<多様性>と<自由><平等>
                                             村岡到 2002.5.27

 私にとってだけなのか、世間でもそうなのかは定かではないが、近年、<多様性>という言葉に接することが多くなったような気がする。単語の頻出度を調べる研究もあるらしいが、対象をどこに設定するかによって、その結果もまさに多様であろう。辞書で「多様」を引くと、「いろいろ異なるさま、異なるものが多いさま」とある。類似の「多元」のほうは「多くの根元や要素があること」とある。英和辞書で pluralism を引くと「複数(性)、多元論」、和英辞書だと「多元論」に pluralism 、「複数」に plural 、「多様性」には multiplicity が当てられている。こんなむつかしいいわば学術用語を使わなくても「十人十色」という日常語が、人間は多様であることを常識的に教えている。
 本稿は、この<多様性>概念を手がかりに、マルクス主義や<自由><平等>などについて考察しよう。
 第1節では、<多様性>について、私自身がこれまでどのように対していたのかを反省する。
 第2節では、マルクスやマルクス主義の世界では、<多様性>という視点が軽視・忌避されていたこと、その反面にマルクスが提示した「人間とは何であるべきか」の問いがあること、そして、その問題性を明らかにする。
 第3節では、<多様性>がもっとも実現する場は人間活動のどの分野なのかを探り、<文化>においてこそ<多様性>がもっとも発揮されること、このように捉えることの意味を明らかにする。
 第4節では、<多様性>と<自由><平等>との関係について解明する。
 第5節では、今日の社会では個人のアイデンティティが拡散・希薄化していること、そのことが<共通の合意形成>の困難をもたらしていること、<共通の合意形成の核>になるのは何なのかについて明らかにする。私たちは、それを<連帯と平等>に求める。

 第1節 <多様性>認識――私自身の場合

 私の個人的な事情などどうでもよいとも言えるのだが、<社会主義>論などをそれなりに主張してきたものとしての責任もいくらかはあるはずだから、この言葉をめぐって少しだけ反省を書きとめておこう。
 <多様性>――私自身が何時の頃からこの言葉を使うようになったのか定かな記憶はないが、それほど前からでないことは確かである。マルクス主義の世界に浸っていたからである。1984年に、日本共産党の「一国一前衛党」論に対置して<複数前衛党>論を提起したさいにも<多様性>に触れる必要は感じなかった。ただ、気づいた人はいなかったであろうが、「複数前衛党と多数尊重制」論文を1988年にブックレットに収録するさいに、1カ所だけ元の論文を修正したところがあった。初出の論文ではレーニンに習って「党員の均質性」を主張していた部分を削除した。<多数意見>を尊重したうえで<少数意見>をより重視するという新しい立論にとっては、「党員の均質性」はそぐわないと気づいたからである。それでも、それをさらに<多様性>認識にまでつなぐ用意は当時の私にはなかった。
 その後、ソ連邦の崩壊を越えて、97年にロシア革命80年を記念した小論を書いたさいに、「マルクスが『経済学批判』を書きとめていた年、1859年に<人間の多様性>を強調する『自由論』を著したJ・S・ミルは……」という形で、<多様性>が重要な概念であることを示唆した。しかし、とくに説明をほどこしたわけでもない。人間の<寛容>や<可謬性>の視点と合わせて、マルクスを読んだときには受けなかった魅力をミルに感じていたという程度であった。1994年に、『カオスとロゴス』の創刊にむけて発した「発刊の趣旨」いらい、私は「個人の有限性」や「部分的真理」については、不可欠に重要なキー概念だと考えていたが、2001年に同誌の「発刊の趣旨」を書き換えたさいにも、<多様性>を書き込むことはできなかった。
 だが、昨年来、<平等>論を探究するなかで、イギリスのトーニーが<平等>論の前提あるいは基礎として<人間の多様性>を位置づけていたことを知り、改めて<多様性>の決定的重要性を確認することができた。
 本来ならば、<多様性>という言葉が、社会や哲学でいつから、誰によって、どういう背景と脈絡のなかで使われるようになったのかを探りたいのだが、とても私にその余裕はないので、すでにその種の研究があるのなら教えていただきたい。いつもながら急いで整理するほかないが、少なくとも、私にとっては、<多様性>を明確にすることを通して、人間をいかなるものとして理解するかという大きな問題にかかわって、いままでよく見えなかったことがはっきり理解できるようになった部分が少なくない。

 第2節 マルクス主義では<多様性>は軽視
      ――「人間とは何であるべきか」の問いの問題性

 一般には<多様性>が頻回に話題になり、よく語られているにもかかわらず、マルクスやマルクス主義の世界では、<多様性>という言葉は慣用句ではなく、重要な概念とは認識されていない。その分かりやすい証拠は、この言葉は1998年に編集された『マルクス・カテゴリー事典』の139項目のなかに取り上げられていないばかりか、「索引」にもない。2000年刊行の『新マルクス学事典』にもない(「全体的人間」はある)。もっとも、1977年刊行の『社会学小辞典』にも<多様性>という項目はない。ただし、「多元主義 pluralism 」や「多元的社会」は項目にあげられ、後者の説明には「多様化」や「多様性」の言葉も使われている。『マルクス・カテゴリー事典』と『新マルクス学事典』には「多元主義」もない。
 マルクスは<多様性>という視点を重要とは考えていなかったようである。むしろ、この視点とは対極をなすと考えられる側面を強調していた。私が、想起するのは、「人間とは何であるべきか」というマルクスの問いである。
 「人間は従来、自分自身について、つまり人間がそれであり、あるいはそれであるべきはずのものについて、つねにまちがった観念をいだいてきた」。これは、『ドイツ・イデオロギー』の「序文」の冒頭の一句である。若き黒田寛一氏が強調したように、マルクスは「人間は何であるべきか」という問いを重要性をもつものとして立てたと理解してよいであろう。唯一というわけではないが、1960年代前半に黒田氏の理論を通路にしてマルクスやマルクス主義に接近してきた私は、長い間、この問いの立て方を大切と考え、ごく当然の前提としてきた。
 しかし、人間の<多様性>について深く考えようとすると、この問いの立て方でよいのであろうかと反省するようになった。この問いの立て方に錯誤があったのではないか。その反省の中身に進むまえに、ちょっと回り道につき合ってほしい。
 哲学者の田畑稔氏から今年いただいた年賀状に、「人間とは何であり、何でありうるか」という問いを自らの課題にする、と記してあった。印刷されたものだから断ることなく引用するが、恐らくこの設定の念頭には前記の一句があったと見てよい。それとの対比であろう。私ですらすぐに想起する一句を『マルクス・カテゴリー事典』編集の中心人物が失念するはずはないからである。ついでながら、この一句について、先日、思わぬ体験をした。社会主義理論学会のシンポジウムのあとの酒席でもあり、名は伏すが、「マルクスはそんなことは言っていない」と“反論”したマルクス研究者がいたのには驚いた。この人は、マルクスのいわゆる「全面発達」論を再説しているのだが、しかも、その「書いてない」理由として「マルクスは『人間は社会的な諸関係の総和だ』と書いていた」ことをあげた。マルクスが「フォイエルバッハ・テーゼ6」で「人間的な本質は……社会的な諸関係の総和である」と書いていることは、マルクス主義を少しでもかじった人ならだれでも知っているであろうが、「……社会的な諸関係の総和」と書くことと「人間は何であるべきか」という問いとが両立しないわけではない(それに、マルクスにせよ誰にせよ、両立しないテーゼを不整合にも不用意に書いてしまうこともある)。
 短い年賀状の一句や酒席の片言から想像をたくましくしても仕方がないが、<平等>や<義務>の忌避とワンセットにして「自由」だけが強調される社会の風潮とも関係があるのであろうが、「人間は何であるべきか」という問いがどうやら不人気なものになってしまったと言えそうである。「いまどき、“べき”なんてダサイ」というわけだ。そのこと自体は私の行論にとっては幾分かは都合がよいのであるが、もしこの問いの立て方を継承・再説できないと認識するのであれば、それを『ドイツ・イデオロギー』の冒頭に置いたマルクスの考え方について、しかるべき重さをもって真正面から再考・検討する必要があるのではないか。マルクスになお基本的に依拠しようとするのなら、それは欠かせない作業であろう。
 話を戻そう。「人間は何であるべきか」という問い方にはどこに問題があるのか。「人間」について真正面から問うことが悪いはずはない。1950年代後半に「人間不在」を特徴とする正統派の哲学に対して、若き黒田氏が異議申し立てを敢行した意義はそこにあった。彼は、その欠陥はマルクスの『経済学・哲学草稿』がマルクス・エンゲルス選集(大月書店)の補巻4に収録――過小評価――されたところに示されていると批判した。問題は後半の「何であるべきか」にある(もっと厳密に言うと、「べきか」にではなく、「ある」のほうに問題があるのだが、そのことはいずれはっきりするだろう)。なぜか。この問い方だと、その解答として一つのあり方だけを限定的に選択・優先する思考・志向に陥るようになるからである。マルクス主義では従来、「唯一前衛党論」が正統・正当なものと理解され、マルクス主義者には「唯我独尊」傾向が強かったことはその一つの帰結ではないであろうか。レーニンの初発の問いもまたチェルヌイシェフスキーを受け継いだ「何をなすべきか」であった。あれもこれも何でもやってよいというのでは、「何をなすべきか」と問う意味はなくなる(「ある」と「なす」は異なるが、その違いはここでの文脈では問題にならない)。ミルの思想では強調されている、人間の<寛容>や<可謬性>について、マルクスやマルクス主義がほとんど留意しなかったことは、その反面である。
 では、どのように問いは立てられるべきなのか。この問いを改良する可能性は二つある。主語に問題がないことは前述したが、述語が二つあるからである。「べき」の方を放棄してもよいし、「ある=なす」の方を変えてもよい。田畑氏は前者を選んで、「人間は何でありうるか」と問う。そうなると、当為や規範は軽視されることになる。「自由」だけが強調されるほかないだろう。すでに、「<平等>を希求する意義」を明らかにした私たちは、この道は選択できない。残された選択肢は、「ある=なす」の方を変える道である。つまり、問いは<人間とは何であり、何を為してはならないか>と立てられるべきだったのである。
 このことに気づくと、キリスト教徒ではなくても直ちに思い出すであろう。モーゼの「十戒」をである。殺人、窃盗、姦淫などを禁じた「十戒」は、その10箇条の中身の適否は別として、「……を為してはならない」という禁令として人間の道徳を示した。これならば、そこに提示されている十箇条の他の行為はすべて許され、可能となる。人間の行為が手の指の数だけに限定されるはずはないから、はるかに多くの可能性を「為してもよいこと」と理解できる。いくつかの規範を尊重したうえで、さまざまな生き方=<多様性>が可能になるのである。<誤謬>すら教訓の泉となるであろう。しかも尊重・遵守すべき規範が何かを探る必要性の前に、人間を立たせる。この難題を背負いながら、人間は<人間化>してゆくのである。
 さて、周知のように、『ドイツ・イデオロギー』には「私がまさに好きなように、朝には狩りをし、午後には釣りをし、夕方には牧畜を営み、そして食後には批判をする」という有名な一節がある。望月清司氏によると、イギリスのT・B・ボットモアは「かの悪名高き一節」と評したという。望月氏も「ウルトラ牧歌的な共産主義社会像」と書いている(事実、ここには工業の臭いはどこにもない)。この一節はエンゲルスが執筆したということであり、文中の「食後には批判をする」をマルクスが書き加えた意図が何かなどという議論もあったが、マルクスの理解もこのエンゲルスと鋭角的に異なっているとは思えない。トロツキーが『文学と革命』で提示した、未来社会の人間像――「平均的な人間のタイプは、アリストテレスやゲーテやマルクスのような水準に高まるだろう」――もこの系列と見てよい。
 この点と関連して、マルクスのいわゆる「全面発達」論について触れておこう。マルクスが『経済学批判要綱』の人類史の三段階論のなかで「諸個人の普遍的な発展」と書いていることなどを論拠に、人間の「全面発達」を想定する理解が教育関係の分野で流行っていたようである。賛否の評価は別にして、マルクスのいわゆる「全面発達」論はこの『ドイツ・イデオロギー』の一句と重なって理解され流布されてきたのは間違いない事実である。だが、論理的には、万人が「全面発達」を実現するとしたら、万人はまったく同じ人間になるほかない。そこでは差異はなく、したがって<多様性>も存在しなくなるだろう。そんなことはとてもあり得ないし、だれもそこまで徹底して考えないから、見過ごされてきたのであろうが、マルクスのいわゆる「全面発達」論を『ドイツ・イデオロギー』でのエンゲルスの「労働の分割」(=分業)揚棄論と重ねて理解するとすれば、<多様性>は否定ないし軽視されるのは当然である。だから、事実として、これまでマルクス主義の世界では<多様性>は遠ざけられていたのである。
 最後に、新左翼運動の組織論においてどのように影響していたのかについて一瞥しておこう。新左翼運動の創生期に革共同のバイブルだった『組織論序説』で、黒田寛一氏は、レーニンに従って「プロレタリア革命党」は「一致団結した鉄の規律」を「立脚点」にすると説き、革共同分裂後に他方を率いた本多延嘉は私にもよく「個に死して類に生きる」と語っていた。今日では後者の党派では「人格的同一性」が叫ばれているという。人間の「クローン化」にまで進化してしまった。『組織論序説』は1960年安保闘争直後の著作であり、時代的限界は割り引かなくてはならないが、求められているのは、レーニン型組織論への明確で原理的な批判である(日本共産党の「民主集中制」も依然として、レーニン型組織論の枠内である)。

 第3節 <多様性>がもっとも実現する場

 ここまでは<多様性>が人間のどのような活動の場で実現されるのかを問題にしなかった。そのことを抜きにしても説けるレベルだったからである。しかし、<多様性>をより深く考察しようとすると、この問題にぶつかる。「十人十色」と言っても、頭脳においてなのか、心なのか、容姿なのか。1クラスの生徒をひとりずつ比較するのなら困難は小さいであろうが、人間社会の森羅万象に視野を拡げると、マルクスの言う「社会的な諸関係の総和」という言葉だけでは片づかない。社会の諸現象は複雑に錯綜しており、視野を限定したにせよ、画家が絵を描くように直感にだけ頼るわけにはいかない。<経済><政治><文化>と3層あるいは3分野に分けて捉えるのが一般的であろう。これらの3つの領域がどのような規定関係にあるのかは、例のマルクスの唯物史観の定式をめぐる数多の論争をまつまでもなく、なお未決着な難題である。それはさておき、<多様性>を軸に考えると、<経済><政治><文化>の諸相のそれぞれにおいて、<多様性>の発現の様子には違いがあることに気づく。
 少し考えればすぐに気づくように、<多様性>がもっとも発現=発揮される場は<文化>においてである。私には芸術の素養はないが、モノトーンよりも複雑で微妙な調べのほうが質が高いと言えるであろう。多様に花咲いてこそ、高い文化を満喫できる。だから、「千紫万紅」の文化とは形容するが、経済や政治にこの形容はつけない。同じように、「経済システム」「政治システム」という言葉はあるが、「文化システム」という言葉はない。「様式」という意味なら「文化様式」はあるが、「文化制度」とは言わない。
 「経済システム」に着目すれば、一つの社会においては、ほぼ一つのシステムで動いている。<複雑性>を特質としているとはいえ市場経済においては、貨幣を抜きにしたシステムを組み込むことは基本的にはできない(部分的に組み込むことは可能であろう)。多様なシステムの同時共存は不可能である。「政治システム」も同様である。
 <経済><政治><文化>の諸相のそれぞれを区別してその特質を明確にすることがいかに大切かというと、その区別に気づかないと、文化では多様なのだから、経済も政治も同じように多様でばらばらで、原理を解明しようとする努力は効のないものという怠惰な姿勢を許容することになるからである。もともと、この3つの領域は、人類史の最初からその区分がはっきりしていたわけではなく、歴史的に形成されたのである。
 マルクスは<多様性>をほとんど問題にしなかったと、私たちはくりかえし確認してきたが、恐らくその原因の一つは、マルクスが主に研究した分野が経済学であったことにあると言える。マルクスは、資本制経済の原理――原理は一つと考えられている――の探究に心血を注いだのである。しかもマルクスは、近代「市民社会の解剖は、経済学の内に求められなければならない」という形で経済学に過大な比重を置いていた。
 <マルクス主義を超える>ことも課題の一つにしている私たちは、<多様性>を積極的に認める立場に立つ。恐らく、<多様性>とその認識は人間の営為の一切合切の大前提ではないだろうか。<多様性>に踏まえない理論や思想は、極論すれば意味がないと言ってもよいだろう。どんな課題であれ、真剣に何年も探究すれば、どこかで<多様性>の大切さに気づくことになるだろう。私の場合には40年も左翼運動を重ねてきてようやく知ったにすぎないが、それは私が未熟だったからにすぎない。

 第4節 <多様性>と<自由><平等>

 人間は多くの場合、抑えられ、欠如している状態のなかで、その不満足な部分をより十全なものとして獲得しようとして主張し行動する。だから、近代的自我意識の形成が未成熟な日本では、自己主張はややもすると嫌われる風潮が強いので、その傾向に反発する人や、あるいは<多様性>を軽視・忌避するマルクス主義者の唯我独尊傾向に悩まされた経験がある人のなかには、「自由」の強調に活路を求める人が少なくない。そこで、<多様性>と<自由>との関係について考えよう。<多様性>を認識することは、<自由>を無制限に要求することを認めることになるのであろうか。
 <自由>を重んじる人は、自己主張への抑圧は許せない、私は何でも主張する権理を有しているのだ、そのことが一切の出発点である、と叫ぶ。何の制限もなく「自由」を主張・行使することが可能であり、正当であると主張する。「集団全体への配慮」と聞いた途端に、快眠をぶちこわす目覚まし時計のベルの音を、身体が感じてしまうらしい。
 だが、「私は何でも主張する権理を有している」というテーゼを容認することは、結局は殺人を容認することに行き着く。「何でも」と言う以上、その内実から「殺人」を排除することはできない。俺は彼奴を殺したい、そこにあるものを盗みたい――これらの自由な欲望のなすにまかせてよいということになれば、修羅場が現出して、秩序は形成できず、社会は成立しなくなる。阿修羅の世界となるほかない。17世紀にホッブスが『リヴァイアサン』で提起した「万人の万人に対する戦い」である。
 殺人は別だ、というのなら、「何でも主張する」を否定することになる。「殺人以外の」という限定が必要になるからである。「殺人」が除外されるべきだと理解できれば、次には、除外されるのは「殺人」に限らないことも分かるはずである(殺人がなぜ許容されないのかのについては、「<平等>を希求する意義」で明らかにした)。自分の自由は100%主張・実行したいが、相手あるいは他人の自由はどうでもよいというのでは余りにも自分勝手である。相手と他人の「自由」は50%、自分は100%では、相手と他人はそれでよしとするはずはない。相手も同じに考えれば、喧嘩になり、暴力で決着するほかなくなる。ここで、私たちは<平等>に直面する。
 暴力による破局を回避するためには、<平等>を追求するほかないのである。個別の問題ごとに<平等>の基準を見いだし、その判定の仕方を創造するのは超困難ではあるが、この難問と対決する以外に出口はない。すでに前記の<平等>論で論じたが、だからこそ、秩序を保持するうえで核心をなす法の窮極にあるものは、尾高朝雄が深く説いているように、<平等>なのである。私は「<多様性>を基礎に<平等>を考える」と明らかにしたが、むしろ<多様性>は<平等>を必然化する拠点であるというべきである。<平等>を不離一体のものとして尊重する立場に立ってこそ、<多様性>をもっとも発揮できるのである。このようにして社会は成立する。そこで秩序が維持されているのは、そこに<法>が貫かれているからである。法学の初歩で習う「社会あるところに法あり」という法諺が、そのことを教えている。
 そもそも<人間の自由>が1789年の「フランス人権宣言」で高らかに掲げられたさいに、その第4条には「自由は、他人を害しないすべてをなしうることに存する」と明記されていた。「他人を害しない」とはどういうことなのか、そこを明らかにすることはもとより簡単ではないというより大きな困難である。スパルタ的訓練をどう評価するかは依然として裁判でも争われている(戸塚ヨットスクール事件をみよ)。にもかかわらずこの一句を定位していることが大切なのである。そこに課題があることを明示しているからである。
 課題がどこにあるか――あそこではなくここに――を認識することが、課題を解決する第一歩である。私は塩沢由典氏が引いている、夜の公園で落とし物を捜す男――街灯が照らす明るい場所をいつまでも探しているので、カギは見つかったかと聞いたら、いや落としたのはあっちの暗がりなのだと答えた――の例を思い出す。私たちは、どんなに困難が大きくとも、そこに課題があるとまでは分かったのなら、その困難を引き受けて、そこにとどまって課題を探求すべきなのである。間違ってもこの男のように、安易な道に向かってはいけない。私は一貫して<温故知新>には深い洞察が宿されていると考えているが、何事によらず、その言葉や問題が明示されて提起された初発の時にどこまで明らかにされていたのかを探ることは不可欠の作業である。過去に蓄積された英知と切断されて、ただ新奇な言葉を乱発したり羅列しても、それは遊びにすぎない。
 異なる思考の回路からも考えてみよう。言葉は歴史的に変容してゆくから、どの言葉も字源だけでその内実を掴むことはできないが、にもかかわらず漢字の場合にはかなり理解の助けになる場合も少なくない。「多様性」には「多くの」が入っており、「自由」には「自分」の「自」が入っている。このことだけでも二つの言葉の志向性が対極的であると理解できる。だから、<多様性>を明確にし、強調することは<自分の自由>を強調することとは、対極とは言わないまでも、異なるのである。逆に、<多様性>はすでに明らかにしたように、<平等>を必然的に要請する。
 私たちはこうして、<多様性>を重視することを通して、<自由>と<平等>を関連させて位置づけることができた。他方、「自由」や「全面発達」を強調する人は、<多様性>や<平等>を欠落ないしは軽視する。したがって、私たちは<平等>をより重視するほうが適切であると考えるのである。
 
 第5節 アイデンティティの拡散・希薄化と共通の合意形成の困難性

 最後に、<多様性>がますます拡大する傾向を強めている今日の世界の動向についても注意を払う必要がある。インターネットの発達などによって交通手段が高速かつ広範に拡大し、世界がますますいわば小さくなっている。世界の主要都市での出来事は瞬時にして映像として全世界に発信される。そのことによって、私たちはかつては考えられない規模で世界各地の様子や文化を知ることができる。江戸時代には自分の村の出来事しか知ることができなかった人々が、今やインターネットを操っている。知ることのできる世界が拡大するということは、それだけ<多様性>も拡大することを意味する。
 この世界の激変は、人間の在り方にもさまざまな変化を生み出している。<多様性>の拡大は、個人の<アイデンティティの拡散と希薄化>をもたらしている。村の農地に緊縛されていた農民の「共同体」は崩壊し、さらに「家父長制」は消滅し、「核家族」をこえて家族の在り方も大きく変容した。<家族>あるいは<家庭>は、その構成員の拠り所としての位置と意味を次第に低下している。「日本人」というナショナルなアイデンティティも希薄になっている。また、「労働者」にしても均質な層をなして存在しているわけではない。大企業の優遇された労働者、中小企業の劣悪な条件下の労働者、臨時雇用労働者、パート、さらにはフリーターと幾重にも階層化されている。
 この傾向的事実に気づくことなく、「労働者階級の闘い」を呪文のように唱えるだけでは時代に取り残されるだけである。マルクスやレーニンの時代には「立て、餓えたる者よ」と呼びかけるリアリティーは十分に存在していた。だが、今日では、野宿者の増大や1万人超の自殺者に鈍感であってはいけないが、国民の約6割は自分の持ち家に住んでいるのも事実である(住宅制度の劣悪さを無視せよと言っているのではない)。だが、単にこの傾向的事実に気づくだけでは半分の意味しかない。問題は、この傾向的事実が何をもたらし、何を意味しているのかを掴むことにある。もちろん、この問題をトータルに明らかにすることができれば、立派な日本社会論、あるいは現代社会論を構築することになり、それほど大きな課題に答えることはもとより私にできることではない。ここでは、そこから提起されている問題の一つを、これまでの論述との関係で明らかにするだけである。
 <アイデンティティの拡散と希薄化>は、社会を存立・維持するうえでの共通の合意の形成がますます困難になることを意味する。人間の在り方が<多様>となり、数多の欲望が開発され、その実現の手段が提供され、可能性の範囲が飛躍的に拡大したからである。昔はメガネを着用することすら珍しかったが、いまでは臓器移植が日常である。「脳不全」を「脳死」といいくるめて、人体すら商品化されようとしている。ゲノムの研究は「クローン人間」を可能としている。「代理母」の是非にどう答えるのか。それらは「悪魔の所業」なのか、「神の善意」なのか、かつては想像もできなかった問いの前に、人類は立たされ、なおさまざまな問題で共通の合意は形成されていない。つまり、今日の人間は、<共通の合意形成>の困難さに直面しているのである。この難題を意識的に自らの課題として自覚する必要がある。
 さまざまな問題が噴出しているが、一つだけ例示しておこう。
 偏狭な民族主義的・排外主義的「愛国心」に代わって、国際感覚を豊かに身につけた<愛郷心>を育てる必要がある。自分が生まれ育った環境――自然や人間のつながり――を大切なものと思い、愛着を深くすることは否定されるべきではなく、むしろ大いに推奨されなくてはならない。その心と習慣や道徳の形成なくして、社会を安全に保持し、精神的に豊かな生活を実現することはできない。この造語については、「あいこくしん」と読ませても、「あいごうしん」と読ませてもどちらでもよい。常識的意識の連続性を好む人は前者でもよいし、飛躍を強調する人は後者を選べばよい。いずれにしても肝心なことは、民族主義的・排外主義的「愛国心」への批判は、その批判の結果、その後に空白を作り出すのではなく、新しい内実によって埋められる必要があるという点である。既存の、限界に達した習慣や制度は、多くの場合に「全廃」されるのではなく、生まれ変わるのである。残念ながら、日本の戦後の歴史は、このことが分からなかったマイナスの経験であったと総括・反省しなければならない。例えば、教育勅語などによって強制された戦前の天皇制的道徳は、<民主政の道徳>へと変革されるべきだったのであり、決して「道徳ナンセンス」という全否定に走るべきではなかった。そんなことをした結果、「道徳の空白」が生じ、そこに逆に戦前の天皇制的道徳を隠微にあるいはファナティックに温存・継続されることになったのである。「道徳は不要」なのではなく、いかなる道徳が捨てられ、あるいは新しく創造されるべきかと、問題は立てられるべきだったのである。
 自然との関係で言えば、梅原猛氏が提唱している<森の思想>に学ばなければならないと、私は最近になって考えるようになった。梅原氏は、「森の文明の考え方」として、「日本文化の基層を形成している」「縄文文化」の「精神的特徴」を「二つ」あげ、「一つはその平等志向です」と明らかにする。もう一つは「永遠の循環運動」である。さらに考えたいと思っている。
 なお、<多様性>という視点からはマルクスの未来社会像の弱点もよく見えるようになるが、この点については、社会主義像の解明のなかで問題にしたほうがよいから、次の点だけを指摘するにとどめる。マルクスは未来社会について描くさいに「簡単明瞭」とか「透いて見える」などと形容するが、<複雑性>には言及しない。私は、ソ連邦の経済について解明する作業を通して、<経済の複雑性>認識が極めて重要であることが理解できた。<経済の複雑性>認識は、ソ連邦の経済学者B・C・ネムチノフがすでに1960年代に指摘していた要点であった。

 <多様性>をしっかりと定位することは、さまざまな問題を考える出発点であり、<多様性>をもっとも発揮するには<平等>を貫く必要がある。したがって、法(律)の大切さを身につけなければならない。個人の<アイデンティティの拡散と希薄化>が急速に進行しているがゆえにこそ、私たちは新しい、社会のルール――法(律)がいかにあるべきか、を真剣に探りだし、<共通の合意形成>にむけて努力しなければならない。もし、後者の課題を閑却して、前者だけを認識すると、ただその傾向に反発して古い道徳にしがみつくか、逆に現状肯定――流行への追従によって迷路に陥ることになる。<共通の合意形成>の姿勢と方法はいかなるものか、これもまた難問のひとつであるが、私たちが創造すべき新しいルールの核心に貫かれるのは<連帯と平等>である。
 <注>  
1)村岡到「複数前衛党と多数尊重制」。村岡到など編『前衛党組織論の模索』ロゴス社、1988年、参照。
2)村岡到「ロシア革命と『歴史の必然性』の罠」。村岡到『協議型社会主義の模索』社会評論社、1999年、215頁。
3)<可謬性>については、梅本克己が「人間における誤謬の可能性」を問題にしていたことに学んで、この視点が重要であることを、私は1976年に強調した。『社会主義へのオルタナティブ』ロゴス社、1997年、152頁。注2、217頁も。
4)村岡到「<平等>を希求する意義」。『カオスとロゴス』ロゴス社、第21号=2002年4月。
5)『マルクス・カテゴリー事典』青木書店、1998年。
6)的場昭弘など編『新マルクス学事典』弘文社、2000年。 
7)『社会学小辞典』有斐閣、1977年。
8)マルクス/エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』国民文庫版、9頁。新日本出版社、服部文男訳、9頁。
9)マルクス/エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』服部版、112頁。
10)<義務>の第一義性については、山崎純「いのちの共鳴」(北村寧など編『新世紀社会と人間の再生』八朔社、2001年)参照。
11)レーニン『なにをなすべきか』。全集、第5巻、大月書店。丁度100年前の1902年。
12)「十戒」については、古い文書であり、文言や意味の確定をめぐって論争が重ねられている。禁令の形ではない項目もあるが、その元の文は別の言葉でやはり禁令となっていたという解釈もある。シュタム/アンドリュウ『十戒』新教出版、1970年、24頁など。
13)マルクス/エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』服部訳、44頁。
14)望月清司「マルクス歴史理論における『資本主義』」『講座マルクス主義』第8巻、日本評論社、1970年、67頁。同頁。
15)トロツキー『文学と革命』。ロバート・タッカー『マルクスの革命思想と現代』研究社、1971年、121頁から重引。
16)例えば、石井伸男『マルクスにおけるヘーゲル問題』御茶の水書房、2002年。石井氏は、「個人の全面性への展望」(256頁以下)を強調しているが、特徴的なことに、そこには<多様性>はまったく位置づけられていない。「全面的個人」という言葉がマルクスからの引用であるかに「 」を付して出てくるが、参照頁が明示されている引用文中にはこの言葉はない。
17)マルクス『経済学批判要綱』T、大月書店、高木幸次郎訳、79頁。
18)黒田寛一『組織論序説』前進社、1961年、225頁。145頁、156頁、163頁。当時の類書を探索する余裕はないが、36年ぶりに本書を開いて、「多様性」という言葉が否定的ニュアンスにおいてであれ、書きとめられていたことを発見してむしろ驚いた。
19)村岡到「『唯物史観』の根本的検討」。村岡到『連帯社会主義への政治理論』五月書房、2001年、参照。
20)マルクス『経済学批判』。全集、第13巻、大月書店、6頁。
21)尾高朝雄『法の窮極に在るもの』有斐閣、1949年。
22)村岡到「<平等>を希求する意義」『カオスとロゴス』第21号、23頁。
23)塩沢由典「20世紀と経済学」『経済セミナー』日本評論社、1993年8月号、72頁。
24)梅原猛『森の思想が人類を救う』小学館、1995年、178〜181頁。
25)マルクス『資本論』第1巻、新日本出版社、134、135頁。「透いて見える」のほうは、後年、1920年代からの「社会主義経済計算論争」のなかで、ディキンソンが「公開性」の問題としてその重要性を説いた。村岡到『原典・社会主義経済計算論争』ロゴス社、1996年、参照。注2、95頁以下、参照。
26)村岡到『協議型社会主義の模索』91頁参照。うまい具合にその時期に塩沢由典氏の「複雑系の経済学」を表面的ながら知ったこともプラスした。

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