魔法子が意思を与えるということはどういうことであろうか。
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魔法子
魔法子は森羅万象のすべてのものに根源的な力を与える要素である。ものが動くための力を供給し、ものはその力が与えられたことによって動いている。魔法子は森羅万象のすべてに意思を与えるものである。意思を与えられたものは、魔法子によって自由を与えられ、その求めるところを達成しようと自発的な動きを始める。
魔法子はあらゆるものに意思とそれを実現する力を与える。魔法子の最も基本的な性質はこのふたつを何かしらのものに与えることである。意思を与えられたものが、その意志に従って、何かを決定すると、その意思を実現するように世界を変えようとする力となる。力を伝達して、物事に変化をもたらす。私たちの前にあるすべてのものを動かしている源となるものである。
魔法子は意思を与えるものであり、その意思そのものである。
意思と意識
意思は私たちが日常的に触れている感じ取っている自分の意識とは違うのであろうか。ここでいう意識というのは私たちが自分のことを自分だとということは確実だと感じる自己の同一性と、その自分が外的な世界のさまざまな状況を認知して、判断をくだそうといろいろなことを感じたり考えたりするというものである。もちろん、意識の守備範囲はそれだけに留まらずもっと深く複雑なものであるが、簡単に次のようなものと考えることにしよう。
意識というのは私たちが朝起きたときに、自分の身体と自分の心持ちとが一致して、まだ眠たいと感じたり、自分がベットからそろそろと起きあがって、快活に身支度をしようと考えるまさにそれである。街路樹に留まり、さえずりをする鳥の心地よさやカーテンから洩れる朝の光を優しいと感じるものである。意識はそれを感じながら、今日は何をしようか考えるものである。仕事の段取りを確認し、友人との約束を思い出すのである。
意識は私たちを取り巻いている世界を感じて、これから何をしたらよいのか、そのときの感性や知識や経験などをもとにしながら、その時々の気持ちと判断を決めていく。こうした意識は魔法子が与える意思に深く関係している。私たちはただ漠然と目の前に起きた出来事に反応をしているだけではない。ある一定の目的を視野に入れて、その実現のために総合的な判断を加えている。通常、そうした判断は、一瞬一瞬の刹那に何かを決定しなくてはいけない意識には上ることは少ないが、意識がその即決を実現させることのできる根拠を支えているのがこの意思である。
私たちは日常のあらゆる場面で、必然的に何かしらの意思表示や決断を行わなくてはならない。語感だけ聞くと常にとても重大なことをしているようではあるが、これは朝食に何を食べようか、友人とはどのような会話をしようかといった日常のちょっとした決定が大半である。当然、このちょっとした決断は際限なく、連続的に訪れるので、私たちはそのひとつひとつに対処するために刹那に決断ができるように準備がなされ、そうして簡便な決定ができるように多くの場合、意識している。試しに何かちょっとした行動を実現させてみるとよいだろう。今いる場所から、市場の果物屋さんに行って、好きな果物を買いに行くことにしてみるとすると、まさにその瞬間から決断の連続となるのは明らかだろう。外に出るまでに何度扉を開けようと考え、市場までどの順路を選択するであろう。いざ果物屋さんについてみれば、どの果物を買うかそこまで判断を重ねなければならない。たったひとつのことを実現するためにする判断は多い。
意識はこの決断を刹那にしていて、通常はよどみない。また、これら判断が瞬時にできなかったとしたら、私たちは果物屋さんには到底たどり着けないだろう。そして、その判断は日々、多様で自分で決定されたものとしての意味をもっている。もし、私たちが物事に単純に反応をしているとしたら、果物屋さんに行く意味が理解できないのと同じである。そこには主体的な意思がないからである。たとえば、果物屋さんに行くのも戦場へ赴くのも等価値であったらそこには意識が働く余地はなく、判断の必要性は全くないといっていいだろう。少なくとも意識された行動ではないのは確かである。
意識がこの迅速で多岐にわたる判断を行うのを支えているのが、その判断の基準となる意思である。この場合は行動の指針といってもよいかもしれない。魔法子の与える意思はこのような私たちの日常的な意識の基盤となっているのである。
意識に対して、意思は瞬時の判断を行わない。その代わりに常に意識の判断をチェックして、その判断が意思に反していないを確かめているのである。もし、意識が意思に反した行動をとろうとしたとき、それを抑止して、意思の願う行動をとらせるように意識を変えていこうとする。
意思は瞬時に形作られるものではなくて長い時間をかけて少しずつできあがっていくもので、通常、やすやすと揺らいでしまうようなものではない確固としたものである。意思は意識に対して、その根拠となり、普遍性をもったものでないといけない。そうでなければ、糸の切れた凧のように思考が迷走して、混乱してしまう。ただ、この不変性というのは完全なものではなくて、このある程度のものである。ある程度とはつまり比較的にということで、意識ほど急激ではないが、この意思もまた時間をかけて変化していく。この意思のゆっくりと形成され、容易には変わらないが全くの不変ではないという両面性をもっている。
意思のこの相反するような性質は魔法子が意思を与えていることによるのである。私たちを形作る意思の根源的なものとして、さらに魔法子というものが関係している。魔法子そのものについてはこれから詳しく説明をしていこう。
魔法子の基本的性質
魔法子の最も基本的な性質は私たちの意識や意思を作り出すということである。先に述べたような意思を形成するのは私たちに一定量の魔法子が内在していて、そのひとつひとつが私たちの身体に自ら決定する力とその力を目標実現へと向かわせている。
さて、この魔法子はどうしてこのような意思を与えるようになったのであろうか。魔法子と意思とはどのような関係をもつものであるのか。実はこれは魔法子を私たちがその存在を明らかにして長い月日が経つにもかかわらず、明確には分かっていない。というのもこの魔法子の働きを私たちは直接的に知ることは実はできないのである。加えて、意思や意識を直接捉えることはできないことが、両者を明確に位置づけるのを困難にしている要因でもある。
とはいえ、魔法子そのものの性質はある程度、分かってきている。以下よりその特徴を列挙しながら説明を加えていく。
@魔法子は物質的な質量をもたず、物理的な方法で捉えることができない。
これは魔法子が物質ではないということに由来している。そもそも物質がどのようなものであるのか、というのは明確に定義をするべきところではあるが、ここでは、簡単に重さや長さといった物差しによって計測が不可能であると考えて欲しい。たとえば、剣の重さは1000ヘクト、長さは70リーグと答えることはできるが、自分の心や気持ちは重さや長さで表せないという程度の意味である。魔法子は心や気持ちのようなとらえどころのないもので、単純物理の領域にはないものである。
A魔法子の宿るもの
魔法子は何かしらのものに宿り、そのものに意思を与える。この意思を与えるとき、与えられるものには最小の単位がある。魔法子はあらゆるものに力を与えるが、その与えられた力がひとつの定まった意思として発揮される最小のものは、そのものが一定の自己に対する同一性を保つものであるという特徴がある。一定の自己に対する同一性というのはそれ以上分割できない統一性と他から区別される独立性をもつものであるという個体であるということでもある。
簡単にいうと、ひとつのものというのが最小の単位となる。私は私というひとつのもの、剣は剣というひとつのものというように、私たちがそれをひとつのものであると考えているもの以上に分けられて魔法子は宿らないということになる。たとえば、私の左半身だけに魔法子が集まるということはなくて、もし宿るとしたら私全体に魔法子が宿るということになる。もし、左半身だけに魔法子が常に集中しているとしたら、逆説的にそこには別の個体としての意思があるということになる。これはつまり、自己の同一性を保っているものの間では、意思は統一されて、団結して力を発揮するということになる。
B魔法子は量と質がある。
魔法子は世界の中に均一に存在しているわけではなくて、個々に偏りがある。ある一定の場所やものを考えたとき、あるものや場所にはたくさん存在し、別のあるものや場所にはほとんど存在しないということが起こる。これは魔法子自体がよりその力を発揮できるような場所へ移動しようとする働きによるもので、魔法子そのものは流動的に世界や個体を移動する。魔法子は自らが宿った個体の中で活動をして、その個体の活動によって他の魔法子を集め、さらに魔法子自らもその質を変えていき、よりその個体や世界に適応できるような力をもつようになる。魔法子はたくさん集まるほどに大きな力をもつようになり、また、より世界に適応した魔法子ほどその力を最大限に発揮させることができるようになる。
C意思の強く集まるところに集結する。
ものには魔法子が集まりやすいものとそうでないものがある。魔法子はより活動できる場所へ移動しようとする性質をもっている。魔法子がより大きく活動をするためには大きな力をもつことが必要となってくる。大きな力は大きな目標を実現する原動力となる。そこで魔法子は強い意思をもつものの周りに自然と吸い寄せられ、意思の強いものは魔法子の力を自由に使うことができるようになる。この魔法子が集合して、ひとつの意思をもつものを魔法子群という。魔法子は通常、複数の魔法子の集まったこの魔法子群という形で存在する。
D自由に活動のできるものに宿る魔法子
魔法子が多く集まりやすいのが、生物である。生物はその構造が自らの意思をもって能動的な行動をとりやすいように作られている。これは魔法子が活動を行うために非常に都合の良いものである。魔法子はその意思を発揮することによって、多くのものこどを自由に変えていくことができるが、このときも、当然ながらその意思をより自然な流れに沿って発揮した方が、より少ない力で大きく活動ができる。物理的な制約を超越して、意思の力を発揮するとき、魔法子自身もより多くの力を使わなくてはならない。魔法子単体がもつ力には限界があるので、相対的に目標を実現できる範囲が狭まってしまう。そのために、自然と力を発揮できる生物には魔法子が自然と集まるのである。
E魔法子は物質に働きかけを持ち、その状態を変化させる力を持つ。
これは魔法子がものに意思を与えることの実質的な意味である。魔法子は通常の物質に意思を与え、物質は与えた意思の決定に従って、その力を発揮するというのが基本的な魔法子と物質のもつ構造である。これは魔法子という原動力を得て、物質が活動しているということになる。もともと物質そのものは自らその行動を決定して、動こうとするものではなく、ただ物理の法則に従ってあるものであったのが、魔法子をきっかけとして、その範囲で活動を開始させることができるのである。
F魔法子は常に力を放出しながら、吸収する。
魔法子は物事の活動の原動力となるのはときに力を放出して、ものに力を与え、その結果得られた別の力を吸収するという働きがあるためである。魔法子は基本的に活動をして、その活動によって新しい力を得るという循環を行っていて、それがより効率よくできる土壌を求めて移動する。これは魔法子がさらに大きな力をもって、活動を拡大しようとする性質のためである。
G魔法子は力の臨界を突破したとき、破裂する。
魔法子はその力が自らの制御できるうる以上の力になったとき、内部の力に魔法子自身が耐えられなくなり、破裂という現象を起こす。破裂した魔法子はそれまで大きな集合であった魔法子群であった状態から、比較的小さな魔法子群、あるいは単体の魔法子となって四散する。
魔法子の活動範囲
魔法子はものに意思を与える一方で、どのものに意思を与えるかを選択している。これは魔法子そのものに意思があり、ものを操っているという解釈を可能とするが、同様に魔法子そのものがものという安定的な活動土壌を必要としているということでもある。
実際、魔法子はものに寄らないで魔法子同士で集合し、そのまま大きな意思の力を発揮するということもないわけではないが、そうしたケースは希であり、ほとんどの場合、何かしらのものを媒介としている。基本的には魔法子だけでは、世界に与える力を効率的に引き出すことができず、放出する力に対して吸収できる力が相対的に少なくなるので、その意思も次第に弱くなってしまう。
このことから、もの魔法子の活動を保護する防御壁の役割も果たしていると同時に、魔法子の基本的活動のフィールドであるという関係が成り立っている。
次章ではこのものと魔法子の関係を詳しくみていこう。以下、気が向いたら続けます。
第2章 魔法子と物質
意思を受ける物質
存在を与えるものと存在するもの
運動と変化
万物は流転することによって存在する
存在とそれを与えるものがある相互扶助関係
第3章 物質子
世界の余白を埋めるもの
中性存在としての物質子
物質の循環
第4章 魔法子の交換原則
意思の交流
魔法子の循環
第5章 魔法子と物質子の循環理論
第6章 魔法理論
意思の与える物理超越
第7章 魔法子の意思
魔法子のもつ性格
自己表現
魔法子の目的、過程そのものの目的