長田のぶたまん
 長田へ行ってみた。
 神戸市長田区という地名は、地震で大きな被害を受けたためにかなり有名になった。ケミカル・シューズの産地としても、その業界では以前から有名であったらしい。しかしその前に、長田神社というのは地元ではつとに知られている。元官幣中社というから、国家神道の時代にはかなりの格式だったんだろう。

 もっとも僕は、かつてこの神社に参拝した記憶はない。ただ、子供の頃、この神社の参道のすぐ前あたりで市電と山陽電車が平面交差していたのはよく覚えている。市電どうしの平面交差は珍しくもなかったが、他の電車というと、阪急の西宮北口で神戸線と今津線が交差していたくらいか。いや、京都なんかは東山三条の市電と京津線、そのちょっと北の元田中で市電と叡電などがあったが、その頃(1960年代)でも、神戸の市街地では国鉄と阪急は高架、阪神と神鉄は地下だったから、平面交差は珍しかったのだ。今は、山陽電車はここのちょっと西から神戸高速鉄道となって地下へ入り、都心で阪急、阪神とつながっている。また、かつての市電のかわりの市営地下鉄山手線が走り、このふたつの路線はやはり長田神社の前で(ただし地下で)交差している。
 その地下鉄を長田で降りたら、ほぼ昔ながらのような参道があった。ただし車の交通量が異様に多い。とりあえず神社へ行き、上の写真を撮ったが、たいして興味もないんで、最低限の賽銭あげて拝殿に一礼しただけで引き返す。

 参道の入口あたりの、ぶたまんやラーメンを売ってる店が気になっていた。ちょうど昼どきでもあった。小さな店で、食べていく人よりも買って帰る人のほうが多いんだろう。店の中にはカウンターがひとつ。丸椅子が4つ5つあるだけで、しかもその椅子に座ったら後ろを通れないくらい狭い。中年の女性がひとりで店番をしている。僕が入っていったときにはちょうど電話中だった。それがカタコトの日本語だった。
 とりあえず、ぶたまん2個とビールを頼む。ぶたまんは1個100円でそれほど大きくもない
「そのまま食べてもおいしいけど、これをつけたらもっとおいしいよ。」
と言ってトウバンヂャンを薦めてくれる。実際そのとおりだった。トウバンヂャンも自家製という。
 職人風の中年男性の二人連れが入ってきた。一番奥に座っていた僕はこれで閉じ込められた。二人ははじめ、ラーメンとヤキメシを注文したが、僕が食べてるのを見たのか、ヤキメシをぶたまんに変更した。やはりトウバンヂャンをつけて、うまいうまいと言っていた。
 ぶたまんの3つ目を注文しながら、
「おばさんはちゅごくのひと?」
と、関西イントネーションで聞いてみた。こんな五十男におばさん呼ばわりは心外かな、とも思ったが、
「はい、シャンハイ。きれいなまちだよお!」
と明るく答えて少女のように笑った。
 上海が美しい都会だということぐらいは僕も聞き知ってはいる。ただ彼女の屈託のない笑みには、その故郷への愛情がにじんでいた。ちょうどこうやって、暇を見つけては神戸に遊びに来ている自分の心情と重なるものを感じた。
 彼女は神戸に来て6年という。地震の後で来たのか。
「日本語うまいね。」
と、職人風の一人が言った。
「でもむずかしいよ。ようわからんで、何度も失敗した。」
と答える。
「でも、神戸には中国の人も多いから・・」
と言ったら、
「福建の人ばっかりよ。田舎の人。」
福建の田舎もんを蔑むふうでもあった。上海の都会人のプライドだろうか。
 5年生と1年生の子供がいるという。
「どこの学校?」
と聞いたら、
「こうべ小学校。県庁のそばの。」
というダブルで驚く答えだった。
「あ、相楽園の隣やね。僕は昔あそこにあった山手小学校。」
これが第一の驚き。
「ああ、知ってる。」
と答えるが、地震の前の'94年にはなくなっていた学校を彼女が知っているとも思えない。何かの勘違いか。
「中華同文やないんや。」
たいていの華僑の子弟が行く学校じゃない、というふたつめの驚きを、つい口にしてしまった。
「うん。中華同文やない。」
福建の田舎者の学校には行かせたくない、ということだろうか。いや、単に経済的事情かもしれない。そこまでは立ち入れない。
「そやけどあそこには昔、孫中山先生なんかも来てはるねんで。」
という言葉を、僕は呑み込んだ。

Dec. 2001
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