村岡到:和辻哲郎『日本倫理思想史』を読む2003.2.10

 ちょっと息抜きに。
 和辻哲郎『日本倫理思想史』上・下、岩波書店、1952年、1200頁をようやく読了し
た。水道橋の法律古書店でわずか1000円だったので求めたのだが、3年前の尾高朝雄
『法の窮極に在るもの』に比肩できるずっしりとした重みを感じた。天皇中心主義に
は閉口するが、それを超えて優れた考察がそこここに示されている。実に周到に深く
考察する人だと感服した。書名は「倫理思想史」だが、日本史とも言える。私は、日
本史にもうといので、とくに学ぶところが多かった。これからじっくりとノートを取
りたいと思っている。
 天皇制を打破・克服するためにこそ、和辻が説いている日本の歴史の在り方、その
特徴を深く理解する必要がある。
 いろいろ考えさせられたが、いくつかメモしておくと、
 「一揆運動に現れたような民衆の力の解放が、なぜ、ヨーロッパにおけるような市
民の権利の拡大をもたらさなかったのか」224頁。と問題提起している。
 
 江戸時代の文化が武士階級ではなく町人によって担われたと理解したうえで、「一
つの時代の意識形態は支配階級によって作り出されるという命題はここには通用しな
い」589頁と書いてある。恐らく、これはマルクスへの批判ではないであろうか。そ
してこの点では当たっているのではないだろうか。

 例えば、忠臣蔵をいかに理解するか、諸説が紹介されていて面白かった。ともか
く、なぜ忠臣蔵は今でも人気があるのだろうか。主君に本当に「忠」たるためには、
事の成否は別にして、直ちに行動すべきであったという批判もあったという。吉良が
死んだら、仇討ちはできなくなるからである。断るまでもなく、私は「忠君」がよい
などと言っているのではない。

 また、明治維新について、最近、『QUEST』で深津真澄さんが「なぜ革命と言わな
いのか」と提起していて、なるほどと考えさせられたのであるが、福沢諭吉は、明治
維新を「革命」と表現していた(和辻哲郎『日本倫理思想史』下、岩波書店、1952
年、757頁)。

 もう一つ、私はこの間、「権利」よりも<権理>がよいと提唱しているのだが、和
辻哲郎は、「元来、『権』という漢語は right よりもむしろその反対の might に近
い言葉である。だから right の訳語として『権』の語を選んだということの背景に
は、正義の根源を力に認めようとする立場がすでに存していはしないか」と注意して
いた(『日本倫理思想史』下、岩波書店、1952年、745頁)。

 日本社会を変革するためには、日本の歴史を深く理解しなければならないというご
く当然の課題を改めて教えられた。左翼は、この和辻の日本史理解をどのように批判
していたのであろうか。

 とにかく、いろいろ考えさせられた。

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