村岡到:組織論についての覚え書 2004.7.1
マスコミで報じられることはほとんどないが、市民運動や労働運動の活動家のなかでは世界社会フォーラムが次第に大きく意識されるようになってきた。4年前にブラジルで全世界から10万人以上を結集して開催されたこの運動は、今年1月にはインドのムンバイ(旧ボンベイ)で10万余が参加した。2001年に世界社会フォーラム国際評議会で承認され、この運動の軸となっている「世界社会フォーラム原則憲章」も注目されている。この憲章の基調となっている世界認識についてもそうであるが、運動の進め方についての提案が議論を呼んでいる。
私たちは、すでに20年前に国際的にも通説となっていた「一国一前衛党」と「民主集中制」への批判を通して<複数前衛党>と<多数尊重制>を提起している(内容については参考文献を参照してほしい)し、国会でも話題になった党議拘束問題についてもコメントしてきたし、折りにふれて組織論をめぐる問題について積極的に論じてきたが、最近になって得た新しい知見もあり、改めて今日どのような組織論が求められているのか、論じてみたい。いつも以上に走り書きになるので、「覚え書」と断っておく。
人間は社会的な動物であり、どんなことをするにしても余程の例外でもないかぎり、自分以外の他の人間との共同を通して何かを実現する。たった二人という場合もあるであろうが、社会的に意味があり、大きな出来事であるならば、多くの人たちの共同が必要になる。共同するということは、別言すれば組織を形成することである。ハードかソフトかはさまざまであるにせよ、何らかの組織が生まれる。そうなると、その組織を担う人たちがどのように共同するかをめぐってルールが生まれ、必要となる。ここで問題となることを中心的に扱うのが組織論である。
だが、本稿で扱うのは、広い意味での組織論ではなく、政治的行動における組織の問題に限定する。簡単に言えば、政党の組織論であるが、政党に限らず、運動にとっての組織論でもある。
状況と目的が組織を規定
私たちは依然として政党、さらに<前衛党>が必要であるという立場を堅持している。その根拠について詳述している余裕はないが、一言でいえば政治のある局面では自己犠牲や英雄的行為が求められる場合があり、その必要性を否定してはならないし、そうであればそれに備えておく必要があるからである。今日では断るまでもないが、この自己犠牲や英雄的行為は、「俺は前衛だ!」と肩肘はって威張ることではない。もともと尊敬は他人に押しつけるものではなく、他人による内発的評価として生み出されるほかない。にもかかわらず、責任感をより以上にいだき、行動するという自負心が必要とされる局面と場所があることまで否定するのは誤りだと、私たちは考える。どうしても前衛党という言葉が嫌いな人には、つよい責任感を負う組織と表現してもよいが、私たちの経験では前衛党に嫌悪感を湧かせる人は、同時に「責任」と聞くと、「そんなことは私の自由よ」と反発する例が圧倒的である。
ある組織、したがってその組織論は、何よりもそれが必要とされる社会の状況とその組織の目的によって規定される。その社会を成立させている条件をどこまでも細かく考慮していると、一般的な認識は得られなくなり、そもそも何かの論を立てることもできなくなるから、どの程度の違いを意味のあるものとして考えるかが問題となるが、軍事的独裁下で、反政府党が非合法とされている社会と、民主政の社会では、政党の組織論が同一であるはずはない。今ではそんな社会はないだろうが、識字率10%の社会と教育が普及している社会では組織論は異なる。さらに、社会全体が活力があり多くの人が前向きに思考・志向している状況と、閉塞感が重く沈澱している状況とを同列に扱うことはできない。
目的という視点から考えると、災害の救助だけを目的にする政党が組織されるとは考えにくいが、そういう組織と(旧来型に)国家権力の奪取なるものを目的とする組織では、おのずとその組織論は異なる。イソップの寓話を思い出すまでもなく、人間は目的によってそれに相応する手段を選択する(私たちの場合には<則法革命>に応じた組織論ということになるが、論述のこの段階ではそこまで求めることはない)。
「民主集中制」は時代遅れ
これだけの抽象的な方法論を知るだけでも、一頃は左翼運動のなかでは不動の通説・真理とされていた「民主集中制」なるものが、そのままでは今日では通用しないのではないかという疑念が湧いてくる。何しろレーニンによって定式化され権威づけられてきた「民主集中制」は、20世紀初めに、ツアーが独裁的に支配していたロシアにおいて、非合法活動をかなり抱え込んだ、武装蜂起をも射程に据えた組織論だったからである。
一度もレーニンや「民主集中制」に同意したり感化されたことがない若い世代が、わざわざ「民主集中制」について批判する必要は少ないだろうが、そこを何らかの形で通過した者が今日、組織論を語るのであれば、「民主集中制」にたいしてきっぱりとそれは時代遅れの組織論であることを明言する必要がある。そこをバイパスして、マルクスに帰ったり、ローザ・ルクセンブルクやグラムシを思い出してみたり、新奇な流行だけ追っても時間と紙の無駄使いでしかない。
「民主集中制」について言えば、すでに何度も明らかにしているように、日本共産党は最近ではこの言葉さえ放棄しつつある(1月の第23回党大会では誰一人一言も発言していない!)。不破哲三は『レーニンと「資本論」』で組織論について語れなくなってしまった。
宗教者との関係では、共産党は興味深い動向を示している。先日も「日本共産党 知りたい聞きたい」という小さな問答のコラムでこんなことが書いてあった。「党は哲学的団体ではなくて政治上の一致を中心にして結ばれたものです」と明らかにしたうえで、「哲学上のすべての一致を入党の条件として義務づけるものではない」と答えた(「赤旗」2004年6月5日)。事実、このコラムにも紹介されているように、参議院議員でもあった小笠原貞子はクリスチャンであることを明らかにしていたが、長いあいだ副委員長であった。また、共産党は宗教者との対話と共同の経験も重ねている。
さらに、この視点を徹底すれば、私たちが近年強調しているように、ラートブルフが主張したように「社会主義は特定のイデオロギーに支えられるものではな」く、したがって社会主義をめざす前衛党もまた、イデオロギーの一致によってではなく、政治的要求・行動の緩やかな共通の方向性によって組織されるべきなのである。
なお、従来は、政党は綱領をもっとも重要な基軸としてきた(自民党まで綱領を決めている)。近年は「マニフェスト」なるものが流行っているが、綱領ではなく<憲法案>をこそ基軸にすべきだと、私は、考えるようになった。いずれ詳しく論じたい。
猪俣津南雄の組織論
最近になって得た知見を紹介しておこう。
日本の戦前の、労農派系のマルクス主義者である猪俣津南雄や山川均の理論の再評価をする必要があるではないかという問題である。社会党の世界には縁遠いところで活動してきた私は、名前くらいは知っていたが、一度も彼らの著作を読んだことも聞いたこともなかったが、千石好郎が私の見解を批判的に検討してくれた労作のなかで、「村岡三部作〔『生存権・平等・エコロジー』など〕は、〔1920年代の〕山川均の試みに匹敵する」と評価したうえで、山川が「党は……できる限り異なった意見と異なった傾向とに、大会における発表と討議の機会を与え、必然に生じるフラクションを公認しなければならなぬ」と主張していたことを明らかにし、「この見解は、村岡組織論とほぼ同じであり、まさにその先駆であったと考えられる」と評した(「村岡到社会変革論の到達点」『カオスとロゴス』第25号)。
そんなことがあったのかと思っていたら、ある労働組合の指導者が「村岡さんは猪俣津南雄を知っていますか。福本和夫のセクト主義の対極で、非常に学ぶところが多いです」と教えてくれた。早速、教示された『横断左翼論と日本人民戦線』(而立社)を求めて一読して、私も驚いた。戦前、治安維持法が猛威をふるっていた過酷な時代に、生まれたばかりの労働運動と左翼政党のなかで、このような論議(後述)が展開されていたとは! (私事になるが、猪俣は、私と同郷の新潟県長岡出身だった)。戦前の運動史や理論史を紐解く余裕はないが、組織論に限定しても、継承すべき大切な論点を明らかにしており、それらは今日でも認識の拠点とすべきである。
さらに、再刊されるという『現代の理論』の案内版で、沖浦和光が「全共闘は福本型」とつぶやいている。それ以上に論述しているわけではないが、相互に関係のない3人が、同じことを書いたり話したりしているということは、そこに大きな共通の認識と教訓があるということであろう。猪俣などに縁の深い方による、再評価が望まれる。
猪俣の著作からいくつか引いておこう。
「『内部的闘争』は、無産政党にあってはまさにその発展の活力であり、生命である」 「他の無産政党を『エセ無産政党』と罵倒したことの誤謬の清算」が必要である。
猪俣は、このように、「『福本イズム』の悪理論」を批判している(以上「新労農党の樹立を評す」『中央公論』1929年11月号)。
「大衆が現に到達している意識の程度は、したがってまたその組織的発展の程度も、前衛の行動を制約する」(「前衛発展過程の犠牲」『改造』1929年12月号)。
猪俣は、1929年初めに、冷静に運動と組織の現状を直視して「階級的前衛は蹉跌を重ねた」こと、「闘争の組織は四分五裂し、素朴な指導者利己主義と結びついて」いると指摘している(「画時代的闘争の展開へ」『中央公論』1929年1月号)が、それから敗戦をまたいで75年も経っているのに、日本左翼は依然としてさまざまに分岐し、共同行動はごくまれにしか展開されない。
ここで日本の社会主義運動史を概観することはできないが、戦前の共産党も戦後50年代末からの新左翼運動も総じて、組織論の面からみれば、福本イズムの影響下にあったと振り返ることができるであろう。ロシア革命とレーニンの圧倒的な影響の下では、多様性や緩やかを基調とすることはできなかったのである。治安維持法の苛烈な弾圧もまた、この傾向の有効性に確信を与えるものとして作用した。
さて、今日の状況にもどれば、参議院選挙の真っ最中であるが、小泉政権はついにイラクの多国籍軍への自衛隊の参加を決定し、小泉首相は6月28日に「集団的自衛権の行使ができるように憲法を改定すべきだ」とまで公言した。だが、マスコミは二大政党制への誘導をもっぱら流し、改憲阻止をめざす勢力は有効に反撃を組織できていない。
私たちが提起している<多数尊重制>は、WSF原則憲章の組織論とも重なる部分が多いし、大きく変更を加える必要を感じないが、WSF原則憲章の組織論については改めて検討したいと考えている。
いずれにせよ、これまでマルクス主義のなかでは積極的に位置づけられたことがない<多様性>の容認をしっかりと基礎に据えながら、緩やかな共同と連帯を積み重ね拡大する以外に魔法の杖はない。
<参考文献>
村岡到「複数前衛党と多数尊重制」『前衛党組織論の模索』稲妻社。
村岡到「開かれた党組織論を」『週刊金曜日』1995年3月10日。
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