村岡到:武漢大学での講義レジュメ 2004.4.15
   @日本共産党の位置と特徴
   A社会主義とマルクス主義――到達点と限界
          
日本共産党の位置と特徴
           村岡 到    武漢大学 2004年4月5日


 本論の前に
A 現実とは何か?
 ・人間の被拘束性と能動的選択 歴史的に発展する
  マルクス 「人間は、自分で選んだ環境のもとでではなく、与えられた環境のもとで 歴史をつくる」(『ルイ・ボナパルトのブリューメール18日』)
 ・複雑多様な現実のどこを見るのか 社会観・歴史観が方向を与える
B 人間の多様性 可謬性 寛容 部分的真理 愛と平等 
 それらのいずれも歴史的に発展する 
  例:日本では「社会」や「人権」という概念は明治時代にはじめて意識された
誤解を伴って正解に接近する 100%正しいものはない
C 深刻な反省:なぜ先進国では150年以上も革命に勝利しないのか
 革命に勝利した中国、ベトナム、キューバの足を後ろに引っ張る先進国の労働者
D 研究者の責任:研究の時間を与えられている
E 私の話:考えるべき問題の提起 考えるヒントの提示

 1 日本共産党の現在の位置
日本:この150年間、経済的に大飛躍 極東の後進国から世界第2位の経済大国へ
     しかし、政治的には民主政(民主主義)は未発達
党員:約40万人        1980年:44万人   (自民党は153万人)
機関紙「赤旗」読者 170万人  1980年:355万人
国会議員 衆議院(480議席) 9人  参議院(247議席) 20人 
地方自治体議員 4200人(全国で約86000人)
党員の高齢化 青年の政治離れ
左翼勢力のなかでは社会党を抜いて一番大きい
 社会党:長く左翼の中心勢力だったが、1994年の村山政府いらい後退・解体
 新左翼:1960年代後半に突出したが、いまでは衰退

 2 日本共産党の特徴
A 1922年、ロシア革命の影響のもとでコミンテルン日本支部として創設
 マルクス・レーニン主義を指導理論とする  中国共産党は1921年
B 敗戦(1945年)まで非合法下で弾圧を受ける 天皇制反対・反戦を貫く
C 自主独立を追求 ソ連邦と中国からの干渉をはねのける
 1966年に毛沢東の提案を拒否  1998年に関係修復 中国共産党が自己批判
 日本国内に、ソ連派、中国派が生まれたが、いずれも消滅
D アメリカ帝国主義への批判を強調 ← 日米安保条約
 1960年代の分析は、ベトナムの兵士が活用  国際的な反米統一戦線を提起
E 議会重視の活動 労働運動との結びつきは弱い ← 労働組合の組織率20%以下に
F 組織論:民主集中制 近年は強調しなくなる
G ソ連邦崩壊以後も勢力を保持 ←→ 欧米の共産党は衰退・解体
 「巨悪の解体を歓迎」と論評
H 社会主義論:マルクス主義の国際的通説に従う 民主主義革命の強調
 スターリン主義批判の甘さ――「大国主義」としてだけ批判
 今年1月の第23回党大会で少し新しい提起 「労働に応じた分配」への批判
I 直面する課題:長期停滞からの脱却 理論的能力の枯渇
 市民運動との共闘も一進一退

 最後に――私の立場と展望
・出発点:1960年の安保闘争 新左翼=トロツキスト(世界革命論)としてスタート
現在は<社会主義者>
・1978年から、日本共産党との対話・共闘の追求
  ←→ 共産党外の左翼の党派・研究者は決して共産党をプラスに評価しない
・共産党も「トロツキスト=反革命」の悪罵は捨てたが、それ以上ではない
・共産党の自己変革に期待 日本左翼の全体的な再興のなかでのみ実現


 付 2002年10月の北京での国際シンポジウムとの関連

・このシンポジウムでの二つのキーワード:グローバリゼーション、革命の漸進的発展
・レーニン主義、その基軸としての「暴力革命論」の根本的検討
 日本共産党は実践的には議会重視 理論的には不整合 近年、レーニン批判開始
 根本的には、民主政 Democracy をいかなるものとして理解するのか(第2報告で)

 講義させていただいてありがとうございました。


    社会主義とマルクス主義――到達点と限界

                村岡 到   武漢大学  2004年4月6日

 1 マルクス主義の歴史的意義と限界
A 虐げられた者に社会変革の闘いへの能動性を明示 ←唯物史観
B 資本制経済の構造の解明 『資本論』 資本制社会の変革可能性
 労働力の商品化 生産の動機=利潤 価値法則
C 法学的考察の不十分さ
D 資本制経済・社会の柔軟性・強さを解明できず 農業の位置づけできず
 ロシア、中国など後進国に浸透 ←→ 先進国では社会民主主義思想が浸透

 2 法学的考察の不十分さ
A ロシア:法律についての無知は革命家の誇り 自白は証拠の女王
  毛沢東:中国は無天無法の国
B アントン・メンガーの「生存権」(『労働全収益権史論』1886年)に反発
 エンゲルス「法曹社会主義」全集第21巻
 ワイマール憲法(1919年)で明文化 
 敗戦後の日本憲法第25条に明記 ←森戸辰男(経済学者で社会党の国会議員)の訳業
C 経済決定論への傾斜 生産力増強主義
 政治と経済との関連は複雑 not 一方的規定 but 双方向的
D 国家とは何か 民主政とは何か なお正解なき難問
  「法律は支配階級の意志」は正しいのか  法律の歴史性を認識する必要がある
E 北京国際シンポジウムでのキーワード:革命の漸進性 レーニン主義への反省

 3 社会主義への歴史的経験――ロシア革命の教訓
A not 清算 but 教訓をつかみ取る
B 社会主義経済計算論争にかみ合えず 「机上の空論」と反発
 ミーゼスとハイエクによる反社会主義からの提起 しかし重要な問題あり
 核心:労働の評価問題 労働の新しい動機の創造
 マルクスもレーニンも一度も「計画経済」とは書いていない! 
  初出は1919年、ワイマール共和国の経済大臣
 マルクス:『資本論』フランス語版で「協議した計画による経済」と書く
C 法治への試みと挫折
D 「一国社会主義」の帰結
 中ソ対立の激化 大ロシア主義(民族問題解決できず)

 4 法治への試みと挫折
・革命直後:準備なし ←マルクスやエンゲルスは法についてほとんど語らず
・1920年代:「革命的合法性」の強調 
  後に「法ニヒリズム」と批判される ←法の死滅を強調 パシュカーニス
・1930年代:「法の復興」 ヴィシンスキー:党による統治の強調
・1936年のスターリン憲法のパラドックス
  権理の主体として「市民」を立てる ←→ 1918年の宣言では労働者だけ
  実際の政治では収容所列島
・1977年 ブレジネフ憲法
・1985年〜 ペレストロイカ 法治の強調 しかしソ連邦自体が崩壊
  労働者が政治の主体として形成されず
・オーストリア社会主義の優位性
  グスタフ・ラートブルフ 『社会主義の文化理論』1922年
   「社会主義社会でも民主政は継承」
   「社会主義は特定のイデオロギーに依拠するものではない」(1949年版後書)

 結 び
・民主政の継承、賃労働―資本関係の廃絶 変革すべきは経済関係
・国際法と国連の重視
・資本制的グローバリズムへの批判と対抗
・労働者・市民の知的成熟
・連帯し学び合うことこそ活路
  中国、ベトナム、キューバ3国の可能性、協力を

 講義させていただいて感謝します。

村岡到 1943年4月6日生まれ 『カオスとロゴス』編集長

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