村岡到:日本共産党の大会はどうなっているのか
隠された会話
日本共産党の動向について、以下のような興味深い会話がなされていた。
問:党大会はどうなっていますか? 規約では来年には開催しなくてはいけないのではないですか?
答:相談をしていないので何とも言えません。
問:来年の「赤旗」元旦号で打ち出さなくてよいのですか?
答:だいたいの心づもりはあります。
問:綱領の改訂が議題になるのでは?
答:大会の日程が決まったところで本格的な作業を進めます。路線の中身を換えようというのではありません。アメリカと大企業の横暴な支配を取り除いて、国民が主人公の民主主義の日本をつくる、次に国民の多数の合意によって社会主義へという路線は自信をもっています。今の綱領は1961年に基本的な骨格ができたもので、当時は数年越しの党内論争があり、党内をまとめるという性格のものなので、党外の国民には分かりにくい。それで表現を分かりやすくする必要があります。
問:「二つの敵」という認識はどうなりますか?
答:綱領では「敵」という表現は使っていません。
問:前の大会では、日本は「民主的な政治体制」になったと変えたのでは?
答:「民主的な政治体制」? 今の日本は憲法の仕組みのうえでは国民主権の国となっています。しかし、実態的な権力は国民が握っていないで、アメリカや一部の独占資本が握っている、これは変えなくてはいけない。
これは、架空の会話でもないし、盗聴など違法な手段で入手したやりとりでもない。9月10日、11日にCSテレビ「朝日ニュースター」の「各党はいま」で放映されたもので、問は朝日新聞の梶本章氏、答は志位和夫委員長である。このインタビューの「大要」は「赤旗」9月12日に全1面の記事として公表されている。しかし、冒頭に引いた部分は、「赤旗」では「最後に綱領の見直し問題について質問を受け」としてごく簡単になにかのやりとりがあったことだけを伝えているだけである。テレビの字幕には「共産党の党大会について」と記されているのに、この部分には党大会の語は避けている。
このインタビューの他の部分はほぼ全面的に活字になっているのに、どうしてこの部分だけ隠したのであろうか?
党大会についての動向としてだけではなく、理論的な問題としてもたいへん興味深い。共産党は今年、結党80周年になる。11月初めの「赤旗まつり」は3日間で20万人も集めたが、恒例化したもので、特に記念行事を企画したわけでもない。梶本氏も指摘しているように、規約では2年あるいは3年に一度開催すると決めてある党大会は、今年はなかったから、来年は必ず開催しなくてはいけない。しかし、いっこうにその兆候はない。2年前の第22回党大会では規約を改定し、大会直前には不破委員長は「朝日新聞」とのインタビューで「綱領見直しは党中枢の共通認識である」ことを明らかにしていた。新しい世紀になったことでもあり、ぜひとも綱領の改定を主要議題とする党大会の開催が求められているはずである。
綱領改定の核心点は何か
なかなかシグナルがつかめないが、予想される綱領の改定で何が問題になるのか、あるいは何が問題とされるべきかについて少し明らかにしよう。
第1の核心的問題は、日本の政治体制についてどのように認識するかである。現在の綱領では周知のように、「日本を基本的に支配しているのは、アメリカ帝国主義と、それに従属的に同盟している日本の独占資本である」と規定している。これが「二つの敵」論と言われてきた、この「綱領」の核心である。
ところが、第22回党大会の「決議」では、「戦前の天皇主権の政治体制はあらためられ、国民主権の民主的な政治体制がつくられた。専制政治のもとで無権利状態におかれていた国民は、基本的人権をかちとった」と確認した。「生存権…などの保障が当然のことになった」とも確認した。
すでに、2年前に直ちに批判したが、この二つの認識はまったく異なり、鋭角的に対立するものとしか考えようがないが、この核心点を綱領上も変更するのか否か、これが第1の問題である。
冒頭の志位発言はこの問題にかかわっている。志位氏は「綱領には『敵』とは書いてない」と反応した――それは事実である――が、新日本出版社の『社会科学総合辞典』で「日本共産党綱領」を引けば、そこには当然のことながら、「二つの敵」と書いてある。不破哲三委員長は、『レーニンと“資本論”』で「私たちが綱領でとっている『敵の出方』論」と話している。そのことよりも重要な問題は、「民主的な政治体制」と聞かされて、戸惑いながら、「憲法上の仕組み」と「実態」とを区別して説明したことである。区別するこの考え方に立つのであれば、第22回大会の「決議」の認識はどうなるのか。
また、昨年、9・11「特攻テロ」の1週間後に、不破氏と志位氏の連名の書簡を発表したが、そこで「裁判」について「人類の英知」とする認識を明記した。これも従来のマルクス主義における「裁判などは階級支配の道具」という基本認識とバッティングするものであるが、綱領上ではいずれの認識を採用するのか。
さらに、その系の一連の認識として、「勤労市民」や「生存の自由」で間に合わせるのではなく、現在の綱領では登場しない「市民」や「生存権」を明記するか否かという問題がある。もう何年も前から私が提案していることである。近年の「赤旗」にはこの二つの言葉は頻回に登場するようになっている。
もう一つの大きな問題は、資本制社会の認識についてである。情勢認識上の問題は別として、その基本として、最近になって不破氏が使い出した「資本主義市場経済」なる新語を綱領でも使うのか否かである。「資本主義計画経済」なる言葉は、すでに半世紀も前に「社会主義計画経済」と対比されて使われていた(千種義人『計画経済概論』春秋社、1951年)が、「資本主義市場経済」なる言葉は宇野派の経済学者伊藤誠氏などは使っているが、共産党の文献では見たことがない。
また、第22回党大会の代議員発言で上田耕一郎氏が問題にした「非武装国家」の問題をさらに明確にするのかどうかも大きな問題である。また、上田氏は最近『ブッシュ新帝国主義論』(新日本出版社)なる標題の著作を発表した。「アメリカ帝国主義」が近年はお蔵入りしていたが、もう一度定位して強調することになるのか。
組織論では、「民主集中制」なるほとんど死語に近く、実態とも離れつつある原則をどうするのかという問題が依然として残されている。前大会の直前に、志位書記局は「民主集中制は『上意下達』ではなく、循環型の考え方」などと説明していたが、インターネットやホームページが日常生活に組み込まれている現在、党内の統制は旧来型の「民主集中制」では実現できない。最近は、中央委員会総会を生で放送して、意見までその場で募っているが、これは明らかに「民主集中制」の本意とはそぐわない。通信手段の発達が組織論を越えたのである。また、「地域の問題は地域で決定する」という、第22回党大会での規約改正は、長野県での田中康夫知事支援のように、明らか大きなプラスを生み出した。党員である議員のホームページはさらに活性化するであろう。私が提起している「多数尊重制」(『前衛党組織論の模索』稲妻社、参照)こそその一つの候補であろう。
どの問題も「表現を国民にわかりやすくする」(前記のインタビューの結びの説明)という問題ではまったくなく、認識を一新するか否かという根本問題である。
早くに次回党大会の開催と綱領の改定について提起し、党内外で議論を活性化させることが強く求められている。
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