村岡到:重田澄男さんからの批評など2003.6.10
「稲妻」第348号 2003年6月1日
村岡到『生存権・平等・エコロジー』にたいする批評など
重田澄男 「資本家的生産様式」の意味
――村岡到『生存権・平等・エコロジー』に関連して
久留都茂子:ノモス主権論評価に謝意
杉原四郎:ミルとマルクスの相違
石渡貞雄 エコロジー提起に学ぶ
「資本家的生産様式」の意味
――村岡到『生存権・平等・エコロジー』に関連して
重田澄男
このたびは御著書『生存権 平等 エコロジー――連帯社会主義へのプロローグ』をご恵贈いただき有難うございました。ユニークな社会主義論を多面的に展開されながら次々に著書をお出しになっているのには大いに刺激を受けているところです。
熟読のうえで意見を述べるべきところですが、このたびのご本のなかに私(重田澄男『資本主義を見つけたのは誰か』桜井書店、2002年)について言及されているところがありますので、とりあえず今回はその点についてのわたしの意見を簡単に述べるにとどめたいと思います。
村岡さんは、ご本のなかで、「重田澄男は《資本家的生産様式》と訳すのが正しく、マルクスは《資本主義》なる言葉は使っていないことをきわめて詳細に文献学的に明らかにした。この点にかんするかぎり明らかに重田の言う通りであろう。しかし、そのことを明らかにする意味が積極的に何なのかが、なお私には理解できない……」(189-190頁)といわれています。
私の本にはいろんな論点と関連した問題点がありますが、そのなかで、マルクスには基本的には「資本主義」という用語と概念は存在せず使われているのは「資本家的生産様式」であるということの文献考証的解明は、実は宇野理論のマルクス理解の問題点を明らかにすることと関係があるところです。きわめて簡略化していえば次の2点に集約できるかと思います。
第1点は、マルクスは、近代社会の規定的要因を生産的基礎における「生産様式」の近代社会特有の歴史的形態においてとらえ、それを「市民的生産様式」とかあるいは「資本家的生産様式」という用語でもって示しているが、そのことは宇野弘蔵氏の理解されているような商品形態が全面化した「純粋資本主義」といった流通形態を規定的要因としたものではない、ということを意味します。
マルクスにとっての近代社会の経済システムとしての資本主義範疇の規定的内容は、抽象名詞として規定的要因の示されない「資本主義」における「商品経済関係の全面化」においてではなくて、明確に生産過程における事態としての「生産様式」における生産手段と人間労働のとる近代社会特有の歴史的形態としての資本・賃労働関係を基軸としたものであって、そのことは「資本家的生産様式」という用語そのものによって明示的に示されているところです。
このことは、資本主義の一般的概念の規定的内容をどのようなものとしてとらえるか、という論点にかかわる問題です。
第2点は、宇野弘蔵氏は、前記のような「資本主義」理解から、19世紀のイギリスが接近していた自由競争の経済構造が《資本主義の一般的原理》を示すものであって、20世紀の独占的な資本主義は非資本主義的要因による不純化をひきおこしているものととらえるべきであって、そのことこそいわゆる原理論・段階論・現状分析という三段階論の提示にとっての根拠となるものであるとされているのです。
だが、それとは違って、マルクスの「資本家的生産様式」を規定的要因とした資本主義カテゴリーの把握にもとづくならば、独占資本主義においても生産過程で資本家的生産が発展しているかぎりは資本主義そのものの発展としてとらえるべきである、ということを意味します。
このような純粋資本主義への接近とその逆転という把握は、例えば1930年代の金本位制の崩壊による商品・貨幣関係の調節メカニズムの解体によって「資本主義は死滅した」といった降旗節雄氏の見解にまで繋がっているものです。
このように、宇野理論における原理論での商品経済論的な規定的内容把握についても、純粋化傾向の逆転=不純化による三段階論の提起も、宇野理論の特徴的内容をなすこの2つの基本的内容のどちらも、マルクスの資本主義概念の基本的要因としての生産構造における「資本家的生産様式」においてではなくて、マルクスがまったく使っていない「資本主義」という用語と概念に依拠したマルクスの誤読によったものであるということが、用語問題についての文献考証によって明らかになります。
なお、このことは、マルクスにおける理論形成史のどの時点のいかなる著作において資本主義範疇が確定し、それはいかなる用語によって表現されたかの確定が示すところですが、宇野理論は、マルクスの理論形成史における資本主義範疇の確定とそれにたいする用語表現とその変遷の吟味をまったくおこなっていません。より正確に言えば、おこなうことができないという致命的欠陥をもっているものです。
なお、この「資本家的生産様式」についての問題は、村岡さんがとりあげられている《冒頭商品》論とも関連があります。
《冒頭商品》は『資本論』の冒頭で取りあげられているので、『資本論』全体にとっての規定的カテゴリーとしての始元範疇という理解が多いようですが、それは〈資本家的社会の社会関係〉にとっての基軸的要因をなすものではありません。村岡さんも引用されているように「商品」は「資本家的生産様式が支配している社会の富」の「要素形態」であるとされているのです。
すなわち、資本家的生産様式においては生産物は基本的には商品として生産されるものであるところから、そのような《富》のとる要素形態として「商品」が取りあげられたものであって、「資本家的生産様式」という《社会関係》の要素形態として「商品」を取りあげたものではありません。この点について『資本論』より前の『経済学批判』(1859年)では「社会」規定なしに端的に「ブルジョア的富」とされているところです。このように「商品」は「富」の要素形態であるということを明確にして範疇的位置づけをあたえる必要があります。
なお、「資本家的生産様式」という用語は、用語表現とその移り変わりという問題意識から直訳的表現にしたもので、村岡さんのように「資本制的生産様式」という用語で示しても一向にかまいません。「生産様式」のとる「資本家的」あるいは「資本制的」形態であるという用語であればそれでいいのですが、それを「生産様式」とかかわりのない抽象名詞としての「資本主義」という用語で表現して、生産的基礎とは別の流通形態の特徴でもって近代社会の規定的要因をとらえようとする宇野理論にはマルクス理解としてまったく賛成できないのです。
村岡さんのご著書のなかの諸見解は、私にとっても賛否こもごもの様々な論点が提起されていると思われ、それがきわめて率直に問題点として示されていますので、ゆっくりと考えながら読みたいと思っているところです。
なお、困難な状況のなかで『カオスとロゴス』や《稲妻》を出しながらさらに著書も出しておられる村岡さんから今回はご本を頂戴したわけですが、出版のお祝いを同封しておきますので、出費の足しにしてください。
簡単なリプライ
村岡到
私の本への丁寧なお返事に感謝します。
「資本家的生産様式」の理解について、この言葉にこだわることの意味が宇野経済学の基本的立場への批判としてあることを理解できました。宇野三段階論についての評価問題は未検討ですが、重田さんの指摘によって、次の点がはっきりしました。
私は、「『資本論』と農業」で『資本論』冒頭の一句について、宇野が「資本制的生産様式が支配している社会の富」を「資本主義社会における富」に説明もなく言い換えていることを難点だと指摘しました。しかし、なぜ宇野がそうしたのか、その根拠については触れていません。<生産様式>概念が不明であることがその根拠の一つなのではないかと、気づきました。
重田さんの提起は、もう一つ、「社会における富」と「社会」との違いについても注意を喚起しており、その点も私のこの論文の焦点ではなかったので、明確にしていませんが大切な論点だと教えられました。
ノモス主権論評価に謝意
久留都茂子
新緑の候となりました。
御近著『生存権・平等・エコロジー』を御恵贈いただき、まことに有難うございました。「プロローグ」と題しつつも、これまで追求してこられた「連帯社会主義」をさらに推し進め、集大成された力作と拝読しました。
中国での国際シンポジウムの成果が幅広い理論の裏付けに生かされたのも何よりと存じます。村岡様のめざす<平等>概念の深化に「ノモス主権論」が多少のお役に立ったのは、故人の予想しなかった展開ではありましょうが、古い文献を丁寧に検証し、再評価していただいたことに謝意を表します。父〔尾高朝雄〕もモアの「ユートピア」には強い関心をもっておりました。
グローバルな闘いと競争が激化する時代、実現は困難であっても、理想を掲げ、邁進されることを念じ上げます。取りあえず御礼まで。
ミルとマルクスの相違
杉原四郎
御著書『生存権・平等・エコロジー』ありがとう。
索引でミルが出てくるところ3カ所を見て、ミルとマルクスとの違いを強調されていることに注目しました。Uのなかの「多様性と自由・平等」を熟読しました。そこで、「愛国心」ではなく、「愛郷心」と主張されていますが、新鮮な提起だと思います。私もこの年になって「鎮守の森」を意識するようになりました。
補論で穂積文雄のユートピア論が取り上げられていましたが、穂積先生の「東洋経済思想史」の講義を大学で聴いたことがあります。『支那貨幣考』という大冊もありましたが、先生はその後、ラダイト運動の研究に移られ、それで学位を取り、大学の講義では社会思想史を担当されていました。長く東亜同文書院に勤め、1940年ごろに母校の京大に帰られたのです。
切手を同封しました。郵送代の足しにしてください。
私はいま、ミルの本を出すので、その準備をしています。
エコロジー提起に学ぶ
石渡貞雄
不順な天気ですが、お元気ですか。
この度は貴著『生存権・平等・エコロジー』をご恵贈いただきありがとうございます。私の『農業保護産業論』(農文協)を活用していただき、感謝しています。広くエコロジーの問題にも論及してあり、勉強させていただきます。
さて、同封した「なぜ株式会社か」(『専修大学社会科学研究所月報』第280号=1986年11月20日)は、以前に私自身への自問を書いたものですが、昨今読み返してみても、何か考えてもよさそうに思えましたので、送付いたします。ご一読ください。
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