村岡到:一筋の光の由来 ――<革新共闘>糸数勝利の教訓 2004.8.8

 7月11日、参院選の投票終了直後の午後8時5分ごろ、テレビで糸数慶子さんの当確がついた。20分後に、那覇市おもろまちの選対事務所に糸数さん本人が到着すると、事務所内は「わーっ」と支持者の歓声がわき、カチャーシーの踊りで勝利の喜びを表現した。糸数さんの31.6万票は、自公の候補より9.5万票多い圧勝で、1989年の参院選での革新候補喜屋武真栄の33.7万票に次ぐ得票であり、票差でもこの時の12万票に次ぐ。1998年の知事選の敗北(稲嶺県政の成立)いらいの沖縄革新勢力の勝利である。自公体制はこの6年間、県内の主要選挙――2000年県議選、那覇と浦添の市長選、01年参院選、02年稲嶺知事再選で連戦連勝であったが、今回は、自公の選挙協力のねじれが顕在化し、11月に予定されている那覇市長選を次の焦点として、沖縄の政治は流動化し始めた。投票率は54%で、前回より4ポイント下がった。
 参院選についての全体的評価は後述するが、唯一の朗報と言える糸数選挙の勝利に関連していくつか明らかにしたい。
 糸数さんはなぜ勝利できたのか。糸数さんは沖縄社会大衆党の副委員長であり、1992年から県会議員を務めていた。平和バスガイドの経歴をもつ彼女の人柄が大きくプラスに作用したことは言うまでもないが、それだけで勝利できるわけはない。誰もがすぐに分かるように、自公以外の全ての野党による選挙共闘が実現したことが勝利の最大の要因である。探るべきことは、なぜこの全野党選挙共闘が実現したのかである。そのことを探る前に、この全野党選挙共闘は、その内実と方向性から言えば<革新共闘>であったことをはっきりさせておく必要がある。「社会主義」や「革新」を死語にしようとする傾向が強まる中で、マスコミを初め「全野党共闘」が多用されているが、3月に結ばれた沖縄社会大衆党、民主党、社民党の三党協定を一読すれば、それが「革新」色の強いものであることがはっきりする。「憲法9条堅持、改悪反対」と明記されているからである。「民主党のマニフェスト」は「創憲」である。まさに沖縄だからこそ、民主党もこの内容で合意するほかなかったのである。この沖縄ゆえの特性を活かすためにも<革新共闘>と表現するほうがよいのである。
 
 <革新共闘>実現の要因
 沖縄で<革新共闘>が実現した第1の主体的要因は沖縄社会大衆党の存在である。候補者が沖縄社会大衆党副委員長であることがそのことを明示している。6年前には同党委員長の島袋宗康さんが2期目の勝利を収め、その後継でもある。
 沖縄社会大衆党は、1950年、まだ沖縄が米軍の支配の下にあった時代に創成された政党で、1970年の「本土復帰」以後、主要政党が本土の政党の支部に編入されるなかで、ただ一つ系列下を拒否して、沖縄としてのアイデンティティーを守りぬいた土着政党である。48議席の県会に4議席を保持している(共産党は3議席)。「沖縄社会大衆党が存在すればこそ、……革新共闘なども幅広く展開することができた」と、誇り高く確認されているとうりである(『沖縄社会大衆党史』1981年、発刊に際して)。
 だが、近年、社会党が社民党となり、日米安保条約容認へと路線転換したことによって、安保廃棄を堅持する共産党との対立が深まるなかで、さらに民主党が沖縄でも台頭し、<革新共闘>は崩れ、前記のように敗北を重ねてきた。分裂は惨敗に直結することは3年前の参院選でも実証済みであるにもかかわらず、今回もまた、前記の三党協定発表によって、共産党が独自に立候補を表明し、またも分裂選挙かという局面に立ちいたった。
 瀬戸際で分裂を回避して、<革新共闘>を実現させた第2の主体的要因は、良識を備えた権威と実力のある人脈の存在である。山内徳信、親泊康晴、新崎盛暉ら7人が呼びかけ人となって、3月中旬から県内の各野党に統一のために真剣な申し入れをおこなった。山内は元・読谷村長、親泊は元・那覇市長、新崎は沖縄大学学長であり、彼らは県内の革新陣営の人望厚い重鎮である。
 この過程については、熊谷伸一郎さんが『週刊金曜日』のルポ「平和のための共闘」で活写している(7月2日号)。核心は次の親泊発言にある。糸数さんの後援会長を引き受けた親泊さんは、「新聞で三党協定のことがでて、これでは共闘が崩れてしまうと、その場で〔沖縄社会大衆党〕書記長に電話して、後援会長は引き受けませんと言いました」と、その内幕を静かに語ったという。沖縄社会大衆党が反省を表明し、4月末日に沖縄社会大衆党と共産党との選挙協定が成立したが、それは、親泊さんの認識と決断、その通告の延長上に可能となったのである。受け止めた共産党も以前よりは成長したと言える。
 私がここで、第2の主体的要因をあえて「市民運動の存在」と表現しないのは、市民運動が嫌いだからではない。前記の7人を突き動かした背景にはもちろん沖縄の市民運動の存在があることは言うまでもない。だが、それにも増して、政治的経験も深く、社会的にも影響力が大きく、人格的に高潔な、道徳的ヘゲモニーを身につけた人物の存在が、「その時、歴史は動く」転換点には不可欠だからである。そういう人物は長い経験が作り出すのであり、実績を尊重することが大切だからである。過去の実績を尊重しなければ、未来を切り開くことはできない。この実績尊重の姿勢は、政党への正当な評価をも可能とする。「今や政党ではなく、市民運動こそが主役」という傾向があるが、そのような政党への反発は、そこにどれほどのリアリティー(別言すれば政党の未熟と誤りなど)があろうとも、克服しなくてはならない。本当に政党が軽視・否定されるべきなら、なぜ沖縄社会大衆党所属の糸数さんでよかったのか。沖縄社会大衆党は政党ではないというのは、侮辱であろう。
 そして、彼らをしてここまで動かしたのは、イラクへの自衛隊派兵が強行され、憲法改悪の動向に拍車がかかる現下の情勢の緊迫化である。米軍基地は居座りつづけ、今また辺野古に米軍基地が建設されようとしている。今度は負けられない! これこそが、<革新共闘>を実現させた第3の客体的要因である。第二次大戦で住民の4人に1人が殺され、今なお在日米軍の75%が集中する沖縄の歴史と現実がそこにある(本稿では説明の余裕はない)。
 この<革新共闘>の実現は、自公体制の亀裂をさらに顕在化させた。昨年11月の衆院選挙で現職でありながら、自公候補のために自民党公認が得られず落選した自民党の前衆院議員下地幹郎氏が「自公のひずみを正す県民」と刷り込んだ、糸数さんの選挙用名刺を1万枚も配って、投票を呼びかけた。自公の選挙協力はこのような歪みを生んでいる。

 糸数選挙に鈍い本土の左翼
 次に、糸数選挙にたいする本土でのかかわりについて反省したい。
 4月30日に沖縄社会大衆党と共産党との選挙共闘が成立して、革新統一候補が実現した直後に、私たちは、「糸数勝利を改憲阻止闘争の突破口に」とアピールした(オルタナティブの広場の13人が署名)。47都道府県で唯一、沖縄だけ革新共闘が成立したこと、改憲状況の深化のなかで何とかしてNOの声を沖縄で発し結実させる必要があること、この2点をきわめて強く痛感していたからである。
 そして、私たちは微力は承知のうえで、「糸数慶子さんの勝利をめざす会」を立ち上げ、カンパを呼びかけた。わずかであり恥ずかしい水準ではあるが、短期間であったにもかかわらず160万円集めることができた。呼びかけ人のなかには現地に支援に行った人もいた。
 だが、本土での糸数選挙への無関心、軽視は酷い水準であったと言うべきである。6月18日に開かれた「糸数勝利をめざす緊急集会」にはわずか37人しか参加者がいなかった(首都圏、あるいは本土ではこの小さな集会しか企画されなかった)。糸数さんへの投票を呼びかけた党派はごく少数であった。沖縄問題に関心が高い、いわば本土の沖縄派の活動家のなかでもきわめて反応は鈍く、全体的には冷ややかであった(選挙の前にも後にも「糸数恵子」と誤植する党派もあった)。一般的に多くの問題で沖縄と本土では温度差が大きいという歴史的背景に加えて、選挙嫌いと共産党嫌いが糸数選挙に背を向けることになった。3年前の参院選で東京で沖縄社会大衆党と組んで候補者を立てた部分もその惨敗ゆえに、動きが鈍かった。本土では糸数さんには投票できないし、糸数さんとセットにして本土で投票できる候補がいなかったことも無関心を加速させた。
 この選挙嫌いと共産党嫌いの傾向は、1960年代以降の新左翼運動の特徴的属性であった。というより、その存在根拠であったとも言ってもよいが、この二つの傾向を根本的に克服・払拭することがきわめて重要である。そのことは、選挙中心主義になるとか、共産党シンパになることをいささかも意味しない。選挙以外の集会・デモなどの活動を軽視する
ことは昔も今も誤りである。同じように、選挙(や法律)を軽視することも誤りである。選挙に背を向ける、法律を無視した「実力闘争」重視は、結局は国政選挙になると手も足も出ない蛸壺への陥没だけを結果したのである。選挙と選挙以外の集会・デモなどの活動は、月並みな表現になるが、車の両輪だったのである。共産党についての評価についても特に共産党だけをプラスに評価するということではなく、どのような政党・党派であろうが、あらかじめ排除するのではなく公平に評価するというだけのことである。
 糸数慶子さんの勝利をめざす会は、「統一こそ平和創造への道――糸数慶子さんを迎えて」を掲げて集会を呼びかけた。「沖縄から 新しい風 今 国会へ」――この思いを拡げ共有して、次の闘いに進もう。

 参院選の諸結果
 最後に、今度の参議院選挙について、総括の要点を列記する。
 @自民党の敗北。この3年間の小泉政権への批判と拒絶の声である。
 A民主党の躍進は、「二大政党制」へのマスコミによる誘導が大きく作用した。改憲問題などでの内部の均質性の欠如は、岡田克也代表体制の不安定を招来。
 B自民党の内部崩壊が深刻に進んでいることを露呈。利益誘導の集票マシーンが機能不全に陥り、公明党の選挙協力に頼る傾向が増大している。加えて、橋本龍太郎元首相の不正献金が露見し、最大派閥の橋本派が解体しつつある。
 CこのABは、「二大政党制」の基礎が脆弱であることを意味する。公明党の存在についても、改めて検討する必要。
 D共産党は、議席では激減したが、得票では比例区436万票、選挙区では552万票を確保した。資本主義への明確な批判、先駆的な政策的提起こそが存在理由であり、その点での反省と変革が必要。
 E小選挙区制が中心になっている現在の選挙制度を根本的に変革する必要がある。(詳しくは、個人紙「稲妻」9月号を参照)   (『カオスとロゴス』編集長)


集会案内統一こそ平和創造への道――糸数慶子さんを迎えて

沖縄から 新しい風 今 国会へ

  ○9月22日(水)午後6時 入場無料
  ○南大塚ホール(大塚駅南口)

7月の参議院選挙において、沖縄で全野党が協力して、統一候補の糸数慶子さんが勝利しました!
沖縄から、みずみずしい風が吹いたのです。
なぜ沖縄では全野党が協力できたのでしょうか?
統一候補の糸数さんが、約10万票もの大差で自公候補に勝利できたのはどうしてでしょうか? 
この沖縄の勝利から学べることがいっぱいあります!
糸数さんを囲んで、これからの平和の創り方を考えましょう!!
「糸数さんって名前は知ってるけれど、どんな人?」とお思いの方もぜひいらしてください。
集会内容
 糸数慶子:沖縄の心を国政に活かす
  報告:革新共闘はなぜ実現したか
   新崎盛暉(前沖縄大学学長)
   熊谷伸一郎(ジャーナリスト)
   辺野古ボーリング調査阻止 太田武二
挨拶:比嘉京子(沖縄社会大衆党)など
スローガン
・イラクからの自衛隊の撤退を! ・ジュゴンを守ろう・ヘリポート基地反対!
・普天間基地の無条件返還を! ・9条改憲阻止!

主催:糸数慶子さんの勝利をめざす会

協賛団体
沖縄などから米軍基地をなくす草の根運動 
沖縄文化講座 
オルタ・フォーラムQ 
基地のない平和な沖縄をめざす会
基地はいらない女たちの全国ネット
自然と人間 
自由法曹団
週刊金曜日 
たんぽぽ舎 
日本国際法律家協会 
命どぅ宝ネットワーク 
一坪反戦地主会関東ブロック

 〔連絡先〕 〒112-0012東京都文京区大塚5-6-15ワイビル401保田・河内法律事務所内
  電話 03-5978-3784  Fax 03-5978-3706

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