| 3つの「大倉山」 |
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| 大倉喜八郎のこと |
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大 倉 山 「我庵は茅渟の海原池に見て波の淡路は庭の築山」 明治の大実業家大倉喜八郎は、安養寺山(今の大倉山公園)からの眺望をこう詠みました。大倉喜八郎は、明治維新の動乱の中で御用商人として活躍し、一代で大倉財閥を築いた人物です。喜八郎は日清戦争後、安養寺山の約八千坪の土地を買い取り、広大な別荘を建てました。当時の安養寺山は松の木が繁り、瀬戸内海や淡路島が望めたそうです。しかし、この景勝地に建てた別荘に、喜八郎自身はあまり滞在せず、彼と懇意であった伊藤博文が、「昼夜涼風不断、神戸第一の眺望且避暑地に有之」と専ら利用していました。 その伊藤博文が、明治四十二年(一九〇九)ハルピンで射殺され、喜八郎は、伊藤が愛したこの地に彼の銅像を建てて公園として市民に解放する条件で、土地と別荘を神戸市に寄付しました。二年後の四十四年十月銅像が建設され、大倉山公園が開園。銅像は戦時中に供出されて今はありませんが、銅像の台座と大倉山の名称が当時を偲ばせます。 |