本に対するマスターのあれこれ
ここでは、普段、私が読んでいる本に対する評論じみたことをやろうと思います。評論というのは必然的に私自身の感性や信条というものが反映されてしまうもので、そのために、客観性というものは欠如しがちな分野であると私は考えています。そこで、私はそうとは知りながらもあえて、評論に客観性は持たせないようにしようと思います。というのは主観的な判断というものが決して客観的なものに劣っているというとは考えないからで、普遍化という作業が純粋にその評論の質を押し上げるとは思えないからです。むしろ、偏見や独断にまみれてしまった方が、読み手としても称賛や反論のしがいがあるもので、そのことにこそ価値あるものと思うところがあるからなのです。さて、上手く誤魔化したつもりですが、要は評論をするために勉強したくないし、また、私は率直に意見を述べるだけで、ありがたいものではないですよということです。ついでにいうと、本といいながら、コミックの評論しかしていないのですけれども。
※凡例 タイトルの後の★は私が客観的にみて、その作品を評価したもので、♥は私が主観的に、その作品を評価した結果になります。どちらも私個人の考えなので、★が多いからといって、それが普遍的な楽しさをもっているとは限りません
。♥による
評価は私のミーハー度合いで決まります。つまり、遠慮なく私の好みだけでつけてしまう評価ということになります。
※評価の目安
★−読む価値ないと思う、★★−お金を出したことを考えると損かな、★★★−悪くはなかったかな、★★★★−アベレージ、面白いと思う、★★★★★−なかなかよい本だと思う、★★★★★★−かなり面白い、★★★★★★★−絶賛に値する。
♥−読む気がしない、途中放棄、♥♥−読んではみたもののどうかな、♥♥♥−嫌いでもないかな、♥♥♥♥−アベレージ、割りと好みかな、♥♥♥♥♥−こういうお話は好き、♥♥♥♥♥♥−私の好みに直撃、♥♥♥♥♥♥♥−もはやラブ……かな。
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「★★★★☆☆☆」 ・「♥♥♥♥♡♡♡」
特別な能力をキャラクターに備えさせるお話しは多いですが、この『ES』という話では、他人の意識に入り込み、その記憶を読み取り、また、ときに改竄するというという能力をもった人が登場し、その人を中心として物語が展開してきます。記憶を操作する能力の脅威というのは特に社会に生きる私たちにとっては非常に実感できることであります。私たちは人と人とのコミュニケーションを介してお互いに信頼をし、認め合うことで、自分というものを確立していきます。私たちにとって、人の和というものは重要なアイデンティティであり、他人と自分との関係は自分を維持するのに必要不可欠なものです。記憶はこの関係を根底から支える人間の重要な機能です。記憶がなければ、そもそも社会を維持することは不可能であるからです。改竄能力はそうした社会的な信頼を恣意的に創設したり、また、簡単に破壊してしまうことができます。改竄能力を使うということは人間の信頼関係そのものを否定することにつながるといってよいでしょう。記憶の改竄という能力の提案は私たちの社会との信頼を再考する機会を与えてくれます。
また、この『ES』では、2人の記憶改竄能力をもったキャラクターが登場しますが、この2人はいずれも研究所で遺伝子を操作されて作られた人間で、実験や研究の対象です。ですから、モルモットとして生を受け、モルモットとして死すべくして存在するはずだった人間なのです。私たちは動物実験などで、罪もないラットが実験という名で弄ばれて死んでいく様をみれば、その非道に疑問をもちます。しかし、私たちはその恩恵に与って、裕福な生を謳歌していることには疑問をもちませんし、気づきません。また、それを知ったところで、それでも利益と繁栄のためであると、黙殺することになるでしょう。私たちは基本的な倫理観として備えていた人を殺してはいけないということを思いだしてしまうのです。人体実験の禁止は古くからのもので、その禁忌を破ろうとする研究こそが悪であると簡単に解決すべき問題ではなくなってしまうのです。なぜならば、私たちは人を殺してしまうことは道理に反するとして忌避するのと同様に基本的に他の生物に関してもなるべくは殺すべきではないと認識しています。そして、そのことを私たちは当然のこととして受け入れているはずなのです。『ES』では消耗される命と救済される命と2つの命をもちだして、私たちの当然の認識であった他を殺めるという行為への私たちの独善を提案しています。
さて、『ES』の物語は静かに進行していきます。物語では多くを語ろうとはせずに視覚的なイメージを表現の主体として、セリフは必要最小限に留められています。そのために、ひとつひとつのコマが内面にまで踏み込んでくるようなそうした印象深さのあります。
思わず、思うところを述べ立ててしまいましたが、物語が落ち着いていて、じっくりと読めるコミックスで
、お勧めです。(03.05.12)
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「★★★☆☆☆☆」 ・「♥♥♥♥♡♡♡」
主人公のヘイサクには隙間をのぞいて、思いをはせるという趣味、性癖のもちぬしで、彼がのぞいていた、向かいに住むフミオという女性に恋をします。その彼女もまた、ヘイサクをのぞくことを趣味とするというお互いがお互いの知らないところで、お互いをのぞき合うという話です。のぞきというととても陰湿な、今では、ストーカーか何かを連想してしまいそうな言葉ですが、のぞくというのは、何かを知りたいという好奇心と、のぞいただけでは分からない部分を推測するという知的な楽しみをもった行為であります。
私はひと目でこののぞきと恋愛を混ぜたユニークな設定に興味をもって、買ってしまったこの本なのですが、読んでみるととても面白い、絶妙なバランスを保っています。
彼らは大学のキャンパスで、遭遇して、ひょんな流れに従って、ヘイサクの友人たちと一緒に居酒屋に飲みに行くことになるのですが、ヘイサクには彼女のことをのぞいていたという負い目があるのもあって、その関係というのは微妙な状態のまま続いていきます。そこで、恋をしたヘイサクを襲うのは、好きな気持ちに率直に従っていきたい欲求とのぞいていたことが相手にばれてしまい、のぞき魔としてのレッテルを貼られてしまうことへの恐怖です。ありそうな葛藤がこちらにまで伝わってくるのが可愛らしく思えてしまいます。
さて、彼らは後半にはお互いが「一緒に過ごす時間は長くないのに、お互いが親しげに会話してしまっていること」に気づき、のぞきの効果の恐ろしさを実感します。しかし、この話の中で、のぞくということはひとえに相手のことを知りたいという欲求のようなもので、お互いがお互いのことをのぞいている限りに、お互いはそもそも初めからお互いに恋をしているようなものであって、そのスキマは埋められていきます。
ところで、話は本題とは関係ないのですが、私のこの話の中でのお気に入りのキャラクターはフミオの友人で、フミオを好きな華という女の子が好きです。強気で、知的な感じなのですが、彼女がフミオに迫ったときに感じた負い目から躊躇するところがとても、可愛らしいのです。ついでに、フミオはヘイサクのことをカーテンの隙間から盗撮するが趣味なのですが、盗撮にもこだわりがあるらしく、銀塩のマニュアルフォーカスを使って、露出も絞りも考える玄人です。そういえば、最近、カメラさわってもいないなあ。(03.08.01)