村岡到:政治の目的は妥協にある 2004.4.24

 私は、1960年の安保闘争いらい新左翼の活動家として生きてきた。だから長いあいだ政治にかかわってきたといえるであろう。近年は「新左翼の活動家」という自己規定よりも<社会主義者>と自称するほうが自分に合っていると思うが、それはともかく、これだけ長く政治にかかわってきながら、その政治とは何なのか、改めて考えるところがある。
 いくつかの問題意識がしだいに成熟してきたのであるが、一つは、左翼の政治における対立・抗争をいかにして解決するかという問題である。もう一つは、政治、経済、文化はどのような関係にあるのかという問題である。私はこれまで、マルクスの唯物史観を検討するなかで、政治と経済との規定関係については少し明らかにしてきたし、社会について、政治、経済、文化と3つの領域あるいは次元として<文化>も加えて並列してきたが、この3者を関連づけて説明できなかった。並列だけでも見落とすよりはましであるが、肝心なのは3者の関連であることは言うまでもない。後述するように、政治についての新しい認識は、この関連を解くカギを提供してくれた。
 さらに、直接的なきっかけは、2度目となる中国訪問によって、中国をいかなるものとして理解・評価するのかを初めて真正面から問われたからである。この反省と思索のプロセスについては、それ自体はっきりさせる必要があるが、ここでは1989年の天安門事件の評価が一つの大きな問題として、私のなかで浮上してきたとだけ記しておこう。
 本稿では、第1節で政治とは何か、政治の目的とは何かを明らかにする。第2節では第1節の新しい認識が現実の実践のなかでどのような効果を発揮するのか、を明らかにする。経済学は株で儲けるための理論ではないが、政治についての認識は、政治的実践に大きく作用する。ここにも政治の特徴・性質があるが、そのことも本稿をとおしてしだいに明らかになるであろう。
 政治という単語をヒントに連想ゲームをしてみたら、どんな言葉が発せられるだろう。もちろん人それぞれであるが、左翼の活動家なら、階級闘争、階級支配、をまずあげるであろう。権力という答もある。独裁とか暗殺などという暗い陰のある言葉をそっと口にする者もいるかもしれない。現に、つい先日、イスラエルのシャロン首相はパレスチナの指導者を公然とロケット弾で殺害した。
 文学者の埴谷雄高は『幻視のなかの政治』(未来社、1963年)で「政治の裸にされた原理は、敵を殺せ、の一語につきる」と書いた。「政治の意志」は「やつは敵である。敵を殺せ」(24頁)に端的に示されていると書いた。私は、埴谷の評論集を何冊か読んだ程度で埴谷の好む闇の世界に深くはまることはなかったが、難しい漢語や比喩を巧みにこらした鋭い考察は魅力的ではあった。1960年代に社会的に登場した新左翼全体が、埴谷を肯定的に受容したり継承しようとしたわけではないが、それでも一部には深い影響を与えたし、逆に鋭角的に批判・否定する傾向はなかったであろう。日本共産党系の人々は対立とまで言わなくても敬遠・疎遠な位置にいたと言える。
 この論文を書こうと思って、40年ぶりに『幻視のなかの政治』を手にした。確か前記の「敵を殺せ」が書かれていたはずだと頁をめくったら、すぐにサイドラインに気づいた。そして、随分と遠くまできたのだなと実感した。私が本稿で明らかにしたい問題は、標題にも明記したように、<政治の目的は妥協にある>という点にあるからである。この認識は埴谷の政治理解の対極に位置する。戦時中に共産党員として獄中でレーニンの『国家と革命』を越えて、マルクスがプルードンの『貧困の哲学』を『哲学の貧困』とひっくり返したように、『革命と国家』として著作をものしようとしたと言われている埴谷が、レーニンやマルクスをどのくらい正確に理解していたかは検討したことはないが、大枠の認識としては、埴谷の政治理解ということは、別言すれば、レーニンの政治理解と置き換えても、マルクスの政治理解と置き換えてもかまわない。歴史を階級闘争の歴史であると声高に主張したのはマルクスだからである。

 1 政治とは何か

 まず、政治とは何であろうか。
 初めに日本共産党系の『社会科学総合辞典』(1992年)を見てみよう。「あらゆる政治闘争は階級闘争である」という、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』の命題を引用したうえで、「被支配階級が搾取からの経済的解放をなしとげるためには、支配階級の国家権力をたおし、みずからの国家権力を樹立しなければならない。その意味で、政治とは国家権力をめぐる階級闘争のことである」と説明されている。さらにレーニンから「階級間の政治闘争のもっとも純粋で完全ではっきりした表現は、政党間の闘争である」を引用している。
 この説明では、「支配階級」と「国家権力」が基軸とされている。これが、マルクス主義者の共通の理解である。日本共産党をさまざまに批判する党派や無党派でも左翼と自任している場合には、後段のレーニンの引用はともかく、前段についてはさしたる異論はないであろう。一言でいえば「階級闘争史観」である。
 私自身も長いあいだこの理解で済ませていたのであるが、近年、民主政や法(律)について思索を重ねているうちに、この理解に疑問を抱くようになった。疑問の核心は、この理解では、「支配階級」と「国家権力」という政治よりは抽象度が低いと思われるレベルの事象が基軸に据えられることによって、政治の歴史的な発展が見落とされているという問題である。階級闘争のあり方・展開の形態もまた変化することが見落とされたのである。言うまでもなく、政治は政=祭りごとともいわれていたように、歴史をさかのぼるほどより未分化であった。
 「政治とは国家権力をめぐる階級闘争のことである」とする理解からは、政治の目的、同じことだが政治にかかわる目的は、その「国家権力を獲得する」ことに設定されざるをえない。事実、マルクスは『共産党宣言』で「まず国家権力の獲得」を課題として掲げた。なぜ、「まず」なのかについては、私はすでに批判的考察を明らかにしたが、実は「国家権力の獲得」そのものに落し穴が潜んでいたのである。マルクスのこの理解では、歴史は可変的であり、主体的な努力によって変革可能であることを強調したマルクスには似つかわしくないと思われるが、「国家権力」なるものだけは、歴史貫通的に変化しないものとされている。変化するのは、その「国家権力」の担い手だけである。誰が「国家権力」を握るかだけが問題とされているにすぎない。確かに、資本家階級に取って代わる労働者階級は生産の主体的な担い手であり、社会の多数を占めている点で、旧来の支配階級とは異なると考えられているが、にもかかわらず、この階級が「国家権力」を握るという点では変りない。原理的に言えば、万人平等の民主政ではなく、労働者階級の権力の樹立が目指されている。それを「プロレタリアート独裁」とどぎつく表現するかしないかは、実は付随的な問題にすぎない。だから、革命に勝利したロシアでは、勝利の翌年1918年1月に発した「勤労被搾取人民の権理宣言」において、権理の主体を「勤労者」とだけ限定し、そのことが1789年のフランス革命の原理を超えるものだと思われていた。旧支配階級には選挙権が与えられなくても当然とされていたのである。
 確かにレーニンは「国家の死滅」を遠望してはいるが、マルクス自身は『ゴータ綱領批判』で「国家制度は共産主義社会ではどんな変革をこうむるだろうか? 現在の国家機能に似たどんな社会的機能が生き残るだろうか?」53頁。と慎重に問題提起していた。レーニンの強調する「国家の死滅」が、スターリンによって腹のなかでは無駄な理論として投げ捨てられ、表面的には辻褄合わせのために、死滅のために強化するという「弁証法的説明」が編み出されたのは、単にスターリンの乱暴のゆえではなく、そこに理論的な空隙があったからなのである。私は、「国家の死滅」を遠望することを放棄する必要はないと考えるし、遠い人類の未来を今日の制限された体験と知識によって予測・即断することは避けたほうがよいと考えるが、今日、私たちに緊喫に問われているのは民主政の充全な実現だと強調するほうが実践的である。
 ついでながら、30年近く前に「プロレタリアート独裁」を否定した日本共産党は、ようやく今年1月の第23回党大会で綱領から「労働者階級の権力」を削除した。
 話を原理的考察にもどそう。マルクスは「国家権力」を歴史貫通的に変化しないものと考えていたようであるが、近代の民主政は、この「国家権力」の内実・あり方を根本的に変化させた。法の前での万人の平等な権理を原理とすることによって、特定の支配階級が保持する国家権力ではなくて、その社会の市民の多数の意志を体現する国家権力へと変化したのである。だから、支配階級の意志なるものがどこかにあり、それが政治の動向を基底的に決定しているのではない。
 その好例は、つい先日スペインで生起した政権交代とそのことによる、イラクからのスペイン軍の撤退である。一体、スペインの支配階級はどこで、その階級的意志を変更したのか。変化したのは、スペインの市民の多数の意見であって、支配階級の意志ではない。スペインの新しい首相サパテーロは、この多数の市民の意志に従って、スペイン軍の撤退を決定したのである。「支配階級の意志」説を正しいと思っている人は、ぜひともスペインの「支配階級の意志」がどのようにして、どのような手続きを経て変化したのか明示しなければならない。
 では、政治とは何なのであろうか。
 私は、政治とは、<社会の秩序のための調整>と理解するのが正しいと考える。格好をつけて言えば、「秩序のための調整の art 技術・芸術」である。こんなことは恐らく誰か先人が解き明かしているであろうが、政治学にもうとい浅学の私が知らないだけかもしれない。試みに『広辞苑』を参照すると、そこでは「人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、人が他者に対して、また他者とともに行う営み」と説明してある。「形成と解体」と言葉を重ねなくても現にある秩序の解体は新しい秩序の形成に決まっている。社会的な行動を問題にしているのであって、個人の夢や日記の記述を問題にしているわけではないから、「人が他者に対して、また他者とともに」などとくどく説明する必要はない。「秩序の形成」でもよいが、そこではさまざまな利害・衝突の解決のために調整が主要に展開されるのだから、「調整」と明確にしたほうがよい。
 不思議なことに、『社会学小辞典』(有斐閣、1977年)には、「政治意識」など「政治××」が16項目もあげられているのに「政治」という項目はない。
 その関連づけについては後述するが、ここで、経済と文化についても触れておこう。
 経済は、社会の物質的・精神的基礎を生産・分配する営み・過程である。
 文化は、社会の豊かさの表現である。
 問題は、この新しい――と言ってもマルクス主義者にとってはという意味であって、『広辞苑』に明らかなように世間の常識なのであるが――理解によって、何が新しく理解可能となるかにこそある。

 2 「妥協」であることの意味

 政治が<社会の秩序のための調整>であるとすれば、政治の目的はその調整のための<妥協>にこそある。対立し争う争点や衝突に直面して、それぞれの主張・利害をどこで妥協するかが政治の焦点となる。時代を遡ればさかのぼるほど、暴力が事を決する場面が多いであろう。それは調整というよりは、抑圧・支配というほうが分かりやすいであろう。言葉には外延性があるから、そのことを分かったうえで「調整」と言っても間違いであるわけではない。
 <妥協>であるということは、さらに重要な意味を含んでいる。そこでは正しさや真理の追求は目的ではないということである。
 ある争点についての政治的解決、あるいは政治的決断は、真理を体現したものではなく、妥協の産物なのである。そこで決せられた政治的結論は、いわば清濁あわせた混合品である。左に決することが正しいと考えている人間や集団にとっては、右に近い妥協点は許しがたくもあり、とても真理の実現とは評価できるものではない。右に近く事が決した場合にも、右をよしとする人間や集団にとっては100%右ではないからなお不満が残り、真理とは思えないだろう。
 したがって、ここから次にはっきりすることは、或る政治的決断や決定された方針を100%正しいものとして打ち出すことはできないということである。逆に言えば、そこで否定・否決された、最終決定とは異なる主張についても100%誤ったものと断罪すべきではないのである。それぞれに、「正しさ」を内在させ、反映させているものとして相互に認め合うことが必要であり、大切なのである。「勝てば官軍」という言葉があるが、勝ったからと言って、100%の正義を体現しているわけでもなく、負けたほうに大義がひとかけらもないというわけではない。
 別言すれば、政治における正しさ=正義や真理は、自然科学における真理とは大きく異なる。だから、政治では「正しさ」というよりは<正義>と表現される。宇宙工学では0.999まで正確でないとロケットは打ち上げに失敗するから、ロケットの部品には高い精度が求められるが、幼児のお絵かきではキリンの首が少し短くても犬と区別される程度に描くことができれば、母親は正しく描いたと満足する。正しさの基準が異なるからである。政治における正義の、この特質を明確に認識することが重要である。
 だが、左翼の世界では、いつから定着したのかは調べていないが、スターリン時代のロシアでも、日本共産党の内外でも一つの党や勢力の内部から政治的に異なる道を選択する者が出てくると、直ちに「反革命」だの「反党分子」だのと、100%の悪であるとして断罪されることが繰り返されてきた。その理論的、政治風土的な背景と前提は、前記のような政治理解――階級闘争史観にほかならない。
 このような愚かな対応・習性は、いいかげんに卒業しなければならない。「トロツキスト」などという罵倒もその一つであった。今ではこの言葉も幸いなことに死語になった。だが、勢力減退のゆえに、あからさまな言動はなくなったというだけでは全く不十分である。その根源にまでメスを入れて、反省しなければならない。さきに、日本共産党が今年1月に綱領から「労働者階級の権力」を削除したと一筆しておいたが、これほど重要な論点について、不破哲三議長は一言も説明しない。ただ今度からは言わなくするというだけである。「トロツキスト」の不使用もそれと同じである。

 3 愛と平等の思想の意義

 では、正義はどうでもよいのか。力だけが事を決する、極言すれば暴力が支配するだけでよいのか。こんなことを是認するために、私は頭を悩ましているわけではない。それでよいのなら、「敵は殺せ」という埴谷の世界に沈潜していればよい。私たちは、結果としては妥協を目的とする政治において、正義を追求する。そこに<思想>の役割と位置がある(政治との関連性を意識するなら、思想というよりは法ないし法学と言ったほうがよい)。<思想>とは、文化の一種であり、言葉によって表現された、社会の豊かさの表現である。より正確にはある高さに達したと補語したほうがよいだろう。人間は太古の時代から今日まで言葉を伝え、蓄積しながら豊かさの内実を高めてきた。もちろん、言葉だけでなく音楽や絵画、舞踏なども人間の文化の大切な内実であるが、ここではそこまで話を拡げることはしない。人間は多様性に満ちているから、さまざまな思想が存在する。各人が真理と思う内実は異なることが多い。
 思想的には、断固としてその信じるところを主張し、或る場合には一命を賭すこともあるだろう。大正時代の法学者穂積陳重が名著『法窓夜話』の最初に、ローマ時代の法学者パピアーヌスが暴君の命令に反して生命を落とした逸話をあげて、「未発の真理を説いて一世の知識を誘導するもの」としての「学者」(1頁)の覚悟、生き方を説いていたが、そのとおりである。政治による不当な干渉・暴圧に抗して、学問の自由は貫徹されなければならない。
 だが、政治的には、妥協の人であることが求められる。だから、思想に殉じるとは言うが、政治に殉じるとは言わないのである。いずれの道を選択するかは、その人のまさに思想にかかっている。
 私自身は<愛と平等>を重んじて貫き通そうとする思想こそがもっとも正義にかなっていると確信している。その実現のためにこそ生きたいと努力しているつもりである。私はこの思想的立場に立脚して政治にかかわっている。しかし、にもかかわらず、政治の場においては、私の主要な努力は、私とは異なる立場や考え方の多くの人びととの妥協にこそ払われるのでなければならない。そうでなければ、妥協は成立しないからである。

 本稿の初めに、政治、経済、文化の3者を関連づけについてその必要性に注意を喚起しておいたが、ここで、政治と文化の関連づけが可能となったわけである。先に、文化とは社会の豊かさの表現であると書いておいたが、妥協を目的とし、核心とする政治において、単に力に屈したり、プラグマチズムに陥ることを避けて、理想に向かって努力するためにこそ、言葉で表現した文化の結晶、つまり思想を高く掲げ、貫くことが大切なのである。
 <お断り>
 本稿は、今回の訪中をとおして思うところがあり、とくに急いで書いたので、いずれ改稿したいと考えている。尾高朝雄が『法の窮極に在るもの』で格闘した、政治と法との関係についての探究も合わせて論じたかったのであるが、他日を期したい。
 文中で、村岡がすでに論及したとあるものは、既刊の拙著を参照してほしい。

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