を通じて進む」と一度はっきり確認してからにすべきである。事実、その前の項の「生産手段の社会化」については、論理的手順を踏んだ叙述になっている。事は書き方の問題ではなく、書き方に現れた中身の問題なのである。「市場経済を通じて社会主義に進む」は、不破哲三議長が90年代後半から強調し、昨年は北京にまで出かけて講演している論点であるが、なお未確定の部分が残っている。だから94年の綱領改定では「計画経済と市場経済の結合」と新しく書くことになった点が、今度は「計画性と市場経済を結合させた」に変えられた。ここではまた、不破が強調しはじめた「資本主義市場経済」なる用語も使われてはいない。私は、この方向は迷路への第1歩だと批判的に評価しているが、さらなる相互の認識の深化が求められている。
ソ連邦などについて認識については相も変わらず94年の綱領改定時の「覇権主義と官僚主義・専制主義」で済ませているが、この3つの言葉はいずれも対外政策と政治領域についての用語であって、経済システムが何かにはまったく答えてはいない。「いわゆる『統制経済』」なる言葉が一度でてくるが、ソ連邦経済を明示的に指しているわけではない。今春、私が「<社会>の規定と党主政」で提起したように、ソ連邦などについては、政治システムは何だったのか、経済システムは何だったのか、を明別して明らかにすべきなのである。
また、同じように「社会主義をめざす国」という新しい言葉も消えて、今度は「資本主義から離脱した国」に変えられた。しかも、ここでは中国もキューバもベトナムも登場しない。ともかく模索中ということなのであろう。この不確定ゆえに、当然一言くらいは言及してよいはずのソ連邦や中国の政府・共産党による積年の日本共産党への度外れの干渉と、それをはねのけた系統的で毅然とした闘いの意義についてまで触れずに済ますことになったのであろう。
なお依然として社会主義論については、不破だけでなく、共産党全体が、自分たちの認識が混迷状態であることにも気づいていない。
「綱領(案)」についての党員による感想のなかには「目からうろこが落ちる」と月並みな賛辞が書かれている(「赤旗」)が、いまや忘却の淵に落ちた「社会主義生成期」説についてかつて上田耕一郎は同じ言葉で絶賛していたことを思い出すのは無駄ではないであろう。
「綱領(案)」が7中総で確定したあとで、党内外で広く論争が起きることを切実に期待したい。その一助にと思い、急いで一筆した次第である。
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