「壷算」のオチ

 古典落語の「壷算」のオチについて考える。
 まず、非常に大粗ながら筋を紹介しておく。
 ある男(2人連れだが)が、水を溜めるための壷を買いに行く話である。最初「一荷いっか入り」の壷を3円で買うが、本当は「二荷入り」が必要なのだ。二荷入りの値段は倍の6円。
 瀬戸物屋へ戻った男、「実は二荷入りが欲しいねん。それで、この一荷入りは3円で買い戻して欲しい」。瀬戸物屋の番頭に否やはないから、快く承諾する。と、「さっき金で3円払うたな。この壷が3円。都合6円やから、こっちの二荷入り、貰うて行ってええな」。
 なんとも珍妙な論理だが、番頭、混乱してしまう・・・
 そしてオチなのだが、例えば故桂枝雀師はこうやっていた。
番頭:ええい、もうこの(二荷入りの)壷、持って行きなはれ!
男:はは、それがこっちの思うツボや。

 しかし、本来のオチは次のようなものだったという
番頭:これは、どういう勘定だんね?
男:これがほんまの壺算用や。
 「壺算用」とは、本当は「坪算用」で、大工が坪数を見積もり損なうことから、大阪で勘違いの意味であったという。しかし、この言葉が通じ難くなって、現在ではこのオチは使われなくなったという。

 しかし、大工は何故坪数を見積もり損なったのか?江戸時代でも、「読み書き算盤そろばん」はかなり浸透していて、特に一般庶民の数学レベルは世界でも有数であったとさえ言われている。ならば、大工というプロが「坪算用」つまり面積計算というむしろ初歩的なことでそう易々と間違えたというのは、どうにも納得がいかないのである。以下ではこれについて考えてみたい。

まず、この噺の背景について整理しておく。

1.時代は明治時代である。
2.場所は大阪である。
3.「壷」は水を溜めておくための壷である。

 壷の値段を3円とか6円とか言っているから、江戸時代ではないことは確かである。そして本来が大阪の噺であることも確かである。
 江戸っ子は「水道で産湯を使ったお兄ぃさん」と啖呵を切った。実際、江戸時代から水道が発達していた。一方、大坂にはそんな立派な施設はなかったようである。明治28(1895)年になって「人口61万人をうるおす程度のやや規模の大きなものを完成させた」
 水道が無かった時代、庶民は井戸も掘れない。どうしたかというと、「水屋」から水を買った。それを貯めておくための水壷を常備していた。この水壷を買いに行くというのが、「壷算」である。「一荷」というのは、天秤棒で両端にぶら下げた桶で同時に運べるの量で、およそ60リットル程度のようだ。だからこの話はきわめて大阪的なのだ。東京の人も演じるようだが、「水道で産湯を使ったお兄ぃさん」にはそぐわない。やるにしても、上方の話であるとはっきり断ったほうが良いと思う。
 実はこの噺、他にも時代背景が極めてよく現われている。
 「な、うまいこと言いまっしゃろ。うちのかか、小学校出とるだけのことはある」という台詞。中学校まで義務教育の現在では、これはつまらないクスグリかと思ってしまうが、小学校が法的に義務教育になったのは1886(明治19)年という。それ以前も全員就学が原則ではあったらしいが、それでも小学校卒業(当時は4年)まで行かない子も結構いたものかと思える。子守りをしながら教室を覗く「おしん」もいたんだろう。しかし、大阪みたいな都会では、特に男子は早く丁稚奉公に出て、商売や職人としての技能を身に付けることを目指したのかもしれない。一方、女の子は学校へ行ってれば「玉の輿」に乗れたかもしれない。ま、結局は「長屋のあほ」と所帯持つことになるとしても。これが「うちのかか、小学校出とるだけのことはある」という台詞の背景かと思われる。
 さらに、いよいよ瀬戸物町へ入ると、「このごろは何でも瀬戸物でできるねんで。見てみい、あのお人形なんか、まるで生きてるような」。明治の頃にヨーロッパの陶磁器の技術が導入されて急速に発達したということは百科事典などにも載っている。まさにそんな時代の噺なんだろう。

 さて、本題に戻る。大工は何故「坪算用」を間違えたのか?どのように間違えたのか?
 既に述べたように、当時の人は小学校に行ったかどうかも怪しい。むしろ江戸時代以来の寺子屋で「読み書き算盤」を勉強した可能性がある。少し年長の大工なら当然こちらだろう。
 寺子屋では「和算」という日本独自の数学が教えられた。この和算の教科書で「塵劫記」というのがよく知られている。これは寛永四年(1627)に吉田光由によって書かれたという古いものだが、いくつも海賊版が出たというきわめて人気の高いものだったという。佐藤健一・訳・校注「『塵劫記』初版本」という本が出ているので、そのエッセンスを味わうことができる。
 この本には「第十七 検地の事」という項がある。これが面積計算である。

17−1:縦58間、横25間の長方形の田の面積を求めよ。
  答)4反8畝10歩
 これは簡単である。ただし1歩=1間2(=1坪)、1畝=30歩、1反=10畝という現代人にはなじみの薄い単位を知っている必要があるが。

17−2:縦35間2尺6寸、横18間4尺の長方形の田の面積を求めよ。
  答)2反1畝28歩9分
 ここでひとつ問題が発生する。「塵劫記」では1間=6尺5寸としているのである。
 1坪という単位は現代でもよく用いられる。3.3m2とされる。元来は1間四方の面積である。ところで、現代ではその1間というのは6尺(1.82m)とされている。それがこの本では6尺5寸(6.5尺)なのである。

 そこで、平凡社世界大百科事典を調べてみると、次のようにある。

けん

尺貫法における長さの単位。その起源は定かでないが,日本では中世以来測地用の慣用単位であり,その大きさは太閤検地の際は6尺3寸,江戸時代は6尺1分であったという。1891年制定の度量衡法では6尺(約1.818m)=1間,60間=1町,36町=1里とし,1間四方の面積を1歩(坪)とした。・・・

 さらに、
京間
きょうま

住宅建築において,基準寸法を1間=6.5尺(約1.97m)にするか,または畳の寸法を6.3尺×3.15尺(1.909m×0.954m)にしたもの。京都を中心にして,近畿地方,中国地方,四国地方,九州の一部など,西日本で使われる基準寸法。京間に対して,東日本で使われる1間=6尺(1.82m)の基準寸法を田舎間(いなかま)といい,名古屋地方で使われる6尺2寸,畳寸法6尺×3尺の基準尺を中京間(ちゆうきようま)とも呼ぶ。歴史的にみると日本の住宅の柱間は一定ではなく,奈良時代には10尺から7尺まで,いろいろな寸法が用いられていた。時代が下るにしたがって短くなり,京都周辺では桃山時代に6.5尺で統一されるようになったらしい。・・

 つまり、京都を中心とする西日本では、(桃山時代以来)1間=6.5尺だった。「塵劫記」の著者吉田光由は京都の人である。これで「1間=6.5尺」の謎は氷解する。
 そして、1891(明治24)年制定の度量衡法で「1間=6尺」と定められた。この時「1間」の定義が西日本では変わったことになる。この明治24年というのは、大阪に水道ができた明治28年の4年前である。まさにその時代にこのような変化があった。「坪算用」は、これに伴う混乱に由来する噺ではなかろうか?

 さてここで、「塵劫記」17−2について仔細に見ておこう。
17−2:縦35間2尺6寸、横18間4尺の長方形の田の面積を求めよ。
  答)2反1畝28歩9分
  法)35間2尺6寸のうち35間を尺に直すため、
   35×6.5=227.5 より 227尺5寸
したがって、35間2尺6寸は、227.5+2.6=230.1 より 23丈1尺となる。
18間4尺は 18×6.5+4=121 より 12丈1尺
23.01×12.1=278.421、   278.421÷0.4225=658.98、   658.98=21×30+28.98
*1間を6尺5寸として、尺の単位で面積を求めると、尺2の単位になる。1間は6尺5寸だから、(1間)2=(6,5尺)2=42.25尺2 これが使われている。
 尺の単位で求めた面積を42.25で割って歩(坪)に直しているわけである。42.25で割るなんて、電卓なしにできる現代人はどれほどいるだろうか?
 さらにこの後、間に直した計算方法も載っている。
17−3:前問のような問題で次のようにして求めることもできる。
 2尺4寸を間に直して 2.6÷6.5=0.4 より
  35間2尺6寸=35.4間
また横の18間4尺は 4尺=0.6153間
端数を捨てて 18間4尺=18.6間
35.4×18.6=658.44 より 658坪4分4厘
*前の結果と少しちがうがこれでもよい。
田の面積などは尺を間に直したとき小数2位は四捨五入しても影響はない。
 少しの誤差があっても実用上は問題ないということだろう。

 さて次に、1間=6尺とした場合、上の問題はどのようになるかを考える。
17−2':
 存外に誤差は小さい。しかし、考えてみれば1坪=1間2という定義は変わらないわけで、したがって間で表した部分の坪数は変わらないはずで、1間未満の部分だけが誤差となるわけである。
 ただし、両者の「坪」の意味は異なる。前者は42.25尺2であるが、後者は36尺2なのである。

 度量衡法が制定された1891年より前の関西では、建坪は当然1間=6.5尺、1坪=42.25尺2で表記されたはずである。これが1間=6尺、1坪=36尺2に変わったのだから、従来の1坪は
に換算しなければならない。
 このような煩雑な換算は現場の大工達を悩ませたであろう。生身の人間だから間違いも増える。それを何も知らないシロート衆が「坪算用」などと蔑む。プライドの高い職人である大工としては、これは腹に据えかねたろう。
 落語「壷算」は、そのような大工が腹いせに瀬戸物屋をからかったもの、と考えることもできるかもしれない。

Nov. 2006
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