村岡到 北京外国語大学で学生に講義 2005年5月28日

「稲妻」第358号 2005年1月1日

 縁あって北京外国語大学国際交流学部で18回の講義をすることになった。私は日本語しか話せないから当然にも教える相手は主として日本人学生である。教える教科は哲学ということになっているが、他の大学での哲学の講義とはかなり趣きが違うであろう。時期は、11月22日から12月10日の日曜を除く毎日で、1回90分。土曜日に2回やる日もある。
 講義のテーマは次の7つを選んだ。これなら少しはましなことを話せると考えたからである。哲学・人間と社会・言葉・経済・政治・歴史・21世紀のユートピア、である。
 受講生は59人。大学1年から3年までで18歳から20歳を少しこえる学生がほとんどだが、60歳以上の男性も2人いた。教室は、100人以上は入れる大きな階段教室で、OHPとかいう紙に書くとスクリーンに大きく映る仕掛けになっていた。そこを選んだ理由は、小さい教室だと、教室の後ろにも入り口があって、不心得な学生がたばこを吸いに出て行ったりする例があるから、前にしか入り口のない教室のほうがよいだろうという配慮からだという。しかし、そういう心配はまったくなかった。私語もほとんどなく、毎回、おおむね熱心に聞いてくれたからである。講義が終わると、2、3人の学生が何か話しかけてくることもある。最後の講義で、「これで終わります。3週間、ありがとう」と言うと、最前列の学生が拍手し、つられて後ろの席からも拍手が湧き、半分以上の学生が手を叩いてくれた。予期していなかったので、非常にうれしかった。

 最初の回についてだけ報告しよう。この回は、自己紹介にあて、私がどういう人間なのか紹介した。1960年の安保闘争に高校2年生で参加したことが出発点になったこと、大学には進学しないで国家公務員として東京大学に勤務したこと、69年の10・21闘争(ベトナム反戦闘争)で逮捕・起訴され、15ヶ月東京拘置所に入っていたこと、有罪になってそれ以後いわば定職にはついていないこと、91年のソ連邦崩壊の後に思想的反省を迫られ、近年はマルクス主義を超える社会主義の道を探求していることなどを話した。もちろん、私の考えを宣伝する場ではないから、社会主義については抑えめにした。
 私だけが話しても詰まらないと思ったから、学生の意見も聞くことにした。それぞれに答えたのであるが、ここでは答えは省略して、学生の質問の趣旨だけを紹介する。手を挙げさせたら、一番後ろの席の茶髪の学生がすぐに応じて、「20歳代後半になって、定職もなく後ろめたくなかったのか」と質問してきた。次の女学生は、私が『カオスとロゴス』の編集長だと言ったものだから、この表題とキリスト教は関係があるのか、キリスト教についてはどう考えているのかと質問。最前列の年配の男性が「私は、10・21闘争の時に品川にいた」と切り出したのには驚いた。「配布したレジュメに愛について書いてあるが、マルクーゼについてどう評価しているか」と問い、フロムやバブーフの名も飛び出した。時間切れになってきたのに、手をあげる女学生がいたので指したら、「先生はマルクス主義がよいと思っていたのに、中国についてよく知らないというのはどういうことか」と質問した。4人だけだったが、初対面にしては率直かつ活発に意見が出されたと思う。
 最後に、私の話を聞いた感想と、この哲学の講義に関連して思うことを何でもよいからB5で1枚書いてくることを明日までの宿題にした。
 翌日、宿題の紙片を集めたら、出席者47人中38人が書いてきた。この学部の事務の責任者に聞いたら、かなり高率だということだ。やはり私が逮捕歴のある人間だということが一番に興味を持たれたようだ。「熱のある人」と書いてきた学生もいる。10人以上が「話が面白かった、これから期待する」と書いてきてくれたのはうれしかった。授業が対話形式だったのでよいという声もいくつかあった。「ユーモアがある」というのもあって、東京だといつもせわしく発言して不評を買っている場合が多いので、やはり余裕のある講義という形式はよいと思った。

 この大学は、北京の西北に位置する。もう少し北に北京大学や精華大学がある。学生数と敷地の大きさを知るために、学部の事務室に聞いたところ、「そんなことを考えたことはありません」ということで分からなかった。何ともおおらかなことだ。大学の60周年記念のパンフレットがあるということで、管理部みたいな別のところに行ってもらってきたが、そのパンフにも求めていた数値は書かれていない。学生数は約3000人くらいではということだった。日本人は200人くらいらしい。道路の西の向かい側に、教員や職員むけの宿舎を中心にした、東側よりも広いキャンパスがある。そこに小学校もあり、大学関係者の子どもだけでなく、地域の子どもも通っている。大きな食堂もいくつかある。中国の大学はどこも学生は学内の寮で生活している。学外から通学する学生は例外らしい。構内には新しく建設中の建物もいくつかある。樹木も沢山で落ち葉の掃除も大変だろう。
 天候は、北京は雨が少ないらしく、秋晴れの好天つづきである。空気はあまり良くない(主因は言うまでもなく、車の洪水にある)。3週間、夜に雨が降った日が1日あったが朝には止んでいた。12月に入ったら急に寒くなった。風が強くなり、おかげで空気はきれいになり、夜には星も見えた。昨年は11月中旬に雪になったというから、今年はラッキーだった。
 私が泊まっている留学生の宿舎――教室と棟続きだが――の前に新しい校舎が建設中で、朝早くから夜遅くまでガンガンと音を立てている。労働者の身なりは一見して明らかなように粗末で汗と泥まみれだ。手も荒れている。日本では見かけることは難しい服装と顔つきである。
 私が泊まっている部屋は、ダブルベッドの部屋と机や本棚などがある部屋とシャワー・トイレ付きである。殺風景ではあるが、一人で過ごすには十分だ。暖房はスチームで暑いくらいだ。窓を開けて温度を調節しないと、汗が出てくる(もう10年以上前にモスクワを訪れた時のことを思い出した。モスクワの宿舎も全館暖房で吹雪きの日に窓を開けて過ごした)。12月からは外気が寒いからか暑いということはなくなった。浴槽がないのは不満だが、湯は勢いよく出てくる。その点を除けば、快適だ。
 テレビはチャンネルの選択が86もある! 全部が使われてはいないが、1つずつしか変えられないから大変だ(リモコンがなかったからだと、後で分かったが2桁入力するのは面倒だった)。NHKのBS放送もあるから、もっぱらそれを観ていた。話題のアルジャジーラTVも韓国のKBSも、アメリカのCNNもある。音楽、スポーツ、映画、討論と何でもやっている。学内を一歩出ると、こんなにはチャンネルはなく、NHKなどは観ることはできないらしい。この大学だけ特別らしい。昨年亡くなったこの学部の初代の学院長・香坂順一が、NHKの電波が強く入るどこかの地域に大きなアンテナを設置して、そこからこの大学にどうやってかは知らないが電波を送ってきて処理しているのだという。4月に北京や武漢で観たTVは10チャンネルくらいで、絵が映るのはもう少し少なかった。
 食費はすごく安い。年輩の学生と食堂で一緒になり話したら、安い食堂なら、1ヶ月5000円で食べられるという。味は好みもあるだろうが、少し油っぽい感じはするがまあまあだ。玉子が沢山はいったスープが無料だ。5元ということは65円で満腹になる。それなのに、その廊下のちょっと手前の喫茶店ではコーヒーが25元もする。だが、物価は何でも低い。SONY製の90分のカセットテープが8元。50mlのインクが3.6元。4月に北京に来た時に会った研究者が「『アメリカで稼いで、中国で生活するのが理想』と言われている」と話していたことを思い出した。
 文字どおり、アッという間に3週間が過ぎた。何かの本で、経過しているその時には早く過ぎるが、振り返ると沢山の記憶がある時期は有意義な時間なのだという説明を読んだことがある。第一の条件は満たしたが、やがて時が経ち、その時に思いだすことが数多くあればよいのだが……。

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