村岡到:<自然><農業>と<社会主義>
未完成。一部のみ掲載。
♪♪ウサギ追いし彼の山、小ブナ釣りし彼の川〜 と口ずさんでもよいし、パール・バックの『大地』を思い出してもよいが、<大地>が人間の生存の根源的な基礎であることは、揺るがない。だから「母なる大地」と形容されることも多い。「母」には「物事を生み出すもと」という意味もある。ここではジェンダー論には踏み込まないが、やがてこの言葉の外延的響きがジェンダー的に中立になることがあるとしても、そういう未来を手繰り寄せるためにも、今はまだこの言葉を慈しむほうがはるかに大切である。なぜなら、今や<母なる大地>は地球温暖化や酸性雨やさまざまな環境破壊によってその保全が危うくなっているからである。ジェンダー論をどんなに精緻に構築しても、地球の破局に遭遇してしまってはその追求の意味は大きく殺がれてしまうからである。
<母なる大地>は、郷土(国土)の67%が森林であることを基礎に「ウサギ追いし彼の山」となつかしく歌うことができる私たち、同時に<社会主義>をなお志向する私たちにどのような問題を投げかけているのであろうか。
本稿は、<自然>と<農業>について考察する。<自然>と<農業>は一体をなすものであり、切り離してはいけないことを明らかにする。そして、<自然><農業>は<社会主義社会>の不可欠の土台でもある。にもかかわらず、残念ながらマルクスは<農業>を<社会主義社会>の不可欠の土台として定礎することができなかった(第1節)。そして、この30年余の「エコロジストの問題提起」を概観し、スペイン人のホワン・マルチネス−アリエから<エコロジー経済学>の成果を摂取する(第2節)。いつものように、ソ連邦のいわゆる「社会主義」の経験を反省する作業も合わせて試みる(第3節)。さらに、哲学者梅原猛の「森の思想」も視野に入れることになる(第4節)が、これはこの間の<平等>論探究の成果でもあり、日本の現実に土着する努力の前進をも意味する。最後に、<日本農業の再生>の方向を提起する(第5節)。私が<エコロジー問題>を正面から取り上げるのは今度が初めてである。恥ずかしいことに、大変に遅れている。
とはいえ、私たちにしても「環境問題」にそれ程うとかったわけではない。1980年代に私たちが刊行していた『現代と展望』に、この雑誌の目標と性格を「基調――社会主義へ党派をこえる討論を」として明示したさいに、私たちはそこに「核兵器による人類絶滅の危機、原発や巨大技術による地球の生態系の破壊、世界資本主義の両極的発展による文明の崩壊と飢餓」と書いた。また「人間と自然との新しい結合」とも記した。わずか1100字だから、言葉を羅列したにすぎないが、「地球の生態系の破壊」を重要な問題として設定する位の問題意識はあった。後述のローマクラブの提起から10年も経っていたし、アンドレ・ゴルツの『エコロジー宣言』が刊行された当時でもあり、当然である。先駆的などとはとても言えたものではないが、まったく遅れていたわけでもない。
だが、個人でカバーできる領域は限られているし、問題意識の重点は情勢の変化も作用して移動するので、この10年余の<社会主義>論の探究においては、<エコロジー問題>は脇に追いやられていた。<エコロジー問題>を主軸にして考えれば、回り道をしていたことになるが、本稿の結論で示す<日本農業の再生>が明らかにしているように、この「回り道」によって獲得した理論的内実――とくに<協議経済>の構想は<エコロジー問題>にとってまったく新しい方向を切り開くテコとなった。
第1節 <自然>と<農業>の一体性
第2節 エコロジストの問題提起――エコロジー経済学の形成:未着手
第3節 ロシア革命の限界:未完成
第4節 梅原猛の「森の思想」の意義と限界
第5節 日本農業の再生の方向:未着手
付 『資本論』体系と<農業>:未着手
第1節 <自然>と<農業>の一体性
A <自然>と<農業>の決定的重要性
やはり、最初に言葉の意味を確認することから始めよう。<自然>は多義的であるが、本稿で問題にするのは、「山川・草木・海など、人類がそこで生まれ、生活してきた場」(『広辞苑』)という意味である。<母なる大地>と言ってもよい。「地球」と置き換てもよい場合もあるが、天体というニュアンスはない。<農業>とは何か。『広辞苑』では、「地力を利用して有用な植物を栽培耕作し、また有用な動物を飼養する有機的生産業、広義では農産加工や林業をも含む」と説明されている。「原料や粗製品を加工して有用なものとする産業」とされる<工業>との違いは、<生命ある有機体>を生産するところにある。『マルクス経済学と近代経済学』の著作もある、宇野弘蔵の弟子である玉野井芳郎によれば、『スモール・イズ・ビューティフル』の著者E・シューマッハは、「農業の基本原則は、生命、すなわち生きているものを取り扱うという点にある」と明らかにしていた(7頁)。
また、よく言われるように、<農業>は英語では
agriculture で、culture は「文化」で、agrarian
は「農地の」であり、cultivate は「耕す」である。このことも<農業>が人間にとっていかに基礎的かを教えている。漢字の「農」は、「辰」ははまぐりの貝を耕作に用いたからで、「曲」は林から田になりさらに変化したのだという(白川靜『字通』平凡社)。なお、「土地」ではなく、海洋を場とする「漁業」については触れないが、本稿での<農業>は<農漁業>と理解してもらってよい。
私たちはもう一つ重要な要点をはっきりさせることが大切だと考える。それは、<農業>は<食糧を生産する>という点である。先の説明に「有用な」と書かれているが、その内実は主要には「食物を摂取する」ことにある。私たちは生活の基礎を「衣食住」と表現するが、この「食」=「食糧」に当たる部分を主要に担うのが<農業>である。キャラメルやチョコレートを製造する工場は<農業>とは言えないだろうから、<農業>を「食糧を生産する産業」と定義づけることは不正確であろうが、にもかかわらず食糧生産の主力が<農業>であることは明白である。「衣食住」のうちどれが一番大切かと問うこと自体が適切さを欠くとも言えるが、あえて答えれば「食」がもっとも基礎的であろう。住むところがなく、ぼろをまとっていても食べることができれば「生存」は可能である。後述のアダム・スミスは「食・衣・住」の順で捉えていた。9頁玉野井その<食糧を生産する>という点は、重視したほうがよい。だから、『広辞苑』の説明に「食糧」がまったく出てこないのは不十分と言わざるをえない。
庶民の食事のメニューを想起すればすぐに分かるように、食物の種類や質がより多様になったとは言えるが、人間の胃袋のキャパシティーは恐らく人類の数億年の歴史でほとんど変化はないのではないだろうか(死亡年齢は上がったが、身長はそれほど変化していない)。そのことに見合うように、食糧の主要な内実をなす「生命ある有機体」の生産は、自然のリズムにより強く従う。確かに、冬でもスイカを生産したり、ニワトリをだまして昼夜を早く繰り返して卵を増産してはいるが、豚や牛の成育速度を2倍にすることや稲を年に3回も4回も収穫することはできない。バイオ農業や宇宙バエの活用も話題になっているが、ともかく工業製品の生産速度のスピードアップとは比べものにならない。自動車の生産速度は、より複雑な車体になっているのに、19 年には1台当たり 時間だったが、今では 時間に短縮された。IT技術の発達は のチップに 分の情報を圧縮して保存できることになった。
ここまで確認したうえで、<自然>と<農業>との関係について考えてみよう。
<農業>から見ると、<自然>は不可欠であり、<自然>を離れて<農業>はありえない(<工業>は<自然>を離れても成立可能であり、「加工された自然」をより多く労働対象とする)。だが、<自然>は<農業>よりはその拡がりが大きい。<農業>を離れても、<自然>は<人間>にたくさんのものを与えてくれる。<自然>は<農業>の対象であるばかりか、山岳は登山の対象とされている。そればかりか、農作業のなかでも、労働の合間に山の峰に入りゆく夕陽の美しさをわが子と語らいながら実感することもあるだろう。だから<農業>は<自然>よりも小さい。しかし、<農業>は、<人間>の生存にとって不可欠な<食糧>を創り出すがゆえに、単なる部分というわけではない。余りにも根本的な内実を有している。したがって、<自然>について考えるさいには、<農業>を条件反射的に一体のものとして考えたほうがよい。「自然を大切にする」とは、実は「農業を大切にする」ことと一体なのである。いや、そう考えるべきなのである。少なくとも、<自然>について語りながら、<農業>は問題にしないという考え方に陥ってはならない。『マルクス・カテゴリー事典』の「自然」の項目は6頁もさいているが、一言も「農業」は出てこない(服部健二執筆)。登山の対象としてだけ<自然>を見るべきではないし、茶会の静かな背景として庭園を愛でるだけでよいわけでもない。「環境破壊」を問題にしながら、<農業>には触れないというのは大きな間違いである。例えば、都市の工場での土壌汚染を問題にする際に、仮に直接には農地に影響がない場合でも、破壊されつつある<農業>の現状にも想像力を働かせることができれば、「農業問題」で苦悩している人々と「共通する何か」――<自然>を大切にしないことへの危機感――を感じ取ることができるであろう。そうすることによって、土壌汚染反対運動は社会的拡がりを獲得することができ、そこに地域をこえた<連帯>が生まれるのである。
<農業>についての学問が<農学>である。<農学>は、農学者の椎名重明が『農学の思想』の「第1章 リービヒの農学」で明らかにしているように、「ヨーロッパの農業における資本主義の発展が、地主たちに地力維持の必要性を意識せしめたとともに、土地の合理的とりあつかいに関する」(6頁)学問として形成された。だが、椎名は、「農業を工業とまったく同様の商品生産とみなすところに農学はありえないと同様に、……自然科学的=生物学的合理性を軽視するところにも農学は成立しえない」(13頁)と説く。まさに、この2点において、椎名が着目するのが、19世紀ドイツの化学者ユストゥス・フォン・リービヒである。リービヒの農学について紹介する余裕はないが、自然の循環を重視する点で、「東洋思想における『輪廻』を想起」(27頁)させるものであることについてだけ確認しておきたい(後に第4節で再び問題となる)。どの学問分野も「学際的要素」を不可欠に含むし、理論の蛸壺化ほど下らないものはないが、にもかかわらずそれぞれのテーマに応じて独自の位置を占める専門的研究がなくなることはない。その意味で、<農学>は<農業>についての学問として極めて重要な役割を担っている。
このように、<農業>や<農学>は、人類の生存にとって不可欠かつ重要な位置を占めている。ということは、人類の未来を<社会主義>と遠望する立場に立つとすれば、<農業>や<農学>を<社会主義社会>の不可欠の土台として重視しなければならない(この視点から、私は、<革命の主体>をこれまで<労働者・市民>としてきたが、今後は<労働者・農民・市民>とする。<農民>を加えることによって、<農業>の不可欠の重要性に注意を喚起できるからである)。
B <農業>を定礎できなかったマルクス
ところが、マルクスやマルクス主義においては、<農業>は重要な位置を占めていない。『マルクス・エンゲルス農業論集』が編まれているし、カウツキーは『農業問題』を書いているし、栗原百寿の『農業問題の基礎理論』をはじめマルクス主義に立つ「農業経済論」も少なくないので、今まで気づかなかったのであるが、偏見――この場合には身内に甘くなる偏見を捨てて調べるとすぐに理解できる。いささか古いが1966年に刊行された『資本論辞典』には、何と「農業」という項目が立てられていない(「農業革命」「農業恐慌」はある)! つまり『資本論』を理解する――ということは資本制生産を理解すると同義だと思われている――うえで「農業」は必要ないということである。この辞典はマルクス主義経済学者の集団的成果であるが、さらに驚くのは近代経済学をも合わせた大部の『経済学辞典』にも「農業」という項目がない。正確に言えば、「農家経済」や「農業の資本主義化」はあり、「農業(各国)」という項目はあり、各国の農業の特徴についての説明はあるが、「農業」を他の項目のように抽象的に定義づけてはいない。これは偶然ではない。玉野井によれば「ケインズ経済学……では農業セクターは完全に無視されている」(13頁)。マーシャルも農業を軽視したという。「マルクス経済学も近代経済学も、この市場と工業の〔つまり農業無視の〕経済世界を中心に売買の<無意論的メカニズム>を描き出し」た(12頁)という評価が生まれる由縁である(この指摘の一面性については「付論」で後述する)。
<注に>また、<複雑系経済学>を創唱する塩沢由典が、「マルクス経済学を近代経済学のひとつに数え」ることとも通底する(『近代経済学の反省』日本経済新聞社、1983年)。
向坂逸郎は1932年に、カウツキーの『農業問題』の「訳者序文」で、カウツキーのこの著作とレーニンの『ロシアにおける資本主義の発展』が同じ1899年に刊行されたことを紹介し、「この時まで、われわれは資本主義において農業がいかなる様相をもって現れるかについて体系的に述べたマルクシズムの文献を有しなかった」と書いている。9頁。言い換えれば、マルクスは「体系的に述べ」ていないということである。このことについては、『マルクス・カテゴリー事典』の「農業」の項目で、椎名も「マルクスは、資本制生産に先行する農業についてはもちろん、資本制農業や資本主義世界の農民的小農業その他について、体系的に叙述してはいない」と確認している。椎名はその後で、「マルクスには、人間と自然との物質代謝の中心に農業〔労働ではなく?〕を位置づける視点がある。……その視点は……未来社会の構想に生かされる」と説明している。しかし、椎名は、何一つ典拠をあげていない。しかも「構想に生かされる」という表現も微妙である。マルクスがそうしているのか、それとも後代の私たちが活かすことができるということなのか(その後の説明文では「マルクスが……」というように、主語をはっきり明示するスタイルをとっている)。
マルクスは工業と農業とをどのように捉えていたのであろうか。この問題について、玉野井は、「工業と農業の本質的差異」を強調し、ドイツ社会民主党の農学理論家エドゥアルト・ダヴィッドを引いて、「マルクスの規定では工業と農業との生産過程は本質的に同一のもの」(77頁)とされていることを問題にした。これにたいして、椎名は「資本制生産過程としては、氏の指摘のとおり」であると賛意を評しながら、「しかし、労働過程=人間と土地との物質代謝の基礎的過程としての農業は、マルクスにおいては工業や鉱業と明確に区別される」として、『資本論』第1巻第14章での「土地」と「機械」についてのマルクスの説明を引用する(213頁)。確かにマルクスは、「土地は正しく取扱えば、絶えず良くなってゆく」と書き、「機械はただ悪くなるばかりである」〔A〕と書いていた(椎名は「生産過程」と「労働過程」の区別が重要なのだと説いている)。「土地」と「機械」について対比してその違いを説いていたのはさすがにマルクスと言わなければならないが、「土地」と「機械」はいずれも労働過程の一契機にすぎない。「土地」と「機械」とは異なる性質があると指摘するだけでは、<農業>と<工業>との違いを明らかにしたとまでは言えない。身長が異なるからといって、健康か否かがわかるわけではない。問題は<工業>と<農業>とをどのようなものとして認識・解明したのかにある。
ところで、こんな文章もある。「農業では自然も人間とならんで労働する。……製造業では自然はなにもしないで人間が万事をおこなう」〔B〕。この一句と「土地」と「機械」についてのマルクスの対比〔A〕とをくらべたら、どちらがよく<工業>と<農業>との差異を説明していると言えるだろうか。わざわざ問わなくてもはっきりしている。マルクスが書いていたと言ってもそうかと思うだけであろうが、実はこの一句は、アダム・スミスが『国富論』で書いたものである。玉野井が着目して引用している(9頁、82頁)。玉野井によれば、農業についてのスミスの説明は「リービヒによって〔論文「国民経済と農業」で〕高く評価された」(10頁)ということである。椎名が問題にしている玉野井論文でも強調されているにもかかわらず、椎名がこのスミスにまったく触れないのは許し難い視野狭窄である(他方、玉野井は椎名が依拠するマルクスの文章〔A〕には触れない)。リービヒの「国民経済と農業」をマルクスは『資本論』で引用していたのであり、ことによると、先の〔A〕は〔B〕をリービヒを経由して仕入れたのかもしれないし、あるいはスミスを直接ヒントにしたのかもしれない。
<注へ>なお、「本質的に同一のもの」という表現を玉野井が使い、椎名も肯定的に引用しているが、この表現よりも「資本制生産過程というレベルあるいは視点からすると同一である」と書いたほうがよい。「本質」とは何かと問いだすときわめて面倒な難問となるからここではこのことだけ記しておく。
椎名は繰り返し、「リービヒの思想がマルクスによって正当に理解された」(55頁)と強調するが、その論拠は「『資本論』のなかのマルクスの言葉」――「自然科学の立場からの近代農業の消極面の展開は、リービヒの不朽の功績の一つである」にある。確かにマルクスがリービヒを高く評価しそこから摂取したものがあること、そのことを明らかにした――前記の『マルクス・カテゴリー事典』でも再説している――ことは、椎名の功績であるが、注意してこのマルクスの言葉を読むと、なぜ「近代農業の消極面」と書いてあるのであろうか。そこには<農業の本質>とは書いてない。椎名が高く評価するリービヒがもっとも明らかにしたかったのは、「近代農業の消極面」の解明だったのであろうか。すでに紹介したが、椎名自身が書いていたように、リービヒの理論は<農学>として捉え返すことこそが大切なのである。ところが、マルクスはリービヒを<農業>や<農学>として摂取したのではなく、単に「近代農業の消極面」の解明として受け取ったにすぎない。とても「彼〔リービヒ〕の思想がマルクスによって完全に理解された」(169頁)とは言えないのである。玉野井が鋭く指摘しているように、「農業」に関説する「『資本論』第3巻第6篇の地代論」では「工業と区別された農業の特性が主題となっているわけではない」(12頁)。マルクスは、<農業>を考察するさいにヒントになる手がかりは残していたとは言えるが、<農業>を正面から明らかにはしなかったのである。(<農業>と<工業>との質的相違が、<経済計算>にとってどのような問題を提起しているのかについては、最後の節で明らかにする)。
<マルクスを超える>という、私たちの志向性にしたがって、<農業>のほうを先に取り上げたが、本稿は「<自然><農業>」と立てていたので、<自然>のほうについても検討しよう。
C マルクスの「自然」理解
マルクスは<自然>をどのように捉えていたのか。
だれもがよく引用するのは、『資本論』第1巻「第5章第1節 労働過程」に書かれている周知の定式的一句である。「労働は、まず第1に、人間と自然との間の一過程、すなわち人間が自然とのその物質代謝を彼自身の行為によって媒介し、規制し、管理する一過程である」第2分冊、304頁。その少し後には「労働過程は……人間と自然とのあいだにおける物質代謝の一般的な条件であり、人間生活の永遠の自然的条件である」314頁。椎名、農学、173頁。と再確認されている。読めばすぐ分かるように、「労働過程」の解明を主眼とした分析のなかで、「自然」を位置づけているのであって、「自然」とは何かを正面から問題にしたわけではない。しかし、重要な認識であり、継承する必要がある。
遠く離れて第3巻の「地代」について扱った第46章と第47章にも重要な認識が示されている。「社会全体さえ、一国民でさえ、いな同時代の諸社会を一緒にしたものでさえ、大地の所有者ではない。それらは、大地の占有者、土地の用益者であるにすぎない」新日本出版社、13分冊、1353頁。そして、「共同の永遠の所有としての、交替する人間諸世代の連鎖の譲ることのできない生存および再生産の条件としての土地」1420頁、椎名、自然、77頁という言葉もある。この4つはすべて椎名が引用して、自身の理解を説いている。
後2者は、前者の「労働過程」についての文章とは比重が同じとは言えないが、逆に「地代」についての章のなかなので、「大地」や「土地」を主語にしている点でも重要な認識であり、「所有」と「占有」との区別を明確にしている点でも注目すべきである。文中の「大地」はこの版までは「土地」と訳されていたが、さらに「母なる大地」と訳したほうがよいであろう。「土地」との違いがはっきりするからである。
<注へ>すでに私は、1993年に「土地の自治体所有化を」で、「人間と母なる大地」について、このマルクスに学んで明らかにしたことがある。
「母なる大地」――この言葉については少しこだわる必要がある。
玉野井は、「人間と自然との物質代謝」について問題にして、彼のいう「生命の世界=生態系の世界」における「土地は、マルクスの目に映じたような<母なる大地>ではない」72頁と書いている。玉野井はマルクスが<母なる大地>に込めた意味を理解していないが、ともかく『資本論』の体系においては、「生態系の世界」がまったく捨象されていると考えている。「愛も正義も介在する余地はない」(12頁)というわけだ。
逆に「母なる大地」を積極的に評価する見解もある。哲学者の梅本克己は『唯物史観と経済学』で、「マルクスが『資本主義的生産は、すべての富の源泉すなわち土地および労働者を同時に破壊することによってのみ社会的生産過程の技術および結合を発展させる』と言ったとき、その『土地』Erde
という語の中にこめたものは、坪何万円などという価格で表現される『土地』ではなかった。天に対する土地、母なる大地、自然としての土地である。……生産の根源的な母胎としての『大地』であり『土地』であるものが、商品形態の底を抜く意味を持っている」と説明している。178頁。「底を抜く」とは根底的批判、打破という意味であろう。引用文は「第13章 機械設備と大工業」末尾、新日本版、3−868頁に変えた。私は1970年代前半に梅本さんの家をしばしば訪ねたが、ここの「土地と労働者」について「ディ エルデ ウント ディ アルバイター」と発音しながら、「この土地は一坪いくらの土地でなく、母なる大地」を意味している、と梅本さんはよく語ってくれた。
玉野井の見解に批判を加えている椎名は、「資本が投下される土地は、母なる土地
Erde ではなく、人間の手が加えられた土地 Boden
であ」る(自然、218頁)とマルクスに注文を付けている。確かにその通りであろうが、前の梅本が引いている文脈の場合には、「土地」を「母なる大地」と理解することこそが正解であろう。
<農業>を経済学のいわば原理論の内部でも位置づける必要がある(「付論」で後述)がゆえに、「母なる大地」と「土地」は使い分けながら同時に両方とも用いるべきなのである。「母なる大地」が、初期マルクスが愛好した言葉で言えば「疎外」されて単なる「土地」として扱われる――つまり「商品形態」の下で意味あるものとなるところに、資本制生産の転倒した姿が現れているのである。この転倒を明示するためには、二つの言葉を使う以外に表現のしようはない。したがって、資本制生産について分析する場合には、「母なる大地」という言葉はキーワードなのである。経済分析(理論)のなかには「イデオロギー的要素」を排除したほうがよいとする立場(その典型は、玉野井を育てた、「純粋資本主義」を想定する宇野経済学である)に立てば、「母なる大地」を用いるべきではなく、単なる「土地」として表示したほうがよいことになる。
だから、椎名がマルクスにむかって、「母なる大地」を用いるべきではなく、単なる「土地」という表現に統一せよと注文しているのは、リービヒに依って<農業>の重要性を強調する立場とは不整合になってしまっている。<農学>を説く場合には「母なる大地」を用いるほうが適切であると、椎名も同意するだろうが、そうすると、「母なる大地」を用いてはならない「経済学」と「農学」は重要な接点を失うことになるのではないか。
「母なる大地」に大きな意味を読み込もうとする、梅本の志向性は活かされる必要がある。Erde
ではなく、Boden として「土地」を認識することによって、『資本論』の体系をマルクスは書き上げたのだが、その成果の裏側に、そこで捨象されたものもまたあったのである。梅本は「抽象が意味を持つのは、そこで捨象されたものの重さをつぐなっている時である」と書いたことがあるが、どうやら「捨象されたもの」は余りに大きく、その「償い」はなおマルクス主義者の負債として残されている。Erde
を切り捨てなかったところに、マルクスの独特の特徴があり、玉野井−宇野とは逆方向に、別言すれば梅本の方向にその可能性は探究される必要がある。
ところで、『マルクス・カテゴリー事典』に載っていなければ言及する必要はまったくないのだが、前述したように、「農業」に触れることなく「自然」について1万字近くも費やしながら説明した服部は、本項で引用した『資本論』からの5つの文章すべてを引用しない。「母なる大地」の意味がまったく分かっていないからであろう。こんな理解の水準で、しかも「……ということになれば〔という仮定法で〕、マルクスはエコロジストの顔を持っていることになる」などと書くのは的外れの護教論にすぎない。205頁この仮定法を使えば、マルクスはフェミニズムの始祖ともなるだろう。
× × ×
決定的なことは、すでに確認したように、『資本論辞典』にも『経済学辞典』にも「農業」という項目が立てられていないことに示されているように、マルクス主義陣営では<農業>が極端に軽視されていた(近代経済学も同罪だが)こと、そのことにマルクスの責任もあるということである。そのことは、マルクス主義を理論的な武器として勝利したロシア革命に暗い陰――さらに言えば、その崩壊の主要な要因の一つ――を落とすことになったが、それについては第3節で取り上げる。その前に、エコロジストや「エコロジー経済学」――その核心は「枯渇性資源」の問題と「未来の世代への責任」を経済学に組み込む点にある――から提起されている重要な問題について学ぶ必要がある。とくに、後者からは、これまでの論述とは別次元からの深刻な批判が加えられている。
第2節 エコロジストの問題提起――エコロジー経済学の形成
マルクス死後のマルクス主義者が<農業>理解の一点で(も)「負債」があることにさえ気づかないままに時間を浪費していたがゆえに、その「空隙」を衝いて、新しい動向が登場することになった。人類の歴史においては、そこに何かの葛藤やトラブルが生じ、それが大きな規模になると、やがて誰かがそれを<問題>として意識し、その正体が何なのか解明しようとする。なぜそうするのか――人間存在の根本に連なるこの難問については哲学者に解いて=説いてもらわなくてはならないが、ともかく、1970年代以降、<エコロジー問題>が浮上した。マルクス主義がはかばかしい対応ができなかったからには、その外から新しい努力が台頭することは避けがたい。この新しい動向は運動を伴う潮流にまで成長し、理論的にも<エコロジー経済学>として国際学会まで活動の幅を拡げている。
玉野井が明らかにしているように、「エコロジー」という言葉はドイツの動物学者ヘッケルが1868年に造語したものである(41頁)。それが「今日のような生態学の意味で広く用いられるようになったのは、20世紀に入ってからのことである」(E頁)。
第3節 ロシア革命の限界
第4節 梅原猛氏の「森の思想」の意義と限界
終節に進む前に、一転して梅原猛の「森の思想」を取り上げる。日本史の定説をくつがえす「梅原日本学」は広範な読者の支持を受けているが、本稿のテーマとの関連で、1995年に刊行された『森の思想が地球を救う』で梅原氏が何を提起しているのかを検討する。
梅原は、1990年にソウルで開催された韓国仏教放送局開局記念講演で、「3つの危機をむかえて――21世紀の世界と仏教の役割」(第3章)と題して講演し、「21世紀の3つの危機」として「核戦争の危機、環境破壊の危機、精神崩壊の危機」(138頁)をあげた。「環境破壊の危機」について、梅原氏は、「人類が、それまでの狩猟採集文明にかわって新たに農耕牧畜文明を発明したときいらい、人類は自然を破壊し、人間が住むべき環境を破壊してきました。……約300年前に発明された工業文明は、そのような自然破壊、環境破壊を飛躍的にすすめたのです」(143頁)と説明する。「今から5000年前に、人類はじめての都市の文明をつくったシュメールのギルガメシュ王の伝説によれば、ギルガメシュ王がまず第一にしたことは森の神の殺戮であ」(同)ったことを、象徴的な出来事だと想起する。「四大文明といわれる都市文明の栄えた土地は、現在ほとんど森を失い、砂漠に近い状態になっています」(144頁)。
梅原は、「世界の四聖といわれる人、ソクラテス、キリスト、釈迦、孔子」は「それぞれじつに尊敬すべき思想を説いたのですが、それが農耕牧畜文明の上に立つかぎり、それはやはり人間の自然支配を是認し、そのうえで人間の尊厳を説こうとした思想であった」(161頁)と指摘する。そして、「近代ヨーロッパ哲学の開祖」(126頁)、17世紀の「デカルトの二元論」――「一方に自我としての人間をおき、一方に物質としての自然をおき、その人間が自然を科学的に認識すればするほど自然を支配でき」ると考える――を問題にする。梅原は、「農耕牧畜文明の成立と同時に生じた人間中心の考え方、それを根本的に批判しないかぎり、文明の再生はありえないと考えている」(162頁)。さらに、「『山川草木悉皆成仏』という大乗仏教の真理」こそが、この「環境破壊の危機」に対抗できる思想だと提起する。「山川草木悉皆成仏」とは、「仏性は人間だけにあるのではなく、すべての生きとし生けるものばかりか、……山や川すら仏になれるとする考え方です」(153頁)。梅原は、「仏教徒は、今日、この自然破壊の文明にたいして強い怒りをもち、環境保護運動の先頭に立たねばならない」(164頁)と呼びかける。
同年、カナダの大学でおこなった講演「“森の思想”が地球を救う」(第4章)では、「全国土の67%が森林であり、しかもその森のうちの54%は天然林で」(174頁以下)ある日本に着目し、その原因を探る。日本列島には「縄文文化〔土器を伴う日本の漁撈採集文化〕が1万年ものあいだ繁栄し」ていた。その「日本に農業が輸入されたのが遅かった〔紀元前3世紀〕こと、……その農業が養豚以外の牧畜を伴わない稲作農業であったこと」――この二つが原因であるという。「稲作農業は、高温にして多湿の日本ではたいへんに成功し」た。「日本の地形」も大きく作用した(縄文文化=漁撈採集文化の重視は、「日本文化の起源を農耕文明、弥生文化に求める」(37頁)柳田国男や折口信夫の民俗学にたいする、梅原日本学の要点である)。
「森の文明の考え方」について、梅原は次のように説明する(158頁以下)。「森の文明ともいうべき縄文文化が日本文化の基層を形成している」としたうえで、その「精神的特徴」として、まず「平等志向」を取り出している。「日本の山間部で伝統的な狩猟法を守るマタギの社会では、……獲物は狩りに参加できない老人や寡婦の家庭にも平等に配分され」る事例をあげている。しかも「その平等ということは、人間の間のみならず、人間と動物や植物の間にも存在している」。「人間も動物も植物もすべてあの世とこの世の間の絶えざる循環をくり返すもの、とみる見方」がもう一つの特徴だという。仏教で言えば「輪廻」(55頁)である(第1節で、リービヒの理論が「輪廻を想起させる」という椎名の評価に言及しておいたが、ここに、ドイツの農学者と仏教に通底するものがある)。つまり「平等の原理とその永遠の循環運動」である。そして、梅原氏は「この平等化の思想の根底となるのが、和の原理です」(184頁)という。「この和の原理こそが、日本社会を構成する原理である」と指摘する。しかし、「和の原理は、集団の価値が優先する原理であり、とかく個人の価値は第二次的になりがちです」(185頁)。そこで、梅原は「仏教のなかで最も自由を強調する」「禅宗」に活路を見いだす。「禅宗の理想とする自由人」が「羅漢」であり、「羅漢」は「まったくの自由人で、それぞれはかなり異なった人間です。こういう羅漢の和の社会こそ、これからの日本社会の理想だと思われるのです」(188頁)。(梅原は触れていないが、<平和>が<平等>の「平」と「和」の2文字から成っているのも興味深い)。
梅原は、「われわれは文明の原理を、人間の自然支配を善とする思想から、人間と自然との共存をはかる思想に転換しなければなりません」(196頁)〔A〕と結論する。
仏教に帰依することが必要であるという点については、態度を保留するが、「21世紀の3つの危機」として「核戦争の危機、環境破壊の危機、精神崩壊の危機」をあげ、「環境破壊の危機」に警鐘を打ち、「人間と自然との共存」を方向指示している点は、全面的に共感できる。日本列島に住む私たちにとって、「平等志向」という点で、仏教への注意の喚起も深く学ばなければならない。「第2章・インドの思想と日本の文化」では「平等ということは、これからますます重要になってくる人類共通の理想です」(118頁)と強調していることも大いに賛成である。また、「悟り」に重点をおく仏教にとって、実践への呼びかけはとくに大切であろう。本稿では、環境問題の部分しか検討しなかったが、梅原は明確に「平和憲法」の歴史的意義を強調している(199頁)ことも確認しておこう。このように、梅原氏は安易に「保守反動の人間」(134頁)とレッテルを貼って視野の外に置けば済むような人物ではまったくない。むしろ、大いに学ぶべき思想を提起している。
だが、全面的に支持できるとも思えない。梅原は、前出の〔A〕に直続して「私はもう一度人類は、この狩猟採集時代の世界観にたちもどり、個人ではなく種を中心にした考え方、つまり永遠の生と死の循環という思想をとりもどさなければならないと思うのです」と書いている。果たしてこれでよいのであろうか。
第一に、自然に感謝するアイヌの文化への着目なども深く摂取しなければならないが、「狩猟採集時代の世界観にたちもど」るだけでよいのか、この点が、なお違和感が残るところであり、検討を要する問題であろう。梅原の思想を私が知ることができるのも、あるいは「DNAの発見こそ、『山川草木悉皆成仏』という大乗仏教の真理の正しさの証明」と言うことができるのも、近代・現代の科学の成果ゆえである。「中間に真理あり」とはフィヒテの明言であるが、「狩猟採集時代の世界観」も「近代・現代の科学の成果」をも包摂する新しい世界観が必要なのではないだろうか。
第二に、「個人ではなく種を中心にした考え方」とまで言ってしまうと、折角、前述の「羅漢の和」に活路を見いだした、「自由」を尊重する必要性がまた打ち消されてしまうのではないだろうか。ここに「個人ではなく種を中心にした考え方、つまり永遠の生と死の循環という思想」と書かれてあるように、問題は「永遠の生と死の循環という思想」という定式化にあるのではないであろうか。この表現と前記の「人間と自然との共存をはかる思想」とを梅原は等しいと考えているが、けっして同じではない。このことは、「デカルトの二元論」にのみ近代の思想の典型を見いだす視野の狭さが検討される必要があるということでもあるだろう。
ところで、梅原はソウルでの講演では、まず最初に「マルクス哲学の限界」を説いていた。「東欧で起こった政治的変動〔ベルリンの壁の崩壊など〕について……ほぼ30年前から予言し」ていた――ソ連邦の崩壊はこの講演の翌年末――という点や、マルクスの否定面としてその「哲学の根底には、深い人間にたいする憎悪があります」(130頁以下)と切開・批判している点については、敬服し同意することができる――<人間の多様性>認識の欠落がその原因であろう――が、他方で、マルクスを「影響力が大であるということを偉大の条件とするならば、最も偉大な哲学者であります」(135頁)と評価しているにもかかわらず、「影響力が大である」内容をまったく一つもあげていないのは首肯できない。本書では2カ所だけ「資本主義」なる用語が出てくる。「現在の資本主義の文化、それはまったく愛欲の全面肯定の上に成り立っている」(109頁)という文章のなかと、「マルクスが資本主義社会の崩壊を予言」(136頁)にである。この「資本主義」とは何のことで、どんな特徴をもつものと、梅原氏は考えているのであろうか。この問いに答えようとすれば、マルクスの経済学はなお基本的には有効性をもつと認めることになるのではないか。大家と定評される思想家の場合でも自分の専攻領域外のことについては手薄な認識になることは避けがたいのであろうが、梅原の本書は経済学的認識がきわめて弱いと評さざるをえない。
また、「マルクスよりももっと根本的な近代ヨーロッパ社会の批判者」(136頁)として、ニーチェを「近代の終焉を予言した」点で評価しているのも疑問である。ニーチェは「平等」を説いているのだろうか。仏教との通底性がどこにあるというのか、明示的な説明はどこにもない。「ナチズムやファシズムはニーチェの思想の一面だけを過大に解釈したもの」と解釈しているが、この論法でいけば、レーニンやスターリンはマルクス「の思想の一面だけを過大に解釈したもの」という言い訳も成り立つことになる(その一面も間違いなくあると、私は考えている)。
なぜ、梅原氏を取り上げたのかについても説明しておいたほうがよいだろう。私は少し前に、「<平等>こそ社会主義正義論の核心」を執筆した。そこで、私は仏教においては<平等>が重視されていることに気づいた。梅原の『梅原猛の授業・仏教』(朝日新聞社)を読んだからである。もう一つの意味は、世間で大きな位置を占めて評価されているものと交叉することが必要だと考えたからである。圧倒的に多くの人々が「社会主義には意味はない」と思っている時代に、なお<社会主義>の旗を高く掲げようとするのだから、勢い社会の端っこで主張することになるが、ゲットーでの良心の証のために主張しているわけではないから、広く世間に届くためにはいわば「道場破り」を試みることも活路ではないかと考えたのである。小さな町道場ではなく、宮本武蔵が門をたたいた「吉岡道場」――偶然ながら、梅原は京都に住んでいる――のほうがよいだろう。
以上、未完成。意見、批判を歓迎します。調査中のところもあります。教示乞う。
TOPへ戻る