村岡 到:書評・広西元信『資本論の誤訳』 (こぶし書房)
  『QUEST』第19号=2002年5月 掲載

摂取すべき先駆的な諸提起

                     
 1999年末に86歳で亡くなられた広西元信さんのまぼろしの問題作『資本論の誤訳』(1966年)が、こぶし書房から復刻された。編集・解説は国分幸氏(岐阜経済大学教授)。
 1991年のソ連邦崩壊後の反省的思索のなかで、私に深い影響と方向を与えてくれたのが広西さんであった。私が初めて広西さんを知ったのは、92年7月に『マルクス主義の破綻』(エスエル出版会)を手にした時である。一読して深くショックを受けた。レーニン流の国有型社会主義が真正面から批判されていたからである。それで、手紙を差し上げ、当時、広西さんが談話の場として常用していた、有楽町の喫茶店「リプトン」でお会いした。1ヶ月後にリプトンを訪ねたさいにいただいたのが、絶版の『資本論の誤訳』と『左翼を説得する法』であった。
 今度の著作に付されている『場』で、山口勇氏もふれているが、93年1月に「広西さんから話を聞く会」を開いたこともあった。最後にお会いしたのは、99年夏。私が『協議型社会主義の模索』(社会評論社)を刊行したあとで、「ささやかな出版記念だ」と言って、新宿の中村屋で紅茶とケーキをご馳走になり多額のカンパもいただいた。
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 広西さんは、『資本論』をドイツ語、英語、フランス語、ロシア語、中国語の各国語版で比較検討して、日本の『資本論』訳者や研究者がいかに基礎的なところで、マルクスの原文の真意を理解していないかを系統的に明らかにした。中でもその核心は、「所有 / 占有」問題の解明に設定されていた。1960年代後半に平田清明が「個体的所有の再建」命題で論壇を騒がせたが、後年、その大半は広西さんが提起していたことを借用したものだと、坂間真人が『情況』誌上で明らかにした。「個々人的所有」問題を核心とする広西さんの提起はなお未解決の難題である。国分氏の「解説」は主要にこの問題に当てられ、広西さんのあくなき思索の変遷を克明にたどり、問題を解明している。私には今のところ、「所有ではなく占有を」というプルードンの標語の方向で考えることが大切だとしか分からない(この問題よりも「価値法則」をいかに揚棄するかが大問題だと考えている)。
 また、今でこそ、レーニンの「一国一工場」論は疑問とされ、「アソシエーション」はそれなりに共通語になりつつあるが、広西さんが『資本論の誤訳』で問題を提起したのは、スターリン主義「全盛」の66年である。「コンビネート〔統合〕とアソシエイト〔連合〕とを同じく結合などと訳す誤訳」を鋭く指摘した。分かりやすく言えば、資本制生産における上からの縦の命令的な関係を、横型の連帯的な関係に変革することが、マルクスの社会主義の真髄なのに、両方を「斜め」と訳したのでは何がどう変化するか不明になるということである〔この問題については、拙稿「『一国一工場』の『通説』が隠していたもの」(前出拙著)参照〕。
 ご子息の義信さんから、父君の書棚を整理していたら見つかったとして送付された新聞の切り抜きによれば、林健太郎が「東京新聞」の「論壇時評」で『資本論の誤訳』に言及していた! 68年にである(10月23日)。チェコスロバキア事件の直後にソ連型の社会主義の限界を指摘する文脈のなかで、前記の平田の論文の寸評と合わせて、林道義がマックス・ウェーバー論のなかで『共産党宣言』の「アソチアチオン」を「株式会社」と訳す解釈をした点を紹介し、その点での先駆的提起が『資本論の誤訳』であることを、林健太郎は明らかにしていた。だが、左翼はごく一部の例外を除いて無視した。この視野狭窄とセクト主義の悪弊がいかに根深いかを痛感する。
 広西さんの最後の到達点は、国分氏が整理しているように、「利潤分配制」の実現に集約される(国分氏はこの「利潤分配制」を「社会主義」だと主張する)。私は、「利潤分配制」は資本制経済の枠内での<改良>だと考えている(拙稿「利潤分配制を獲得目標に」『社会主義へのオルタナティブ』参照)。なお、「利潤分配制」については、私がこの間、推奨している尾高朝雄も1952年に著した『自由論』(筑摩書房)でフェビアン社会主義の紹介と合わせて言及していた。
 他にも、「ステートとナショナルとの混同」問題、『資本論』第49章の「価値規定」の問題などいくつも有益な指摘がある(後者については、最近では不破哲三氏も着目するようになった。不破氏は先行する研究には全く触れないが)。
 私は、社会主義経済については、<経済のアバウト性>を<公開性>と合わせてベースにする必要があると、先年「<協議経済>の構想」(前出拙著)で提起したが、「アダム・スミスの価値論」を述べたところで、この点――アバウト性が論及されていた。直接には失念していたのだが、ここから学んでいたのかも知れない。
 このように、今日、社会主義の新しい展望を模索するためには、避けて通れないいくつもの問題を先駆的に提起していたところに、本書の真価が存在する。
 <言葉>についてのこだわりと何ものにも囚われない自由な思考がいかに大切かを教えてくれる貴重な一書である。広く学ばれるよう期待したい。
     (『カオスとロゴス』編集長)

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