村岡到:『生存権・平等・エコロジー』出版記念討論会の報告2004年2月3日

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 1月25日、東京八丁堀の労働スクエア東京で、村岡到出版記念討論会+還暦を祝う会が開かれた。第T部・出版記念討論会は、田上孝一さんの司会で、大江泰一郎さんと斉藤日出治さんが村岡が昨年5月に刊行した『生存権・平等・エコロジー』(白順社)について批評を加え、討論した。第U部・還暦を祝う会は西川伸一さんの司会で、立食で歓談した。会場左前面に極楽鳥花が飾られ、休憩時にはさだまさしの「北の国から」が流された。参加者は44人であったが、多彩な顔ぶれで、参会者同士が初対面の方も多く、新しい接点の場ともなった。
 出版記念討論会は、まず白順社の江村信晴さんが開会挨拶、大江、斉藤批評のあと、村岡が発言し、フロアから白井朗、千石好郎、堀込純一、片山光広、の各氏が予定討論者として発言し(急遽司会となった田上さんも)、さらに岡本磐男、山根献さんなどが発言した。最後にもう一度、それらの批判・論点について村岡が簡単に答えた。
 還暦を祝う会は、社会評論社(村岡到『不破哲三との対話』を出版)の松田健二さんが開会挨拶し、岡本さんの乾杯の音頭ではじまり、深津真澄、佐々木直哉、久留都茂子、石渡博明さんが村岡との出会いや注文を語り、歓談のあとさらに山根献、四茂野修、大塚茂樹、池田祥子、芝崎真吾、武山康熙、遠山信雄、大江さんが一言ずつ話した。最後に、村岡が感謝の言葉を述べ、散会した。参会者に極楽鳥花が贈られた。
 散会後、近くの居酒屋で二次会もあり19人が参加、騒がしく楽しく時を過ごした。

 村岡到の感謝の言葉

 本日は、松田さんをはじめ、協力してくれた方、ご出席の方がたに深く感謝します。
 どの日にも過去に何かが起きていることが少なくありませんが、1960年の今日は安保闘争と時期を同じくして闘われた三池闘争の突入日だったということです。私が、今日あるこの道に歩み出した年でもあります。
 さて、2日前に、中国の研究者から手紙が届きました。2002年の10月に初めて中国に行き、北京での国際シンポジウム(社会科学院主催)に参加したさいに、私も報告した分科会で、休憩時間に話しかけてきた若い人で、そのシンポジウムから帰国してすぐに彼の写真などを送ったのですが、何の返事もなく、どうしたのだろうと思っていたのですが、14ヵ月も後に、返事の遅れを詫びながら、1冊の本も同封されていました。グスタフ・ラートブルフの『法学導論』(日本語なら法学入門か)でした。彼との会話で、私がラートブルフの名を出していたのですが、それで彼はラートブルフの中国語の訳本を探して発見したということでした。その入手に時間がかかったことも返事の遅れの一因だと申し訳していました。中国ではラートブルフの著作は2冊刊行されているそうです。中国語の本を進呈されても私にはネコに小判ですが、彼からすれば何かの証なのでしょう。彼は、ロシアのブルツクスという農業経済の学者の研究もしていて、私が報告のなかで社会主義経済計算論争にふれてブルツクスの名をあげたので、話しかけてきたのでした。
 初めて訪問した上海と北京で、私は中国の経済発展の実相を表面的ではあれ実感しました。多くの人が「資本主義化」と判断しており、その危険性を私も感じますが、そんななかでほとんど誰もが忘れたり、知らないでいる社会主義経済計算論争に注目している若い研究者が存在し、私の中学生程度の英語会話でも何かが伝わり、私の発言を介してラードブルフを読書することになったわけです。
 その少し前に、武漢大学の梅栄政教授からも新年祝賀のメールが届き、彼と一緒に研究している女性が自分の論文を日本語にしたので『カオスとロゴス』に掲載してほしいと一筆してありました。梅さんはシンポジウムの分科会で司会をされた方で、彼からは昨年5月に武漢大学が主催する国際シンポジウムに招待されたのですが、例のSARS騒ぎで企画が中止となってしまいました。グローバリズムについての梅さんの論文は『カオスとロゴス』第23号に掲載されています。
 こんな出会いは小さな出来事に違いありませんが、それでも私は、そこに一筋の光を見出したいと考えています。何の肩書き――学歴詐称さわぎが話題になっていますが――もない私の、シンポジウム分科会での短い報告が中国の研究者の心に何か触れるところがあったのでしょう。
 話は変わりますが、この会場は、ここは地下ですが、この上に大きなホールがあって、そこで1985年に「社会主義理論フォーラム」と銘打った集会が開催されたことを思い出します。80年代末の東欧の変革のときから流行りだした「フォーラム」なる言葉を使い出した最初の集会で、それよりも注目すべきはその前に「社会主義理論」と明示されていたことです。600人も集まったと思います。私は、前日に東大で行われた社会主義分科会の短い報告を行い、丁度阪神タイガースが優勝して、ライオンズとLT決戦が話題となっていて、私はLTに引っかけて、レオン・トロツキーの名を出してフロアからも発言しました。あれから18年と少し経っていますが、その後にできたフォーラム90sもすでになく、今日の会にはそのフォーラム90sの会員だった人は、松田さんなど数人だけでしょう。
 その85年の「社会主義理論フォーラム」の後、87年にグラムシ国際シンポジウム、90年にトロツキー国際シンポジウムが開かれましたが、近年はその種の催し物はめっきり少なくなりました。私たちは、97年に先ほどの大江さんのお話にもあった、ロシアのブズガーリンを招待したシンポジウム、2001年にソ連邦崩壊10年で11月シンポジウムを開いてきました。
 こうして、91年のソ連邦崩壊を前後する10数年間、左翼は大きく退潮し、社会主義をめざしたり、めざさないまでも討論の俎上にはのせる共同の場は著しく衰退してしまいました。そういう時代の逆流のなかで、私はソ連邦崩壊の後、社会主義理論について反省し再考するようになりました。最初のきっかけは、アントン・メンガーの『労働全収益権史論』を神田の古本屋で発見したことでした。戦前の版で8000円もしました。この著作については、広西元信さん――ここに彼の息子さん、私と同い年、もご出席いただいていますが――に教えられ、大江さんの著作『ロシア・社会主義・法文化』(日本評論社)の注でも記憶していました。生存権こそが社会主義の基礎に据えられるべきことを学びました。次の決定的契機は、99年に尾高朝雄さんの『法の窮極に在るもの』(有斐閣)に出会ったことでした。先ほど彼のご息女久留さんから心のこもった挨拶をいただきましたが、私はこの著作を震える思いで読みました。先ほどの大江さんのお話でも言及された「尾高・宮沢論争」=ノモス主権論争というのがあったこともその後に知りました。法(律)というものが社会の形成と保持にとっていかに根源的に大切かを教えていただきました。先ほど、中国の研究者の話をしましたが、私がラートブルフの名をあげて主張したのは、「社会主義はいかなる特定のイデオロギーにも依拠するものではない」という点です。
 私が『連帯社会主義への政治理論』(五月書房)など3冊の小さな本にまとめた、走りながらの理論的反省と展開については、すでに第一部で討論にもなりましたし、そこで新しく出されたこともふくめて今後さらに勉強したいと考えていますので、いっさい省略しますが、一つだけ最近の反省を述べさせていただきます。私は何しろ定職もなく、生きているのが不思議なのですが――都営住宅がきわめて低額であることが不可欠の条件であり、実は生存権に立脚する社会主義という主張は、この私の生活条件から生まれたものでもあります――本はあまり買えないので戴いた本は良く読むようにしているのですが、正月に井村喜代子さんから『現代日本経済論』(有斐閣)という大冊を戴きました。高名な方ですからお名前は存じ上げていましたが、論文すら読んだことはなかったのですが、昨年、イラク戦争反対の意見広告運動を中心的に提唱され、私にも署名の訴えがある方から送られ、それが縁でつながりが生じました(『カオスとロゴス』第23号にこの意見広告の1500人のリストを再掲載)。私は、この著作を読んで――まだ半分も読んでいませんが――いかに無知だったかを痛感しています。私にしても何回かは日本経済について勉強しなくてはと思う時はあったのですが、いつも思うだけで何から学んでよいかも見当もつかず着手できないでいました。この井村さんの大冊は資料的にも詳細であるばかりでなく、経済分析に政治的動向も明確に組み込み、通説を吟味し、独自の構想によって戦後の日本経済の動向を鋭く解明しています。私には論旨をたどるだけでも精一杯でとても消化することはできませんが、ここに私にとっての新しい課題があることがはっきりわかりました。この数年間、私がとくに強調してきた法学的考察の大切さに加えて、この日本経済の実態についての認識を組み込むことができれば、第一部の討論で、堀込純一さんが注意した「法学的逸脱」を避けることができるのではないかと思っているところです。
 あと9年で70歳になります。日暮れて道遠し、を痛感しています。少しは落ち着きも身につけて、これからもさらにいっそう努力したいと思います。本日は本当にありがとうございました。

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