村岡到:04年参院選挙の総括――劣化する政治に抗する道はどこに 2004.8.13

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「稲妻」第356号=2004年9月1日 に掲載予定

 7月11日投票の参院選挙は、マスコミ各紙が報道するように「自民敗北、民主躍進」となった。小泉首相は同日夜、続投すると述べたが、政権の求心力低下は必至である。参院選挙の結果と特徴を整理する。
 獲得議席については、表の通りである。@自民党は目標の改選51議席に届かず、A民主党は改選議席を大幅に上回る50議席。B公明党は現状を維持し、C共産党は大きく後退し、D社民党も低迷、Eみどりの会議は議席を失った。F投票率は56.57%で、戦後3番目に低かった前回2001年とほぼ同水準。

 自民党の解体すすむ

 自民党の敗北は、誰もが論評しているように、年金問題とイラク派兵の強行が国民から拒否されたことを示している。経済の低迷と社会不安の増加のなかで、とくに「人生いろいろ」発言に典型的に示された無責任とおごりへの懲罰である。
 そのことよりもさらに深刻なことは、自民党の内部解体が進んでいることである。その端的な表現が、この敗北を直視することができず、敗北の責任を誰もが取ることができない事実がくっきりと示している。大した後退ではないから、などという脳天気な論評もある(『選択』8月号)が、小泉首相や青木幹雄参院幹事長や安部晋三幹事長が責任を取って辞められないのは、後がいないからである。青木氏は選挙前には「51議席を割れば、政権は死に体だ」と明言していた。まさに「責任もいろいろ」というわけだ。
 後がいないと言えば、選挙後に暴露された橋本龍太郎元首相への日本歯科医師連盟の1億円不正献金によって、最大派閥の会長を橋本氏が辞任したのに、後釜がまだ決まっていない。
 「自民党をぶっ壊す」なる軽薄な小泉語録は、本人の意図とは別に、日本政治の底流に合致していたのだ。各種の利益誘導による選挙活動・集票マシーンが機能しなくなったことこそが、自民党敗北の真因である。その結果、今回もまた公明党の力を借りることになった。選挙終盤には、安部幹事長が冬柴鉄三・公明党幹事長に電話で協力依頼し、かつては「反創価学会」の急先鋒だった平沼赳夫前経済産業相までが候補の個人演説会で「友党である公明党」に頭を下げた。自民党は各地で、選挙名簿を渡して電話作戦を依頼した。背に腹は代えられない候補者心理が、「比例は公明に」とは言ってはいけないという建前を退けることになった(だが、10選挙区へのてこ入れ要請にもかかわらず、3勝7敗となった)。このふりかまわぬ公明党依存はじわじわと自民党の内部解体を進める。党としてのアイデンティティーが希薄になり、旧来の支持者は離反するからだ。
 敗北を直視できない党主流にたいして、「負けは負け」と認めよとする声も出始めている。8月6日には岐阜県の県議団が「地方の現状を無視した三位一体改革や、年金・イラク問題などで民意をないがしろにするおごりの政治姿勢の結果だ」とする批判を全国に発した。
 さらに二世議員の増加も政治家の質を低下させている。
 民主党も、国会開会日を欠席してまで訪米した岡田克也代表の「改憲発言」をめぐって年来の不協和音が騒がしい。9月の代表選挙を前に、岡田代表の再選をめぐって小沢一郎前代表代行が異を唱えている。8月10日の常任幹事会では、「選挙結果は民主党に対する信任結果ではない」とする選挙総括を明らかにした。翌日の地方議員の会議では「党が結束する姿を見せて欲しい」とする声が相次いだ。

 「二大政党制」は確定か?

 このように、自民党も民主党もその立党と活動の基礎が揺らぎ、不安定なのである。しかも、両党のなかで、憲法(改憲)や日米安保問題について意見の分布がクロスしている。政策的に基本的に対立しているわけではない。ユニクロ創業者の柳井正氏も「今の二大政党は似たりよったり」と評している(「朝日新聞」8月12日)。それが世間の常識であり、この場合、常識は正しくもある。そうだとすれば、マスコミがいくら「二大政党制」の定着をあおっても、政党の再編と流動は避けられないであろう。
 「二大政党制」といっても、第三党以下がきわめて少数でなければ、第三党以下がキャスティングボートを握ることになる。事実、小泉政権は「自公政権」でもある。公明党については、私自身は本格的に分析したことがないので、分からないことが多いが、目標の1000万票には及ばないが862万票の政治勢力として定着していることは確かな事実である。だが、「二大政党制」論では公明党が分析対象から外される。共産党やそれ以下の政治勢力もまったく無視される。だが、共産党、社民党、みどりの会議を合わせれば825万人の支持者となる。それを存在しないかに論を組み立てる「二大政党制」論では、日本の政治を真正面から論じることはできないことだけは確かである。私が、「第3極」論に与しないのは、「二大政党制」を大前提とするこのような思考法を取らないからである。日本社会はますます多様性を高めているのであり、その傾向に逆らう「二大政党制」論はマイノリティーを切り捨てる謬論にすぎない。どんなに困難であれ、多様性を汲みとる方向で、しかもなお安定を探る、習熟した妥協の道を創造することこそが、21世紀の日本に求められているのである。

 左翼の後退と活路

 共産党は、比例区で5議席、選挙区で重点区を7つにしぼったが、選挙区では、神奈川、愛知、京都、大阪、兵庫で現職が落選、東京でも現有の議席を失ないゼロになった。比例区で4議席を確保。得票は、比例区が436万票、選挙区が522万票(沖縄を除く)で、3年前の水準を保持した。得票と当選議席の乖離は言うまでもなく、小選挙区制の「効果」が顕在化したからである。したがって、獲得議席の激減だけから共産党惨敗と評価してはならない。マスコミが総力をあげて「二大政党制」をあおるなかで、健闘したと評価してもよい。選挙期間中に共産党が発行したリーフレット「こんにちは日本共産党です」はコンパクトに日本の現状を明らかにしており、「社会主義のカナメは『生産手段の社会化』」とまで小見出しになっている。この選挙期間中に、日本の政治勢力のなかで「社会主義」に触れたのは共産党だけである。共産党の動向と改革の方途については別に明らかにしたい。
 社民党は比例区は299万票(前回は363万票)で2議席。選挙区は前回よりも立候補区が4つ少なく10カ所で、得票はわずか98万票に半減した。それ以外の党派は立候補することさえできなかった。中村敦夫さんのみどりの会議が比例区90万票で議席獲得にあと一歩と健闘した(この勢力については、「グローカル」7月26日号の宮部彰さんの分析が有益である)。
 求心力を失いレームダック化しつつある小泉政権が、経済の構造改革、日米関係、改憲問題などについていかなる政策を取るのか、注視しなくてはならない。これらの分野は得手ではないので触れることはできないが、改憲問題については、国会の憲法調査会の動向を警戒しなくてはならないが、自民党は、「集団的自衛権の行使」に反対している公明党への配慮も必要であり、減速するのではないであろうか。公明党は、選挙直後の中央幹事会で「自公連携は重要だが、国家主義や右傾化にはブレーキ役になる」と確認した。9条改憲については依然として国民の7割が反対であり、9条改憲阻止の世論と運動の盛り上がりが帰趨を決定する。
 衆院選挙については、任期満了まで解散がないとは考えにくい。どのように政局が流動するかは予測できないが、いずれにしても総選挙となれば、自公政権と民主党との対決の構図になるだろう。共産党も社民党もこのままでは「二大政党制」に埋没してしまう。改憲戦略を推進する「読売新聞」の選挙翌日の社説が言うように、今や「社会主義的政策が成り立たない」のであろうか。何を「社会主義」と見るかはさておいて、「読売新聞」の狙いは、平和憲法だの人権だのにこだわる傾向を根絶やしにしたほうがよいというところにあることは歴然としている(プロ野球での渡辺恒雄オーナーの、古田敦也選手会会長への暴言――「たかが選手。分をわきまえろ」を想起せよ! この渡辺氏が読売新聞の改憲路線の張本人である)。だから、共産党や社民党の後退・衰退を他人事として放置することはできない。
 活路はどこにあるのか。ここでは選挙のやり方についてだけ問題にする。私は<選挙区別相互協力>方式を提起したい。<選挙区別相互協力>方式とは、一つの選挙区での統一候補を立てるのではなく、例えば東京・京都は共産党で、大阪・広島は社民党で、神奈川は市民派、というように、いわばバーター方式で相互に選挙協力するやり方である。バーターした選挙区では自分の党は立候補せずに、他の党への投票を呼びかけ誠実に実践する。これまで一度も試みられたことはないが、これ以外に活路はないであろう。もちろん、今度の沖縄のように統一候補が可能であればそれでもよいが、沖縄以外では統一候補の追求は、各党にいわば「解党」を求めることに近く、解党傾向と遠心化に悩む共産党も社民党も乗れる話ではない。次の国政選挙がいつかは未定であるが、直ちに先の方向での関係者の努力を開始しなくてはならない。
 今度の参院選挙で唯一の朗報と言える、沖縄における糸数慶子さんの勝利については、別稿「一筋の光の由来――<革新共闘>糸数勝利の教訓」(『QUEST』第33号)参照。

 政党助成金と選挙制度

 最後に、政党と選挙のあり方について、問題にすべきことがある。
 一つは、政党助成金の問題点である。企業献金を抑えるという名目で、政党助成法が1995年制定された。人口に250円を掛けた総額を議席と得票に応じて配分することになった。年間約320億円である! 政党として集金のための活動をしなくても、制度として国庫から支給されることになった。この制度は、日本の政治を歪め劣化させている。
 利益誘導によって企業にたかる、自民党の集金活動が政治腐敗の温床であることは言うまでもないが、それでもそのプロセスでは政治をめぐって何かの働きかけ・活動が存在する。それすら不要になると、その分だけ政治をめぐる活動はなくなり、無関心が拡がることになる。政党の財政のなかで政党助成金の比重が高くなると、政党としての存立が危うくなる。そのよい例が、中村さんの引退と同時に10月解散を発表したみどりの会議である。まともな主食を摂らずに健康ドリンクだけでは、人間は生きていけないのと同じである。
 この点で、共産党が一貫して政党助成金の配分を拒否しているのは正しい選択である(ただし、彼らが拒否した分が他の党に追加配分されているのは不合理であり、それを避けるためには、配分を受けたあとそのままどこかに寄付するほうがよい。あるいは、法律を改正して他の党への追加配分をできないようにすればよい)。党費と機関紙活動を主軸とする資金集めに徹しているからである。そのことが、先に確認した得票保持の基礎となっている(社民党と対比せよ)。この基礎的原則的努力は、再編と激動の到来のなかで、確実に大きな力を発揮するであろう。思想的変革が間に合って実現した場合には、と補足しなくてはいけないのは歯がゆいことだが、これも歴史の現実である。
 もう一つ、私たちは、選挙制度の抜本的改正を強く主張しなければならない。詳しく論じる能力はないが、選挙制度は民主政の根幹の一つであり、有権者の意志が有効に反映し表現されるものでなくてはならない。電子機器の発達は直接民主政の機会を増大させているが、<代議>という不可欠の通路が宿命的にもつ弱点をいかにして回避するかは大きな問題でありつづけている。だが、現在の小選挙区比例代表併用制は明らかに不合理・不当な制度である。ブロック別比例中選挙区制が望ましいのではないであろうか。また、選挙期間の延長、インターネットの活用、戸別訪問など、政治活動の自由を拡大しなくてはならない。日常の生活のなかに政治を定着させよう。
 各種の選挙総括・論評を一瞥しても、投票率の低さに警鐘を鳴らすことはあっても、選挙制度についてはほとんど触れる者がいないのは、民主政のあり方を真剣に考えていないからである(私自身がしばらく前はそうであった)。多党化は政治を不安定にするという主張があるが、多党化の基礎には<社会の多様性>が厳として存在しているのであり、金正日の独裁政治を悪の権化と非難するのであれば、多党化を容認するほかない。多党化してもなお、討論と協調による妥協の道を探れるように、政治家も市民も成熟することが求められている。社会の多様性を反映し、協調する場として、国会を創りださなければならない。
 選挙に行く人が半数であるような現状を直視すれば、夢物語と思えるであろうが、困難なこの道を切り開く以外に、複雑・多様な今日の社会を保持することはできない。この困難を避けて、強い手=独裁者の誘惑に駆られるとすれば、人類は今度こそ破滅的な末路に落ち込むことになる(ヒトラーの時代には、核兵器も国際的テロ集団も存在しなかった)。政治への関心、政治的会話、政治的活動への参加と成熟が今日ほど求められている時はない。その政治的成熟なしに、社会主義をたぐり寄せることはできない。千里の道も一歩から――未来を信じるとは、ただ愚直に努力することだけを意味するのである。

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