村岡到 <愛>と連帯社会主義――マルクスとフロムを超えて 2003.12.29


 1 <愛>の大切さ
 社会主義をめざす人が恋愛しても何の不思議もないが、もし愛のささやきのなかで「あなたはマルクスの言うことをいま実践しているのね(いるんだね)」と言われたとしたら、彼(彼女)は何と応えるであろうか。「そうだよ(そうよ)」と応えるよりは、「マルクスが主張したのは階級闘争だよ(だわ)」と応える場合が多いのではないであろうか。マルクス(主義)と愛とはどうも親和的ではないと思われているからである。試みに『マルクス・カテゴリー事典』(青木書店、1998年)を引いても138項目もあるのに「愛」などという項目はない。
 だが、もし彼(彼女)がエーリッヒ・フロム(1900年〜1980年)の読者だとしたら、こんな言葉を思い出すことができるかもしれない。
 「人間を人間とみなし、世界にたいする人間の関係を人間的な関係とみなせば、愛は愛とだけ、信頼は信頼とだけしか交換できない。……もし人を愛してもその人の心に愛が生まれなかったとしたら、……愛する者としての生の表出〔生命発現――岩波文庫〕によっても、愛される人間になれなかったとしたら、その愛は無力であり不幸である」(1)
 これは誰がどこで書いた文章であろうか。
 フロムはいくつかの著作でこの言葉を引用しているが、晩年にハンス・ユルゲン・シュルツとの対話では、「あなた方がこれらの著作〔『経済学・哲学草稿』〕を読まれても、……すぐれたマルクス専門家でなかったら、だれが著者なのかほとんどおわかりにならないでしょう。……一方ではスターリン主義者たちが、他方では大方の社会主義者たちも、マルクス像をあまりに変質させてしまったからです」(『人生と愛』168頁)と語っている。マルクス像の正解が何かについてはここでのテーマではないから、「スターリン主義者たち」や「大方の社会主義者たち」がマルクス像を正しく理解していたかどうかは取りあえずはどうでもよいが、彼らがマルクスのこの文章に着目しなかったことは事実である。他方、禅の大家・鈴木大拙は、フロムとの会話で、恐らく上記の文章について、それは「もちろん禅です」と答えたという(171頁)。
 設問には半分は答えをすでに出したが、前記の文章は、マルクスが『経済学・哲学草稿』で書いたものである。「第3草稿」の「〔4〕貨幣」の末尾においてである。フロムは、1956年に著わした、世界的ロングセラー、そのタイトルも明確な『愛の技術』――訳題『愛するということ』で、このマルクスの文章を引用している。
 私は普通の人に比べればマルクス主義の文献をよく読んでいると言ってよいだろうが、マルクス研究者ではない。そのゆえかもしれないが、私はマルクスのこの文章を引用した著作に出会ったことはない。フロムはエルンスト・ブロッホはこのマルクスを理解していると指摘している(171頁)が、ほかにはいないようだから、フロムは例外的とみてよいだろう。
 私は最初は労働者の活動家だったのだが、1970年代末から何かを書く位置につくことになった。それ以後、それなりに社会主義について書きつづけているが、「愛」という言葉を書いたことはほとんど記憶にない。今年11月に『不破哲三との対話』を著わしたさいに、その「あとがき」で還暦でもあったので「父母の愛情」に触れたが、この時もまだ<愛>を真正面から考えていたわけではない。というよりは、愛について言及することはなにか気恥ずかしいことのように思っていた。だから、2年前に「愛」について真面目に書いた村瀬大観の文章(『共産主義運動年誌』第2号、260頁以下)を読んだ時にも軽い反発を感じたくらいである。その少し前から、私は、社会主義者で優れた法学者のグスタフ・ラートブルフに学んで、キリスト教の「隣人愛」と対比させた「連帯」をキーワードにして<連帯社会主義>なる言葉を使うようになったのであるが、そのさいも「愛」ではなく<連帯>と考えていた。(2)
 しかし、改めて考えれば、<連帯>の根底には<愛>があることは自明である。だから、〔「愛」ではなく<連帯>〕と考えるのではなく、「社会的な愛」としての<連帯>を追求しなければならない。
 まずは、<愛>の大切さを強調するフロムから学ぶことにしよう。フロムは『愛するということ』で「愛の原理」について次のように説いている。
 「愛の能動的要素」は「配慮、責任、尊敬、知である」(48頁)。
 「愛とは、愛する者〔相手〕の生命と成長を積極的に気にかけることである。この積極的な配慮のないところに愛はない」(49頁)。
 「誰かを愛するとき、私はその人と一体感を味わうが、あくまでありのままのその人と一体化するのであって、その人を私の自由になるような一個の対象にするわけではない」(51頁)。
 「愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない」(190頁)。
 人間は多様性に満ちているから、愛が生活で占める位置もその内実もさまざまであるが、これらの説明は熟読玩味すべきであり、おおむね同意できる。
 なお、フロムはここでは、「資本主義を支えている原理と、愛の原理とは両立しえない」ことをはっきりと明言している。フロムが優れているのは、この認識から資本制社会における愛の可能性を全面的に否定するのではなく、資本制社会においても愛の追求が可能であると主張している点にある。この点については、4節で検討する。
 ただ<愛>が大切だと強調するだけならば、このように説いているフロムをさらに読めばよい。だが、<愛>の大切さを認識することは、社会主義を主張し、マルクス主義を信奉してきた人間にとって何を新しく認識することにつながっているのであろうか、そのことこそが、本稿執筆の動機である。従来のマルクス主義の理解を根本的に超えて進むことを促すことになるのではないか、と予感できるからである。

 2 <愛>は「交換」できるのか
 フロムが説いた「愛の原理」を理解したうえで、もう一度、冒頭のマルクスの文章を読み返してみよう。
 マルクスが「貨幣」の項目で、シェークスピアを引用して「貨幣」の魔力(3)を批判しながら、<愛>の大切さをこの項の結論部分で記述していたことは、大いに評価できるし、しなければならない。あえて言えばフロム以外にはそのことに光をあてることができなかったことは、まことに悲しむべきことであり、逆に言えばそれだけフロムは優れていた。
 そのことをはっきりと確認したうえで、マルクスが「愛は愛とだけしか交換できない」と書いている点について、なお不十分であったと、私は考える。この一句の文意は、@愛とだけしか、とA交換にある。貨幣などでは手に入れることはできないという@については、文句なく正しい。問題はA交換にある。「交換」とは、あるものと別のものとを引換えることであるが、引換えられる2物はすでに現存しているか、確実に現存するものになると前提されている。だが、<愛>は、マルクス自身がうまく実現しない場合を「無力であり不幸である」とつづけて明らかにしているように、仮に「交換」しようとしても期待した愛を受け取ることができない場合も少なくない。だから失恋や悲恋が数多く起き、文学などのテーマになっている。つまり、商品などの交換と<愛の「交換」>とは全く異質なのである。このことに十分な注意を払うことができれば、むしろ<愛>は交換できるものではないことをこそはっきりさせるべきだと気づいたであろう。
 この文章の後段についても一概に「無力であり不幸である」と断じるべきではないであろう。愛する相手が死んでしまえば、愛は「返って」こないが、愛や幸せが消失してしまうわけではない。追憶の愛に生きる美しさを否定する必要はない。「交換」と考えるから、「無力であり不幸である」と断定することになるにすぎない。
 フロムの死後1983年に出版された『人生と愛』の訳文では、明確な説明がほどこされているわけではないが、この部分が「愛を引き出しうるのは愛のみである」と訳されている。原語 austauschen にそういう含意があるのか、マルクスがそういう意味で書いたのかは、私には分からないが、<愛>についての説明としてはこの佐野哲郎・佐野五郎の表現のほうがはるかに適切である(19頁)。(冒頭の引用の後段についてもこの訳のほうがはるかに分かりやすい)。すでにフロムを引いたように、「愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすこと」だからである。
 このフロムの説明を重んじるなら、この著作の初めのほうで、フロムがマルクスの先の文章を「みごと〔な〕表現」(47頁)とほめた点については再考する必要がある。フロムは、自分の説明とマルクスのいう「交換」とは整合的ではないと気づくべきだった。さらに、なぜマルクスは<愛>について周到に考察しなかったのかについても考えるべきであった。

 3 <愛ある労働>
 もう一つ、このことに関連して、「疎外された労働」についてここで考えてみよう。周知のように、「疎外された労働」は『経済学・哲学草稿』の第1草稿の〔4〕で説かれている。その意味でも「疎外された労働」についてここで考えることは必要でもあり妥当でもある。
 「疎外」概念は初期マルクスに特有のもので、成熟したマルクスは「疎外」概念を投げ捨てて「物象化」用語に変えたという議論(広松渉など)もあるが、エルネスト・マンデルや岩渕慶一、田上孝一が強調しているように、この理解は誤解にすぎない。だが、考えなくてはいけない問題はその先にあるのではないであろうか。
 「疎外された労働」の対概念は何なのであろうか、という問題である。「疎外されていない労働」(フロム『よりよく生きるということ』216頁)とか「疎外されざる」と書かれることもあるようであるが、これは否定形である。「殺生」の語が示しているように、「殺す」の対概念は「生きる」である。「殺さない」は殺すの否定形である。「されざる」という否定形の表現ではなくて、肯定形で積極的に能動的に表現するとどうなるのか。この問いは、哲学分野においてだけ問題となるものではない。というよりは、「哲学者」には答えられなくても、革命を経験した優れた革命家なら答えることができる。いや、答えることができた人間が優れた革命家と呼ばれるに値する。
 このことは、1960年代にキューバで問題になっていたのである。英雄エルネスト・チェ・ゲバラは、1962年10月、キューバ危機が起きた時期に「若い共産主義者の任務」と題する、青年むけの演説でつぎのように呼びかけたことがあった。
 「この教育法では、労働は、資本主義世界における強制的性格を喪失し、快い社会的義務となり、喜びをもっておこなわれ、最も兄弟的な同志愛のなかで、すべての人を元気づけ、高める人間的ふれあいのなかで、革命の歌に包まれておこなわれるのだ」。
 この気高い呼びかけを一言で表現するとどうなるのか。<愛ある労働>となるに違いない。
 私は、このゲバラの呼びかけを20年前に論文「キューバ革命の歴史的位置」で取り上げたことがあった。その時の問題意識は、<労働の動機>問題であったために、「革命の歌に包まれて」(4)というややロマンチックな表現だけは鮮明に記憶したが、この文章に「同志愛」という言葉が使われていたことは忘れていた。今度、自分の論文を読み返して、改めてゲバラの叡知に感じ入った。私の健忘症などどうでもよいのだが、<愛ある労働>がなぜもっと広範に拡がらなかったのであろうか。カストロに現実の課題を託して、ゲバラは夢を追いかけてキューバの現場を離れたからだろうか。ボリビアで無念の死を遂げた英雄を思い出す若者はいまでは少なくなってしまった。だが、彼の気高い呼びかけは、蘇るに値する内実を宿している。他方、スターリンが指令した「スタハノフ労働」は、一時的とはいえ、英雄的労働として賛美されたが、いまではその内実にふさわしく忌まわしい出来事として歴史の闇に捨て去られている。
 そうだ。<愛ある労働>こそが「疎外された労働」の対極なのである。だが、言葉だけ発してもその内実を深めることがなければ、言葉は風化してしまう。では<愛ある労働>とは何なのか。「愛する」の意味についてはすでにフロムに学んで明らかにしてきた。<労働を>愛するとは、抽象的に言えば、労働そのもの、労働対象、労働手段、そして労働の結果について愛ある態度で接するということである。別言すれば、<労働者自主管理>をめざすことでもある。不良品や社会的に害毒をなす生産物を作らないこともその内実の一つである。
 そもそもなぜマルクスは「疎外された労働」の対概念を明示しなかったのであろうか。私は、その理由は二つあると考える。一つは、マルクスは「疎外された」現実――もっと正確に言えば、その<側面>を批判することに重点をおいていたからである。その側面を批判することのみと言ったのでは言い過ぎであろうが、批判に急であったことは明らかである。人間の認識は多くの場合、従来の常識を批判することによって深化する。「疎外された」現実を「疎外された」現実として明確に認識することがなお常識になってはいない時には、現実を「疎外された」ものと認識することは簡単ではなく、先駆的であり、そこまで明らかにすることに重点が置かれるのは仕方がない。つまり、マルクスはアンチ・テーゼの提起に止まっていたと言える。
 もう一つの理由は、マルクスは「愛」をキリスト教の「愛」への反発によって敬遠していたのではないであろうか。マルクスは、「愛」ではなく、「科学」を強調した。よく知られているように、マルクスは、一番好きな言葉は何かと娘に質問されたときに、「全てを疑うこと」と答えた。これは科学の出発点であっても、愛の端緒ではありえない。だから、フロムの好意的な理解とは逆に、マルクスは愛について詳しく説いたことはない。マルクスには「愛」をタイトルに入れた著作も論文もひとつもない。もし、マルクスがフロムのように<愛>について十分に考え、論述し、強調していたならば、フロムが嘆くような、マルクスについての「誤解」は生じなかったであろうし、流布されることはなったであろう。マルクス主義と愛とが切り離されたのは、スターリン主義者などの「変質」に起因するだけでなく、マルクスその人に相当の責任があったのである。

 4 資本制社会では<愛>は例外か
 先に検討すると残しておいた問題を取り上げることにしよう。
 フロムは『愛するということ』で、「資本主義を支えている原理と、愛の原理とは両立しえない」と明確にし、しかも資本制社会においても愛の追求が可能であると主張していた。問題は、その可能根拠をどこに見出しているのかに関わる。
 フロムは、「資本主義の原理が愛の原理と両立しないことは確かだとしても、『資本主義』それ自体が複雑で、その構造はたえず変化しており、いまなお非同調や個人の自由裁量をかなり許容していることも、認めなくてはならない」(195頁)と考える。そして「現在のようなシステムのもとでは、人を愛することのできる人は、当然、例外的な存在である」(196頁)という。別言すれば、資本制社会自体は悪なのであるが、複雑だからどこか隙間の部分で愛はかろうじて可能である。確かに、このように見ることによって、愛の可能性が根拠づけられるのなら、幸せな恋人の立場からはそれでもよいのかもしれない。だが、資本制社会を正確に認識しようとする科学者の立場からは、それで満足するわけにはいかないはずである。
 そもそもフロムのいう「資本主義を支えている原理」とは何か。フロムは、「資本主義社会は、一方では政治的自由の原理〔A〕に、他方ではあらゆる経済的関係をすべて調整するものとしての市場原理〔B〕にもとづいている」(128頁)と説明する。
 細かなことにこだわると受け取られると心外なのであるが、一般には何かについての原理は一つであろう。恐らくそのために、〔A〕〔B〕の主語は、「資本主義を支えている原理」ではなく、「資本主義社会」となっているのであろう。つまり、フロムは「資本主義社会」を政治と経済の2つの分野・側面に分けて、そのそれぞれに原理があると説明している(5)。そのそれぞれの原理をいかなるものと規定するかは、まだ問題にしなくてもよいが、ともかく2つの原理があることが確認できればよい。そうなると、正確には「資本主義を支えている原理」ではなくて、「資本主義を支えている二つの原理」と言わなくてはいけない。原文が単数なのか複数なのかは分からないが、「諸原理」と訳されていないから恐らく単数なのであろう。なぜ、こんなことにこだわるかと言うと、二つの原理がともに同じ作用・本質をもっているのであれば、一括して「愛の原理と両立しない」と理解してもよい(逆に「両立する」としてもよい)が、もし、異なる作用・本質をもっているとすると、そう簡単には言えなくなるからである。父母がともに太っている人なら、あの子どもの(両)親はこの狭い座席には座れません、と言えるが、母がスマートなら彼女は狭い座席にも座れる。
 そこで、2つの原理を個別に検討する必要がある。まず「市場原理」のほうから取り上げよう。資本制経済の本質あるいは原理をいかに捉えるかも難問の一つであり、マルクスが『資本論』で苦しんだのもその解明のためであった。賃労働と資本との対立を軸とする、利潤を動機とする生産とでも表現できるであろうが、「市場原理」でもかまわない。そしてそれが「愛の原理とは両立しえない」と考えるのは正しい。そうは言えないという人もいるだろうが、私はこの点ではフロムに同意できるので、ここではこの点は争わないことにする。
 問題はもう一つの「政治的自由の原理」である。この表現よりも「民主政」(民主主義)がよいであろうが、「法の前での万人の平等な権理」をさらに深い原理とする「民主政」は、それ以前の身分制的な差別と抑圧を突破した点に本質的な意義があり、問題となっている<愛>の実現にとっては大きくプラスに作用する。けっして「両立しない」のではない。身分制的な差別による悲恋物語は尽きないが、資本制社会ではその壁は原理的には突破されたのである。
 このように考えると、「資本主義を支えている原理と、愛の原理とは両立しえない」は半分しか正しくないことがはっきりする。さらに、このことは、資本制社会における愛の可能根拠をどこに見つけるかにかかわってくる。フロムは先の引用のように、「資本主義の複雑」さに見出していた。だから「例外的」ということになっていた。今や、この認識の正否が問われることになる。
 社会を政治と経済とに分けて分析することは、リンゴを二つに割るように等分することとは違うから、数量的に確言することはできないが、政治において民主政を原理としたということは、資本制社会は、愛の可能性をかなりの程度に含むものとして成立していると認識したほうがよい。そこに歴史の前進がある。単に「複雑」なので「許容している」とか、「例外的な存在」というのではない(訳文では「許容」に「かなり」と形容句がついているが、「例外的」と整合的ではない)。
 近代以前の社会では、身分違いの恋は稀有であり、古くは「七夕物語」――中国では天帝の娘と地上の牛飼いの若者との恋――や室町時代の『御伽草子』などで描かれているように悲劇を結果することが圧倒的であったが、今日ではなお部落差別による結婚の破談・悲劇が絶無ではないが、大幅に減少したことは明らかである。資本制社会では、愛はフロムが考えるのとは逆に、特別に努力する人間だけがごくまれに実感できるものではなく、市井の普通の人がその生活のなかで、広範に愛を創造することができるし、育んでいるのである。経済システムにおける不平等が温存され、生存権が確立していないがゆえに、今日の日本では年間3万人もが自殺しており、失業者も300万人を越えており、それらに起因する愛の障害がなお大きいことを、私は無視しているわけではないが、それでも日本に住む人の多くは、愛ある生活を営み、あるいは目指しているのではないであろうか。けっしてフロムの言うように「例外的」とは言えない。そこにも資本制社会の柔軟性と強さが示されているのである。
 私は倉本聰のテレビドラマ「北の国から」にいつも深く感動するが、この優れたドラマは、愛が今日の日本で困難であるとともに、多くの人たちが愛を求め、愛を実現していることを教えているのではないであろうか。本稿執筆の途中でも「北の国から」を再放送していたが、フロムの説く愛の世界を想起した人は私だけではないであろう。広範に愛が実現しているがゆえに、多くの人びとが現状に不満はいだきながらも、この社会に順応している。それらの愛や幸せをまやかしだとか、だまされたもの、一時的なものにすぎないと断罪することは誤りである。さらに充実したものに、あるいはさらに拡げるためにはどうしたらよいかを考えるべきなのである。もとより愛の視点からだけ社会を捉えることで満足することはできないが、愛の問題に背を向けてきたマルクス主義や左翼の衰退を直視することができるなら、本稿での反省にも大いに意味を見出すことができるであろう。
 これまで、マルクス主義陣営では、愛の問題は文学などに任せてきた。1929年に「『敗北』の文学」で総合雑誌『改造』に登場した宮本顕治――20歳だった――は、「過去も現在も、プロレタリア階級にとって、恋愛や結婚の問題は、文学、芸術の中心的主題の一つたりうるものである」と、『宮本顕治文芸論選集』の「第1巻あとがき」で書いている(『わが文学運動論』新日本出版社、79頁)。このことをはっきりさせている点でも宮本は優れているが、日本共産党の綱領では「愛」は語られない。
 また、この宮本が戦前には好意的に言及したこともあるトロツキーは、文学についても異色にも深い理解を示していた。トロツキーは『文学と革命』で鋭い評論を残している。トロツキーは「芸術は感情を洗練し、柔軟にし、感受性を豊かにしながら、思想の幅を拡げ、そして個人を超えた集団の蓄積した経験を通して個人、社会集団、階級そして民族の文化的基礎に豊かな滋養を与える」(6)と説いている。「労働者がシェイクスピア、ゲーテ、プーシキンあるいはドストエフスキーから摂取するものは、人間の個性、情熱、感情の複雑な表現であり、潜在意識の心理的な力と役割の深い理解である」。

 5 梅本克己の主体性論
 すでに言及したように、少年時代から旧約聖書の世界に浸っていたフロムは、早くから仏教にも興味を拡げ、晩年には禅の鈴木大拙とも交流した。その宗教への傾斜については後述するが、宗教的なものと言えば、私たちはここで、「マルクシズムと宗教的なもの」というサブタイトルが付けられていた、梅本克己の「唯物論と人間」を想起することができる。
 戦後主体性論争の問題提起者・梅本は、1947年に発表した「唯物論と人間」の冒頭で河上肇の自叙伝から「絶対的無我という一つの宗教的真理と、マルクス主義という一つの科学的真理とは、私の心の中に牢固として抜くべからざる弁証法的統一を形成しつつ」を引きながら問題提起していた(著作集第1巻、33頁)。
 私は、確か梅本がどこかで河上肇を取り上げていたと記憶していて、この論文をすぐに見つけ出すことができたのであるが、この論文の後段に「愛と闘争との弁証法的統一」(49頁)と書かれていた! 最後にも「約言すれば、愛とか無我とかいうものは……」(51頁)と書いてある。だが、私は、そこに「愛と闘争との弁証法的統一」と書いてあったことは失念どころか、『唯物論と主体性』は何度も読んでいるのに傍線も引いていなかった(36頁)。
 後年、梅本克己著作集が編まれ、「主体性論」は2巻が当てられ、陸井四郎と田辺典信がそれぞれ「解説」を書いているが、そのいずれにも「愛」は一言も出てこない。つまり、私だけがうかつだったということではなく、<愛>を真正面から位置づけて論じることが忌避されていたのである。梅本自身もその後の著作で「愛と闘争との弁証法的統一」をさらにこの表現によって追求することはなかった。ここでも、重ねてマルクス(主義)と愛とは親和的ではなく、隔絶していたことが確認できる。
 ここでこの論文を取り上げたのは、もう一つの意味からである。そこには本稿のテーマにとっても重要な意味をもつ論点が伏在していたからである。やや長くなるが、梅本主体性論の核心をなす問題提起をその原型のまま紹介しよう。
 「人間解放の物質的条件を洞察する科学的真理と、そこに解放される人間の実存的支柱とは、解放の過程にあってもたえず触れ合っているものでなければならない。またそうでなければ解放の客体的条件もその条件としての権利を主張するわけにはゆかない。多くの場合すぐれた指導者にあっては、この触れ合い、統一は確保されてきた。理論の上では『省略』され、はげしい実践の過程にあってはもっとも重要な位置を占めたもの――報いられることを期待せぬ解放への献身とか、利己心を絶対に去るとかいわれたものがそれである。けれどもその統一が自覚的に反省され、自己の足場とする理論のうちに正当な場所を与えられるということは閑却されてきたようである。時にはそのような問題をとりあげることは非マルクス的であるかのような印象を与えもした。そのため必要以上に不自然な姿態をとることを余儀なくされる場合は現在とても跡をたったとはいえないのである」。
 周知のように梅本は「この空隙」を埋めることを終生の課題としたのであった。
 文中の「科学的真理」とか「実存的支柱」などの言葉はそれだけで反発を招くに十分だろうから、好みの言葉――相対的確かさや生き甲斐――に変えてもよいが、根源的に問われている問題の所在だけは明確であろう。その問題が「非マルクス的であるか」か否かもどうでもよい。「マルクス的である」ことが無前提的に正しいわけではないし、そんなことよりも「人間解放」のほうがはるかに大切で重要だからである。
 先に私たちは、マルクスの「交換」にこだわったが、ここでも私は一つだけ問題にしたいことがある。文中の「統一」がそれである。
 この文章で梅本は初めは「触れ合っている」と書き出し、次に「触れ合い、統一」と書き加え、最後に「統一」とだけ書いている。そして、「統一」からはすぐに「弁証法的統一」が連想・導出されることになる。だが、私は「統一」と置き換えたことが誤解の始まりだと考える。「触れ合い」を確保するだけでよいのである。
 「触れ合い」から「触合」などという造語をしなくても、<調和>というもっと適切な言葉がすでにある。「統一」と<調和>はどこが異なるのか。複数のあるものが個別にはそのままの姿を保持しながらバランスよくある状態を<調和>とし、個別の姿を変容させ一つのものになる状態を「統一」と、区別することができるであろう。喩えはいつも或る側面を示すだけであるが、部屋の中の家具は、調和していると言うが、統一しているとは言わない。緑と赤を混ぜると青になるように、一つのものになるという含意が強い「統一」よりは、他者の現存の保持を意味しやすい<調和>のほうが理解の幅が拡がるのではないであろうか。他方を吸収・吸引したりするのではなく、それぞれの大切さを尊重し、相互に認め合うことこそが必要なのである。何も「弁証法的に統一」されることはない。無理に「統一」とまで考えようとするから、解答に辿り着かなくなる。後に梅本自身が、「問題の所在は、今日もなお執拗に解答をせまっている」(『人間論』220頁)と確認している(7)。同じ次元に存在するものなら「統一」は可能な場合もあるが、異なる次元の2物を「統一」することはできない。だから、梅本が引用した河上の「宗教的真理と科学的真理と〔の〕弁証法的統一」にしても、その内実をそれ以上に説明することはできない。両者が触れ合い、あるいは<調和>していると言えば済むのである。ここでのテーマで言えば、<愛>を捨象・切り捨て・追放しないことが大切なのである。
 人間は、ある言葉にそれが伝統的に通常に理解されている核を保持しながら新しい意味を込めることによって、新しい理解の輪を拡げてゆくことが多い。ここでも、このように使い分けることによって、新しく見えてくるものがあるのではないかと、私は考えているということである。回り道はここで止めて、フロムにもどろう。

 6 <愛>と社会主義との調和
 最後にフロムの歩みについてごく簡単に、私たちの問題意識に引きつけて概観しておこう。結論をはっきりさせるステップとしても役立つと考えられるからである。
 前記のように、フロムは1956年の『愛するということ』では明確に「社会の変革」も志向・主張していた。
 さらに1968年の『希望の革命』では「産業社会を人間化すること」(147頁)が提起されていた。「訳者あとがき」でも「人間と社会の両面にわたるところの、そして相互に関連するところの変革が求められている」(234頁)と確認されている。フロムは「何人かの経済学者が解決法の一つとして<年間保障収入>を提案している」とまで書いていた(189頁以下)。ついでながら、このことを私は、私の<生活カード制>の提案にさいして参照文献の一つとしてあげたことがある(『協議型社会主義の模索』77頁)。
 さらに、1976年に著わした『生きるということ』では、「第9章 新しい社会の特色」で「経済体制におけるラディカルな変革が必要である」(235頁)と明確にし、「参加民主主義」や「十分な情報」にも触れ、「年間保障収入」や「生きるための無条件の権理」(251頁)も主張した。   
 ところが、フロムの死後1983年に編集された『人生と愛』では「退屈を拒み」などする「深層体験」だけをただ「一つの条件」として強調することになってしまった(64頁)。これでは個人の内面的な生き方の問題だけに収斂されることになる。シュルツとの対話では、マルクス主義では「経済的・社会的動機のみ」に偏しており、正しくは「二つの要因――経済的熱情ととくに人間的な熱情の双方の――を熟知しなければなりません」(210頁)とも語っているが、この著作――1970年代にドイツで放送した講演集――の全体的トーンは明らかに、一方=後者にのみ偏している。
 さらに、1992年にライナー・フンクが「『生きるということ』から割愛されたまま眠っていた幻の原稿を編んだ」(256頁)『よりよく生きるということ』では、この傾向はさらに強められてしまった。訳者の堀江宗正は「訳者あとがき」で、「『生きるということ』の末尾では社会経済的な構造の変革についての提案がなされている。それに対して、本書では個々人の心の変革を促すことに重点が置かれている」(260頁)と説明しているが、この理解は正確ではない。「社会経済的な構造の変革についての提案」がまったく抜け落ちてしまったのである。訳者は、「『生きるということ』で示された重要なアイディアは、本書においてほとんど提示されている」(261頁)と書いているが、例えば前記の「年間保障収入」や「生きるための無条件の権理」――一言でいえば<生存権>だ――は「重要なアイディア」ではないというのか。なお、フロムが「Besitz と Eigentum」(216頁)と対比的に明示しているのに、訳者は前者には訳語を示さず、<占有>と書かないことも不思議なことである。フロムは「所有から存在へ」と対比しているが、私は<所有から占有へ>が歴史の趨勢だと考えている。
 このようにフロムは初めは「人間と社会との両方の変革」を説いていたにもかかわらず、後年にいたって後者を切り捨て、「人間の内面の変革」だけを強調するようになってしまった。きわめて残念な逸脱というほかない。こういうことになるから、愛を切り捨てた(教条的)マルクス主義者は、ほら見たことか、愛なんかを取り上げるとあそこまで堕落することになると、反発し、自らの一面性に安住することになる。マルクスにしても、「社会の変革」を忘れたフロムを読んだら「変質」するなと注意するであろう。だが、愛を真正面から取り上げたことが誤りなのではなく、その一面に傾斜・偏重したことが誤りなのである。私たちはここで、フィヒテの言葉――「誤った命題は、普通、同じように誤った反対命題によって押しのけられる。後になってはじめて、人はその中間に存するところの真理を発見する」(尾高朝雄『国家構造論』岩波書店、1932年、扉から重引)を思い出す。
 私たちは、愛についても、社会の変革――社会主義についても、他方を弱めたり、無視することなく、それらの両方を合わせて追求することができるし、しなければならない。さらに言えば、愛の追求こそが、社会主義志向の根底に据えられなければならない。その意味では「愛情社会主義」と造語してもよい(私が造語するまでもなく、ゾンバルトによると「愛情社会主義」もあった。彼が『ドイツ社会主義』で「キリスト教社会主義」など「××社会主義」を187も数え上げて列記しているなかの一つであり、説明があるわけではないからどういうものかは分からない)。
 このように愛と社会主義とを<調和>――前節でその意味を明確にした――して考え、行動することができれば、例えば、前記の「北の国から」に感動する多くの人たちと社会主義とを結びつけることは容易になるであろう。倉本は、主人公の黒板五郎に最終篇「2002年 遺言」のラストシーンで「謙虚に慎ましく生きること、それがお前らへの遺言だ」と語らせている。五郎はまた「他人に喜ばれることは、金では買えない」と説き、息子の純と結婚する結の義父でトド打ちの漁師吾平は「金が入るだけが仕事ではないんだ」と叫ぶ。私は、社会主義経済=協議経済においては、労働の動機は誇りをめぐる競争=誇競になると提起しているが、それは、人間性が一変する無限の彼岸で初めて実現するのではなく、疎外された労働を経済の基礎とするこの此岸においても部分的・萌芽的にすでに実現し既知のものとなっている。このように、現実に根拠を有する夢こそが、あるべきオルタナティブなのであり、その充全な実現にむけて歩むことが、重ねるに値する人間的努力なのである。
<注>
1)マルクス『経済学・哲学草稿』岩波文庫、186頁。ここでは『愛するということ』47頁から。
2)村岡到『連帯社会主義への政治理論』参照。
3)貨幣については、村岡到「<貨幣の存廃>をめぐる認識の深化」『協議型社会主義の模索』参照。私は「交換」を貨幣を媒介とする「引換え」と狭義に理解し、貨幣ではない引換えカードによる場合を<引換え>と区別することを提案している。
4)村岡到「キューバ革命の歴史的位置」『社会主義への国際的教訓』稲妻社、129頁。
5)私は近年、人間の社会を捉える場合、今日では経済、政治、文化を明別し、その各々の側面について十全に認識する必要があると提起した。次の論文を参照してほしい。
・「『唯物史観』の根本的検討」『連帯社会主義への政治理論』
・「『社会』の規定と党主政」(『カオスとロゴス』第23号=2003年6月、37頁)。
6)トロツキー『文学と革命』T、U、現代思潮社。ここでは『革命の想像力――トロツキー芸術論』柘植書房、5頁、25頁から。なお、前者の直前で、トロツキーは「芸術は、暗い、漠然とした感情を表現するのに必要な言葉のリズムを見出し……」と書いているが、なぜ「暗い」と限定しなくてはならないのか、疑問である。
7)私は1976年に「梅本主体性論の今日的意義」において、「正解は得られなくてよい」と整理し、「課題の所在を提示することそのものが決定的に重要なのである」と結論した(『日本共産党との対話』162頁)が、本稿での理解のほうがよいであろう。また、宗教――人間の悩みを何かの原理によって個人の内面において解決しようとする努力およびその結果――については、改めて真剣に考察する必要がある。
 
<参考文献>
エーリッヒ・フロム『愛するということ』紀伊國屋書店
  『希望の革命』紀伊國屋書店
  『生きるということ』紀伊國屋書店
  『人生と愛』紀伊國屋書店
  『よりよく生きるということ』第三文明社
グスタフ・ラートブルフ『社会主義の文化理論』みすず書房
トロツキー『文学と革命』T、U、現代思潮社
  『革命の想像力――トロツキー芸術論』柘植書房


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