筋と通り


 神戸には「京町筋」、「生田筋」、「鯉川筋」などの「筋」がある。すべて南北に走る道である。もっとも最近は南北の道に「ロード」がよく使われている。「トア・ロード」は歴史のある名前なんでええんやけど、「フラーワー・ロード」とか「いくたロード」とかはやめてほしなあ。
 これに対して、「海岸通り」、「元町通り」など「通り」はすべて東西に走っている。
 こーゆー街は他にもあるのか?あった。お隣の大阪である。多くの歌にも出てくる「御堂筋」を代表格として、「なにわ筋」、「堺筋」などすべて南北で、「本町通り」、「千日前通り」などは東西である。
 勿論、神戸は大阪の真似をしたんだろう。兵庫を除く神戸の街は明治以後にできた歴史の浅い街だから、それを作るとき、隣の大阪を真似したとしても不思議はない。もっとも平清盛が「福原京」を作ったときも、京都と同じような朱雀大路や一条、二条・・・を作ろうとしたけど、なにしろ土地が狭くてどーしょーもなかった、とか。同じことで、海から山まで僅かの距離しかない神戸では、「筋」は皆短くて、1km程度しかないものも少なくない。それに比べると大阪の「筋」は堂々たるもので、まことに「筋が通って」いる(^o^)
 ところで、東西と南北の道の呼び方が違うという例は他にもある。米国東海岸の古い街、ニューヨークとか(たぶん)ボストンとかである。たいていの英和辞書なんかにも載ってると思うが、たとえば日本で「五番街」と訳されることの多い Fifth Avenue など Avenue はマンハッタンを南北に貫き、これに直交するのは Street と呼ばれる。
 オランダがネイティヴ部族からマンハッタン島を買い取ったのは1626年だそうで(たとえば司馬遼太郎「街道をゆく」「ニューヨーク散歩」)ニューヨークの建設はそれ以降ということになるが、これは大坂築城と時代がそんなに離れてない。もしかして、両者に共通のルーツがどっかにあるんじゃなかろうか、と思ったりするんだけど、私の好きな司馬遼太郎の著書には何も書かれてない。
 堺はどうやろ?秀吉の大坂築城以前に堺があった。堺は勿論、貿易都市である。南蛮の情報が沢山入って来ただろう。堺屋太一つぁんあたり何か書いてへんやろか?
 江戸はだいぶ違うな。太田道灌の城は小規模なものだったろうから、江戸の街は家康に始まるとして、秀吉の大坂と時代はほとんど同じだけど、今の東京で「筋」なんてのは聞いたことがない。家康の側にもヤン・ヨーステンとかウィリアム・アダムスとか、西洋人がいたわけで、家康が街作りに彼等の意見をどれだけ聞いたかはわからんが、信長、秀吉に比べて西洋の事情に特別疎かったとも思えないから、江戸と大坂の違いには何か理由がありそうにも思える。なんとなく、江戸はヨーロッパの城砦都市に似てるような気がする。大坂が米国東海岸に似てるから、江戸はヨーロッパ風、大坂は植民地風、ということになろうか。
 京都は勿論、中国風。唐の長安を模倣してるわけだ。日本の都市は大きくこの3つに分類できるんじゃなかろうか。

 ということで、Infoseek で「筋|通り」で検索してみたら、いろいろ出て来た。

 町が「丁目」じゃなくて「丁」によると、堺は大坂夏の陣の後、「元和の町割り」というのがあって、南北を貫く「大道筋(だいどうすじ)」と東西の「大小路(おおしょうじ)」ができたそうな。うーん、やっぱり堺か?でもそれは大坂築城というより落城の頃だから、これが祖形とは言えん。もっと以前の堺はどうやったんやろ?

 和歌山市中央商店街青年部のページによると、かつての和歌山では南北が「通り」、東西が「筋」だったようだ。

 富田林・寺内町では、
「筋」は南北の通り、「町」は東西の通りをいう。
そうで、永禄3年(1560年)というから、「元祖」かも知れない。ただ、作ったのは西本願寺宗興正寺14世、証秀上人というから、これが始まりだとするとニューヨークなどとの縁は切れてしまう。

 他にもありそうだけど、とりあえず止めておく(情報歓迎します)。ともかく以下のことだけは言えそうだ。
(1) 筋/通りの区別をする街は関西に多い。
(2) 中には和歌山のように筋と通りが逆の街もある。
 和歌山は紀ノ川が東から西へ流れてるなあ。「東西/南北」というより、「川筋に平行/垂直」と考えたら和歌山も例外じゃなくなる、かな?