神戸で久しぶりに洋食が食べたくなった。といってもまともなディナーなんかじゃなくて、気楽に食える昔ながらの「洋食」である。それを探して、しばし三宮をうろついた。
 最初に目に付いたのは「浅草食堂」という店。メニューサンプルもなかなか旨そうだった。しかし東京から偶に神戸に来た身には、「浅草」という名前は退いてしまう。なんでわざわざ浅草やねんと思ってしまった。それで、もうちょっと探してみることにした。
 北野坂をちょっと上って左に入ったところに「赤ちゃん」という店を見つけた。これもけったいな名前とは思ったが、「神戸洋食」を謳っている。時間も時間だったので入ってみることにした。
 特に立派とも思えないテーブルが大小合わせて5つ6つという程度の店で、客は半分ほど入っていた。多すぎず少なすぎず、一見客には居心地悪くない。この店では少し高めの「ビーフステーキ、ライス付き2150円」と生ビールを注文した。ステーキは切って出されて、割り箸で食べる。薄い肉で柔らかい。そして添えられているレタス、キャベツ、ポテトサラダ、パセリなんかが、いかにも昔ながらの「洋食」で、感激した。
 生ビールのお代わりをして、充分満腹。改めてテーブルの上のメニューを眺めてみる。「ランチ」というのがある。ハンバーグ、海老フライその他のセット料理らしくて1300円。興味を引いたので、ちょっと愛想のないウェイトレスに聞いてみた。「このランチってのは夜でも食えるの?」。はい、という返事だった。いっぺんに懐かしさが込み上げてきた。
 他の土地ではどうか知らんが、昔の神戸の洋食屋にはたいてい「ランチ」があった。それを子供の頃、よく夕食に食べた。英語の Lunch が昼食の意味なんてことはまだ知らない小学生の頃だったから、ランチは夕食に食べるものと思っていた。店によっては100円ランチとか、ちょっと高い店でも150円くらいだった。だから「赤ちゃん」のそれは、当時のちょっと10倍くらいということになるが、高度成長以前の時代から、物価もそれくらい上がってるだろう。まさにあの子供の頃の「ランチ」らしい。
 その前に「お子様ランチ」というのはあった。チキンライスの山の上に(例えば)「三越」の旗が立っていたのが懐かしい。ただ筆者自身がお子様ランチを食べた時代は存外短かったような気がする。
 お子様ランチは、むしろ大人になってから、若い女性の間でブームになったことを覚えている。バランスのとれた低カロリー食ということで人気が出たものらしいが、もともと家族客向けの利の薄いサービス・メニューなんだろう。それを大人に注文されたんじゃ商売あがったりということで、断る店が続出したらしく、やがてブームは去った。
 閑話休題。お子様ランチを卒業してからは、大人と同じランチを食べるのが常だった。まだあの時代、大人でも正規のディナー・コースなんてのはかなり贅沢だったのかな、とも思う。だから夕食にランチだったのか、と。
 フォークの背にライスを乗せてナイフでこてこてに固めて食うという、あの滑稽な「マナー」も、このランチを食うとき、親に練習させられたものだ。今どき、あんな食い方する人まだおるんかいな?
 そんなランチを食べに行った店は何軒かあったと思うが、中でよく覚えているのはトアロードの省線(JR)のガードの山側あたりにあった「ワシリ」というロシア料理屋。そんなに大きな店じゃなくて、初老のロシア人のウェイターがいた。いや、店のご主人だったかもしれない。筆者は子供の頃から(今でも)胃腸があまり丈夫じゃなくて、肉の脂身なんかはどうも苦手で、ワシリでもそれを残したりしたが、そのウェイター(?)の小父さんが「これも食べてね」と優しく言ってくれたこともあった。
 既に神戸を離れていた大学生くらいの頃に、神戸に寄ったとき、このワシリに行ってみた。世は物価急騰の時代だったのに、ワシリのランチの値段はあまり上がってなかった。ビンボー学生としてはそれは嬉しいことだったが、料理の質は随分落ちていて、がっかりした。それから更に10年くらいの後に行ったら、ワシリはもうなかった。
 京町筋の高級洋菓子店「コスモポリタン」が昼間だけレストランをやり始めたのは筆者の知る限り2003年頃からだと思うが、そこのボルシチ950円を食べた時、ワシリのことを思い出した。あそこのランチについていたスープもこんな味だったんじゃないか?どちらもロシア料理なんだから、似ていても何の不思議もなかろうけど。
 ともかく、今度神戸に行ったら、「赤ちゃん」のランチ食うたるねん。

2004.8.26